仕事帰り、近所のスーパーで安いワインとスナック菓子を持ってレジに並んでいたら、どこやらから我が名を呼ぶ声がする。
「よどがわ、よどがわ君やろ?」
振り向いて見たら、少し赤ら顔のおっさんであった。
いかにも、自分は、よどがわですが、何か、というような返事をした。
「やっぱりな。いやぁ、なつかしいなぁ、覚えてへんか、ナントカや、ナントカ。」
と彼。どうやら、中学の同級生らしい。
数年前、自分が通っていた中学校の校区のほんの隣の町に引っ越してきた。ほぼ「地元」暮らしだが、年賀状のやりとりを含め、つき合いのある「地元の友だち」はひとりもいない。町で、たまにどこかで見たような顔と遭遇することはある。たぶん同級生とかなのだろうが、名前も出てこないから、話したりすることは当然ない。
しかし、今日、この町に来て、初めて、こういうことがあった。
「よどがわ君、自分あれやな、カントカとか、マルマルとかと一緒におったやんな。あと、ペケペケちゃんとか。」
彼の口から、いろんな名前が出てくる。そのうちの何人かは、記憶にある名前である。しかし、目の前の彼、ナントカ君のことは、どうしても思い出せない。ちょっと申し訳ない気持ちになる。向こうは、たいそうな、懐かしがり方なのだ。
「いやぁ、ほんまに、懐かしいなぁ。お互いにオッサンになったなぁ。」
ナントカ君の話は、続く。この場を立ち去りたい気持ちと、もう少し思い出さないと申し訳ないという気持ちと。そんな葛藤はおかまいなく、ナントカ君は次々にヒントを出してくるのであった。
「よどがわ、って勉強できるってイメージあったわ。今、何しているの?」
今、何しているの。よどがわ君は、今、何しているのだろう。ほんとうに。
「まぁ、いろいろ仕事しているよ。」と、ごまかすためだけの、「無」の返答をしてしまう。
「そうなのか~。いやぁ、なつかしいな。」
あまり聞かれたくない、ということを察してくれたのか、そもそも「何しているのか」に大した関心もないのか分からないが「無」の返答をスルーして、懐かし話を続けるナントカ君。
「よどがわって、エロいイメージあったわ。お互いにエロかったよな。エロい話一杯したよな。」
……。
ナントカ君によれば、中学時代のよどがわ君は、勉強ができて、エロかったらしい。
その話を聞いて、私は、ようやく中学時代のよどがわ君の姿を思い出した。同時に、目の前で懐かしがって自分に話しかけてくれているオッサンと、中学時代、エロい話をしていたことも。
いた、いた。ナントカ君。確かに、こんな顔だった。いつも、スケベな話をしていた。中学生にしては、下半身が大きくて、何度も見せられたりしたわ。
と、本当にしょうもない、どうしようもなく、くだらない、中学生らしい(のかどうか知らないが)思い出が、封印していた(のかどうか知らないが)思い出が甦ってきた。まざまざと、ってほどではなく、うっすらとだが。
「いやぁ、ほんま懐かしいな。またペケペケとかに言うとくわ。よどがわに会ったって。」
ナントカ君は、中学時代の友だちと未だにつき合いがあるらしい。そうなんだな。地元で生きているんだな。
オッサンになったよどがわ君は、「まぁ、また」とごまかすように言って、30年以上ぶりの出会いの場面を終わらせてしまった。連絡先も、詳しい住まいの場所も何も伝えず、冷たい人間だろうか。「彼ら」が今、どうしているか、知りたいような、知ってもどうしようもないような、話すこともないような、会ったら会ったで何か話題があるのかもしれないが、まぁとにかく、それで終わった。
ちょっと勉強ができて、だいぶエロかった、あの、よどがわ君は、今、何をしているのだろう。地元に住んでいて、夜にスーパーで買い物しているくせに、地元の誰とも連絡もとりあわずに、な。オッサンになったが、見かけはそんなに変わってないのかな。30年ぶりに会って、当時は掛けてなかったメガネ姿でも、分かるくらいなんだからな。彼の記憶力がすごいのか。老けただけで、顔は変わってないのか。よどがわ君は。
複雑な気分を抱えて、家に帰ってきた。そろそろ、この町を離れた方がいいのかもしれない、という気になったりした。「わしゃ、逃亡犯か」と自分に突っ込みをいれる、よどがわ君であった。