2017年1月15日日曜日

また串カツ食いに行きましょうね

お正月はどうしてらしたんですか。生徒として通う教室で、数少ない男性の同級生に声をかける。年末、授業の後、ちょっと飲みに行き、あれこれ身の上話を聞いて、親しくなったのだ。韓国語教室は、9割くらい女性がしめていて、男は少ない。いても大体、50に近い自分よりもさらに年上が多い。ちょっと上くらいかなとお見受けしたが、還暦を越えているという。オシャレで若々しい人なのだ。何もしませんね。友達がひとり来ましたけどね。他人の話なので細かくは書けないが、若い時離婚され、集まる家族もいないそう。世間の人は、奥さんにしばられているみたいですね。奥さんがいると、何かと自由がきかないみたいですね。と、最近発見した事実、というように話してらした。なんとも飄々として味のある方である。

自分は2人暮らしだが、お互いの実家との関わりは作ってない。自分には妹がいるが、子どもはおらず、親の所に集まると言っても総勢で4人だ。数年前には、妹の金でちょっとどこかへ行くかということがあったが、親が病気がちになり、なくなった。親戚が多かったり、孫の顔を見せにいったりしている「普通」の家を思うと、さみしいといえばさみしいが、こんな家も最近では多いだろう。親たちは、自分のような子どもがおるからまだいいが、自分が歳とったらどうなるんだろう。おそろしいくらい寂しくなるんじゃないか。考えても仕方がないことは考えないに限る。それでも、不安は、年々リアルなものになる。生活保護の制度とか、まだ生きているだろうか、とか、そっちの心配もある。そんなわけで、ひとりで、かつそれなりに元気で暮らしている人とかに会うと、こういうのもありだな、と元気づけられるのでうれしい。人は、いろんな形で社会からの疎外感を抱く。そんなこと、ええオッサンになるまでリアルに感じられなかったということが、自分がいかにマジョリティ側に居たか、ということを表すのだろう。まぁ、そういう反省はいいや――。とにかく、ちょっとズレて面白く、嫌らしさを感じさせないような大人の知り合いができるのは嬉しいという話。また、1000円で飲める串カツ屋、行きましょうね。

2017年1月14日土曜日

難波まで歩いて行った

昨日は非常勤先のひとつが休みだった。センター試験の準備日ということで。講義するだけが仕事なので休みの日は多い。休みの日にこそ、自分のやるべきことをしなければいけないのだが、昨日はどうもいけなかった。どこかに行きたいという気持ちがおさえきれず、夕方になってから街にでかけた。自分はこれまでの人生で、どれくらいこうやって時間を無駄にしてきたのか。やるべきことを、こつこつとやっていくこと。自分に言い聞かせるように、こういうことを紙に書いたりして、目の前の何かから逃げようとする気持ちを抑える努力はしているのだが。行くなら、昼から行けばいいのだが、こうやってぐずぐずしているから、だいたい夕方になってしまう。昔聴いていたニュー・エスト・モデルの歌の歌詞に「歩き足りないから夜更けにさまよう」というのがあった。くり返し何度も聞いていたのはもう20年も前のことになるだろうか。うろちょろしたいというのは、結局、精神的な運動不足によるものなのかもしれない。

年に数回、心斎橋の銭湯、清水湯に行くのを楽しみにしている。2年前は、難波で働く機会があったから、帰りに寄ったりしたのだが、今は、乗り換えでもミナミを通ることが減り、チャンスが無くなった。久しぶりにと、銭湯をとりあえずの目的地にした。電車で行くと往復700円くらいかかってしまう。これに風呂代を入れると相当な出費だ。必要のない出費でも、人と会うのとか、もう少し意味のあることのためならちょっとくらいは金を出さないと生きている喜びがないとは思うが、暇つぶしに銭湯に行くというのは、ただただ我慢すればすむ無駄なのだ。自転車で行くのも考えたが、この冬一番の寒波が来るかというところで、辛そうだった。それで、とりあえず片道だけでも歩いて行くことにした。

淀川の見える市内某所にある自宅から、梅田までは歩けば40分くらいだ。これくらいの距離は、よく歩いているが、難波まではめったにない。とはいえ、梅田と淀屋橋の間は、職場の移動の際、電車賃を浮かすべく週に二回くらい歩いている。その延長線上だと考えれば大したことは無い。今日外に出たかったのは、同居人が夜いないためでもあった。ごはんは基本自分が担当しているが、今日は作らなくてもいい。だから、ミナミのどこかで食べてもいいかもとおもった。もっとも、いつだって今日は作らないというのは自由なのだが、何もなければ、家で作って食べるのが経済的かつマトモだからそうしている。

北新地の入口あたりに、ダイエーのスーパーがある。イートインコーナーがあって、昼に利用することも多い。去年の五月頃から、炭水化物を控える生活にかえたので、それまで愛用していた立ち食い蕎麦などが使えなくなり、ここでサラダやおかずを買って食べることが増えたのだ。新地などという金持ちの町にありながら、イートインコーナーには、貧乏な匂いが漂っている。本当に貧乏な人。できるだけ小遣いを節約しようとしているサラリーマンにOL、いろいろだ。この人は何の仕事をしているのだろうと眺めながら、ここでうまくも、そして案外と安くもない昼飯をとることが多い。昨日も立ち寄ったが、あまり晩飯を食う気になれず、焼き芋を買って出た。糖質制限しながら、糖分の固まりの焼き芋を食うのはダメなのだが、寒い時、道を歩きながら食べる焼き芋というのは、本当に魅惑的なものなのだ。ずっと前、お金の出る調査で高崎に泊まったことがあった。あの時も街を歩いていた時に、焼き芋がリーズナブルな値段で売っていて、食べながら歩いたのだった。適度に幸せで、かつ、適度にわびしい食べ物だ。ホクホクしたものも美味いが、ここのは徹底して低温で温めたのだろう、ドロドロに近い位、糖化した甘い焼き芋だ。御堂筋を南下しながら、半分だけ食べた。

月がきれいな夜だった。長堀のあたりでは、東の空の低いところに輝いていた。このあたりは、20年くらい前はバイトでよく来ていた場所だ。街並みはほとんど変わらないが、その頃はあまり見かけなかった外国人観光客の姿が多くなった。韓国語を勉強し始めて5年くらいたつ。週に一回、市民講座に行っているだけで、ぜんぜん使い物にならない。韓国人を見かけると、親切の押売りをしたくて仕方がないのだが、スマホでチェックしながら楽しそうに外国を冒険している若い人たちを見ていると、ただただ海外旅行がうらやましかった。初めて来たら、大阪の街もかなり面白いだろう。道頓堀など、写真で見たあそこがここか、というのだけで楽しくなるはずだ。何回見たかわからないグリコ看板を見ながら、ひとりぼんやりとしていた。

7時過ぎになっていた。ミナミに来たのは来たが目的地はないのだ。とりあえず、法善寺まで行ってみる。ガラケーの歩数をみたら、だいたい1万歩だった。思ったよりもずっと近かった。週に2、3回はこれくらい歩いている。そりゃ毎日疲れるはずだ。今年は、初詣に行っていない。何となく、神社を拝むのはもうやめようという気になったので、行かなかったのだが、せっかく通りがかったのだしと、水かけ不動さんにお願いだけはしておいた。はよう立派なシャカイガクシャになりぃやいうて。

断片的な思い出がわいてくる。ほんとうにつまらない人生にしてしまったな、という思いと共に。そんな感傷にふけっているから、ほんとうにつまらなくなるんだ。過去にしばられず、今を生きよ。と、どこかの自己啓発本に書いてあったことを頭に思い浮かべ、気分を抑える。しかし、ご飯を食べるところがない。繁華街でひとりで飯食うなんて、そもそもしなくていいのだ。金がないから、ということばかり気にして生きてしまっている。外食を楽しんでいる人たちを妬ましい思いで見ているのだが、そういう思考回路こそ断つべきなのだ。

貧乏な人生になることが、ほぼ確実になって7年くらいたつ。現実的にはもっともっと前から分かっていたのだが。結局、だんだん生活が荒んで、酒の量が増えたのだった。それでも、無頼派みたいなかっこいい荒れ方(なんてものがあるとして)ではなく、ダラダラとしたくずれ方だった。夜中にコンビニに行って、鬼殺し的な安酒を買ったりするようになって、さすがにこれはいかんと思うようになり、ひとりで飲むのは禁ずることにした。中島らもの『今夜すべてのバーで』とか、吾妻ひでおの実録マンガとか、ああいう作品は本当に人を救っていると思う。自分は救われた。底付きになったら、おしまいだぞ、と思った。ならずにすんだが、なる所だったと思う。まだまだ大丈夫だとは思えなかったから。毎日飲んでいたがほとんど飲まなくなった。2年くらい前からだと思う。最近、ちょっと飲酒欲が戻ってきており、誘われる機会があれば、ホイホイ行くのだが、そんな機会はめったにないので月に一回以下くらいですんでいる。相方と安いワインを分けて飲むとかはある。何の話か。酒をよく飲んでいた頃は、こうやって街にまで歩いてきて、立ち飲み屋に行くのを楽しみにしていたことはあった。立ち飲みというのは、本当に、そそるものだ。外で見ていると、何とも楽しそうに見える。『タモリ倶楽部』的な番組で、サブカル的に取り上げられたりもするのもあって、余計にそうなのだが、実際はもちろん、ひとりで行ってもつまらないものだ。アテなんかも、安いが、居酒屋より安いというだけで、こんなもの家で作ったら、タダ同然なのにと思うと、とてつもない贅沢に思える。

昨日も、久しぶりに立ち飲みでも一人で行ってみるかと思ったが、なんだかんだで1000円くらいは使うだろうし、ひとり酒の禁を破るのもいやだし、やめた。

心斎橋の清水湯に寄る。440円の入浴料のもとをとるべく長時間つかる。浴室から、テレビが見られる仕組みになっている。前に来た時は、性暴力時間で逮捕されている柔道の内柴の公判のニュースがやっていたような。野球の日本シリーズだったか。記録していないが、たぶん、去年は3回くらい来ていると思う。昨日は、キムタクらしき人物が、料理を食べるロケをしていた。スマップ解散して、イメージが悪くなったから、こういうことをしているのかとか考えた。湯船に腰かけて二人組がしゃべっていた。一人の背中、お尻の上あたりの部分にだけ、うっすらと背中毛が生えていた。「本人は、これを知っているのだろうか」と思いながら、それをながめた。

ここの脱衣所には、美女カレンダーが数種類飾ってある。数年前、ここにKARAのもあった。いつも来るたびにそれを思う。深田恭子のがきれいだった。剛力あやめもあった。後の3人は知らない人だった。扇風機で髪を乾かし、外へ出る。もう9時近くになっていた。帰りは地下鉄に乗った。風邪を引いた人が多く、マスク持って出なかったことを反省した。近所のスーパーで、ほうれん草と豚肉を買って、常夜鍋にした。こういう鍋の存在を知ったのは、小林カツ代の本でだったと思う。

いろいろしなければならないことがあったのだ。しないならしないで、やってあげるべきことというのもあったのだ。自分の為だけに、また無駄遣いした。明日からもう少しマシに使おうと思いながら。当分、歩き足りないだけの気持ちから、時間の無駄遣いすることはないだろう。そうありたい。