2017年2月26日日曜日

単線に乗って少し興奮した話

国会図書館関西館に行った。東京の国会図書館は何度か行ったことがあるが、関西館は初めてだった。行けば何でもだいたい見られる本館と違い、イマイチ使い道がなかったのだ。関西にあるとはいえ場所も辺鄙で、家からなら往復で2000円近くかかってしまう。今回、確認したいマイクロフィルムの資料があって、関西館でもそれは見られるようだったので行ってみたのだった。環状線の京橋で学研都市線に乗り換える。そこから1時間近く乗り、最寄駅の祝園(これで「ほうその」、と読むということを今回初めて知った)まで行った。学研都市線は、非常勤先のひとつがあり週一回使っているが、生駒山の手前で降りる。そのあたりまでは、都市近郊鉄道の雰囲気があるが、大阪府域を抜けたあたりからはローカル線の匂いが残っている。路線は、生駒山地の北を迂回し京都府に入る。田園風景が広がりはじめる。京田辺あたりで「あれ、この辺は単線なのか」と気が付き、うれしくなる。今は、ほとんど関心をなくしてしまったが、子供の頃は鉄道ファンだったのだ。

電車の種類とかはあまり興味がなく、好きだったのは駅と路線だった。小学生の頃、国鉄のキャンペーンでやっていた「いい旅、20000キロ」とかいう路線の乗りつぶしチャレンジ企画にちょっとだけ参加したことがあった。路線の始発駅と終着駅で自分が写った証拠写真を送ると「乗りつぶし」が認定され、国鉄路線全部の踏破をめざすというもの。結局、大阪環状線と、奈良線と、草津線と信楽線くらいか、近所の幾つかをまわっただけで終わってしまった(草津線は別の機会だったかも)。その時、当時は片町線と呼ばれていた学研都市線も乗ったように思う。京橋から一駅戻って今はなき片町駅で写真を撮り、電車に乗って長尾まで行った。当時、長尾より向こうは非電化単線で、列車本数も極端に少なかったと思う。長尾の駅でかなり待ったのじゃなかったか。父ちゃんと二人だった気もするし、ひとりだったかもしれない。同志社大学が学研都市に出来て、少し開けたのじゃなかったか。今ではさすがに全線電化されているが、まだ単線の部分が残っていたのは意外だった。もしかしたら、あの小学校の時以来かもしれないな、ここまで来るのは、などとぼんやり思いだした。また、2年くらい前に、旅費の出る共同研究に参加していた時に出張で行った上信鉄道の車窓風景が何となく思い浮かんだりもした。電車に乗ってもっと遠くまで旅行したいな、と思った。十分通勤圏の学研都市ですら、旅行気分だったが。

子どもの頃の自分は、大人になったらもっともっと色んな所に旅行するものだと思っていただろう。入口でやめてしまった国鉄乗りつぶしの、その入口の路線に乗るだけで、こんなに懐かしく感じるような、尻の重い大人になってしまい、過去の自分に申し訳ないというような気持ちにもなる。ツイッターを見ていると、子供の頃に好きだった趣味を、大人になってもきっちりと、もちろん、お金を使って大人らしく楽しみ続けている人たちがいることが分かる。鉄道旅行。短波で海外のラジオを聞くBCL。釣り。将棋。プロレス。どれも一時期好きになり、大人になったら関連する仕事をするぞ、なんて思いながら、結局、そのうちほったらかしになってしまったものばかりだ。プロレスは、大学生くらいまで大好きだったが、今では、さみしいくらい興味を失ってしまっている。懐かしのレスラーのインタビューなんかは今でも読みたいけど。これらの趣味を、自分は大人になって「卒業した」というより、生活レベルが子供のままだから、進歩させられなかったのかもしれないな、とも思う。経済的に余裕があったら、旅行をもっとしていたり、あるいは何かを「大人買い」したりしていたかもしれない。タラレバの話だ。でもまぁ、経済的な話は言い訳にすぎないとも思う。自分には、何かにつけ根気がなかったのだ。だからダメなのだ。だから、経済的な余裕もないのだ。とか、自虐的なことを言っていても仕方がない。とにかく、子どもの頃に憧れたような趣味の世界を今も生きている人たちのツイートを見ると、心の端っこの方で、ぐじゅぐじゅする何かを感じたりする、というお話。

2017年2月24日金曜日

ダラダラ採点に向かって過ごしてしまった2月

今学期は全部で600人くらい分の成績をつけなければいけなかった。講義の仕事を始めた頃に比べれば、だいぶ効率的にできるようになったが、それでもしんどかった。毎年、マークシートにしたらどれほど楽だろうと思う。それでもテストにするときは論述的な問題を組み込むことになってしまう。学生にとってもマークシートの方が楽かもしれないのに、ちょっとでもこちらに余裕があるなら、論述にすべきなのでは、という、実はあまり根拠のない思い込みがある。大体の採点基準を決める。こういうことが抜けていたら減点、こうならプラス、あとはこういう所をチェックして、などと。しかし、答案を読んでいくうちに、それがブレていく。読んでいて、不快感を覚えたり、好感をもってしまったり、感情も左右される。テストなんだから公平に採点しなければ、と考えるため、「まぁ80点かな」と一旦つけた後、これは自分が内容に心理的な影響を受けた上での採点なのではないのか、とか気になってしまうのだ。やっているうちに、これにこの点つけるなら、さっきのあれは厳し過ぎたんじゃないか、とか、相対的なズレもきになってくる。答案に向かい合うということは、自分が一方的に投げてきた言葉に対する応答に触れるということでもあり、虚しさを感じたり、自分が独りよがりだったことを反省させられたりさせられる、という負担感もある。とにかく疲れる。繰り返すが、だいぶマシになった。ある時は、一つの授業で400人というようなコマがあり、問題も自由度の高すぎるもの(テストを作る時に手抜きしたということでもある)にしてしまい、本当に辛かった。もちろん、集中してやれば、それほどでもないのだが、自分にはその力がないため、長時間、やらなければいけないという負担感を抱きながら過ごすことになってしまっている。余計な思い込みがいけないのだろう。こういう仕事については、もっと淡々と、かつ集中してこなせる人間になりたい。

2017年2月18日土曜日

家の近所に話題の幼稚園

すぐ近くに、塚本幼稚園がある。自分がこのあたりに引越してきたのは6年くらい前だが、実家も自転車圏内のためだいたい町の雰囲気はなじみがある。ここにこんな幼稚園があって、特殊な教育をしているなんてことは最近まで知らなかった。詳しく調べていないが、教育勅語を幼稚園児に覚えさせたりという、度を超すような右翼教育を始めてからは、そんなに経っていないのかもしれない。送迎用のバスが猫をかたどったカワイイものを使っていて、ずいぶん子供に媚びている幼稚園だなというのが第一印象だった。(最近見かけなかったからもう使ってないと思っており、そう書いたんですが、2017/2/21に見たら2台走ってました。修正します。)門からのぞくと、さざれ石のオブジェがある。神道的だ。そうかと思うと、外から見える所には、御茶ノ水博士とウランちゃんの人形が飾ってあったりもする。手塚治虫は共産党シンパなのにいいのかなと思ったが、それほど一貫したものでもなかったのだろう。話題になり始めてからは、周囲の期待に応えるようにか、よりそれらしくなっているように見える。小学校を準備していて、それが安倍首相夫人が名誉校長で、というのは去年あたりから知ったが、土地の取得に疑惑があるというのは、一か月ほど前くらいにポスティングされていたビラで初めてしった。最初に読んだ時は、ビラの作り手が分からず、どう判断したらいいのか分からなかった。どうやら、豊中市議で追及してきた人がいたようですね。昨日、今日と予算委員会で問題化し、ちょろちょろとニュースにも漏れ始めた。結構な汚職事件のはずなのに、メディアは及び腰のよう。安倍政権のメディアコントロールはひどい、自主規制するマスコミはもっと悪い、とイライラしてしまうが、ネットなどでマスコミ以外の情報を知るようになったからそう思うだけで、これまでも、流せる情報しかテレビや新聞からは流れてきていなかったのだろう。とにかく、どんどん大きなニュースになって、爪をのばし過ぎた(『ミナミの帝王』でよく出てきた表現)右翼幼稚園経営者のせいで、安倍政権が揺さぶられる、という共食い的場面を見たいものです。

マスコミはいろんな利害があって、すっとニュースにするのは難しいのだろう。それは、当然良くないことに決まっている。決まっているが、だからと言って、という問題もある。ツイッターを見ていると、現地取材を売りにしたライターの人が、あそこはこうで、その背後にはああで、近所ではこう言われていて、とか言っていたりして、なんでそんなに確信を持って言えるのか、それはそれで疑問を感じたりもする。安倍政権へ批判的な立場の人は、同じ批判的な立場の人のことを、あまり批判しない方が良い、というような自主規制圧力があるとしたら、それは問題だ。いわるゆマスメディアも、ネット経由のオルタナティブな情報(って表現でいいかどうか)も、ある程度批判的に解読することを心がけるべきだろう。まぁ、教科書に書いてあるような話だが。

幼稚園の前には公園があって、よく園児たちがラグビーの練習とかをさせられている。先生は女性が多く、それらしくきびきびしている。が、まぁ、全体の図は、そんなには違和感はない。ママチャリに乗って、保護者が見守る姿もちらほら。園児のお母ちゃんということは、自分より一回りくらい下の世代が多いだろうか。「この幼稚園、どんな教育しているか知ってはったんですか?」とか「生長の家の信者はんでっか?」とか聞いてみたいような気もするが、さすがに。想像でしかないが、まぁ、厳しくしつけてくれる、面倒見のいい幼稚園、くらいの情報でわが子を預けることになったのだろう。

自分は幼稚園時代の記憶など、ほとんどない。花の絵を描いて、独特だ、と褒められたこと。お遊戯など、身体を動かすすべてのことが、他の子よりワンテンポ遅れていて、恥ずかしかったと親に後から言われたこと。芋ほりに行った、ような気がしないでもない、というくらいか。女の子に激しいスカートめくりをして、親が注意された、という恥かしい記憶もある、かもしれない。ないかもしれない。まぁ、そんなものだ。あの頃、教育勅語を覚えていたら、どうだったか。伊勢神宮に行って、日の丸の小旗を振っていたらどうなっていたか。たぶんどうもなっていなかっただろう。教育効果としては、大したことない、ように思う。それでも、経営者の右翼趣味オナニーの道具に子供らが使われているようで、不快なのは間違いない。そして、最近知った、副理事長が送ったという近隣諸国への差別意識丸出しの文書などは当然、言語道断だ。

この文章、最近の自分は、社会問題に関心がない、という話を書こうとして書きだした。書いていたら、とても関心がある感じになってきた。もちろん、あるのはあるのだが、現実感がないというか、すぐにどうでもいい、という気持ちになってしまうので、どうしたものかな、ということを書きたかったのだが、書きはじめるといろいろ湧き出してくる。特に、このニュースは、近所ということもあり、自分のミーハーな気持ちも手伝って、興味があるし、メディアの姿勢に憤ってもいる。ただ、それがどこまで公憤なのかは自信がない。自分がおかれている状況や、数々の現実的な心配事から逃れたい、現実逃避をしたい、という気持ちが怒りに向かっている面もゼロではないからだ。まぁ、また考えよう。

2017年2月15日水曜日

ツイッターばかりみている(あらためて)

気がつけば、ツイッターばかり見ている。まだガラケーを使っているので、見るのはパソコンで、だ。パソコンは、家に居る間はだいたいつけっぱなしになっている。必要のない時でも。たまには、消しておきたいと思うのだが、つい、つけてしまう。ネットサーフィン(ってもうあまり使わない表現か)ももちろんするが、ただただツイッターのタイムラインをながめているだけの時間も長くなってしまっている。で、同居人に白い目で見られている。こんな事件あったらしいで。あの人、死んだみたいやで。世事に疎い同居人に、そういう情報を最初に伝えるのは、ツイッターを見続けている私の方からというのが圧倒的に多い。そんな時、「そんなに情報あさってどうすんの」とバカにされる。いやいや、別に、情報を漁ってるのではない。ただ、流れてくるのだ。と言い返すのだが、なんの言い訳にもなってない。世の中で起こっている出来事を、自分は、どうやら特に知りたい方のようだ。知りたいのは当たり前だ、と思っていたが、よく考えてみたら、それほど自明のことでもない。いち早く知った出来事の数々、それらのほとんどが自分には関係がない。森羅万象、なにもかもが、関わりあっている、というレベルの話ならまぁ全くの無縁ではないかもしれないが、何日後かに知っても、あるいは知らなくても、だいたい何のマイナスにもならないのだ。金正男とみられる人物が暗殺された。このニュースに、自分はちょっと興奮した。暗殺とか、映画みたいなことあるんだな。すごいな、と思った。世界史の一場面だな、と思った。「殺されたで!」と同居人につたえ、さすがに、「え、ホンマに?」とおどろかれた。他の人はどう反応しているだろう。ディズニーランドの件もあって、ネットでも人気キャラだったんだな。女スパイってどんなのだろう。こんな反応する人がいるのか。などなど、ついツイッターを追ってしまうが、同居人はもちろんそんなことはない。概要をネット記事で読んで、一端保留だ。あとは自分のアタマで考えるのだ。自分は、他人の反応を知りたい、のだろう。で、碌に、自分のアタマでは考えない。他の人がどんな反応をしているか、というのを見て、自分の態度を決めているだけだ。あさましく、反応をあさっているだけ。今、同居人以外と何でもない雑談をする機会がほとんどなくなっており、それもあって、寂しいからツイッターを見る。一人暮らしのお年寄りが、ずっとテレビをつけているのと同じだろう、と思っていたが、もっと病理的なもんなのじゃないか、という気もしてきたのだった。

2017年2月13日月曜日

急にアクセスがのびて焦る

このブログはこれまで数人にしか読まれていなかったのに、昨日、突然1000以上のアクセスが。「ジャスティン・ビーバー」が面白いとツイートしてくれたよう。ありがとうございます。(今の今まで、ジャスティン・ビーバーって女の人だと思っていた。こういう名前の人が、底抜けエアラインの人を有名にした、ということだけ知識があった。)多くの人に読んでもらえるなら、もう少し丁寧に書けばよかったかな、という後悔がよぎるが、まぁいいか。折角なので何か更新したいが、構えると何も書けなくなるので、何か書きたくなるまで放置しておこう。とりあえず。