2017年2月15日水曜日

ツイッターばかりみている(あらためて)

気がつけば、ツイッターばかり見ている。まだガラケーを使っているので、見るのはパソコンで、だ。パソコンは、家に居る間はだいたいつけっぱなしになっている。必要のない時でも。たまには、消しておきたいと思うのだが、つい、つけてしまう。ネットサーフィン(ってもうあまり使わない表現か)ももちろんするが、ただただツイッターのタイムラインをながめているだけの時間も長くなってしまっている。で、同居人に白い目で見られている。こんな事件あったらしいで。あの人、死んだみたいやで。世事に疎い同居人に、そういう情報を最初に伝えるのは、ツイッターを見続けている私の方からというのが圧倒的に多い。そんな時、「そんなに情報あさってどうすんの」とバカにされる。いやいや、別に、情報を漁ってるのではない。ただ、流れてくるのだ。と言い返すのだが、なんの言い訳にもなってない。世の中で起こっている出来事を、自分は、どうやら特に知りたい方のようだ。知りたいのは当たり前だ、と思っていたが、よく考えてみたら、それほど自明のことでもない。いち早く知った出来事の数々、それらのほとんどが自分には関係がない。森羅万象、なにもかもが、関わりあっている、というレベルの話ならまぁ全くの無縁ではないかもしれないが、何日後かに知っても、あるいは知らなくても、だいたい何のマイナスにもならないのだ。金正男とみられる人物が暗殺された。このニュースに、自分はちょっと興奮した。暗殺とか、映画みたいなことあるんだな。すごいな、と思った。世界史の一場面だな、と思った。「殺されたで!」と同居人につたえ、さすがに、「え、ホンマに?」とおどろかれた。他の人はどう反応しているだろう。ディズニーランドの件もあって、ネットでも人気キャラだったんだな。女スパイってどんなのだろう。こんな反応する人がいるのか。などなど、ついツイッターを追ってしまうが、同居人はもちろんそんなことはない。概要をネット記事で読んで、一端保留だ。あとは自分のアタマで考えるのだ。自分は、他人の反応を知りたい、のだろう。で、碌に、自分のアタマでは考えない。他の人がどんな反応をしているか、というのを見て、自分の態度を決めているだけだ。あさましく、反応をあさっているだけ。今、同居人以外と何でもない雑談をする機会がほとんどなくなっており、それもあって、寂しいからツイッターを見る。一人暮らしのお年寄りが、ずっとテレビをつけているのと同じだろう、と思っていたが、もっと病理的なもんなのじゃないか、という気もしてきたのだった。

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