2020年2月7日金曜日

淀川にちかい町、から

 先日、引越した。ハンドルネームの由来である淀川の側から離れることになった。「よどがわ」を使い始めたのは、mixiで日記を書きはじめてからだ。その頃は、西中島南方近くの風呂なし共同トイレのアパートでひとり暮らしをしていた。淀川区だし、本名に近いし、子どもの頃からハゼ釣りなんかをして遊んだ愛着のある川だし、ということで使い始めた。たまに遠くから帰って来て、淀川が見えてくると故郷に帰った感を抱いたりもする。任期付きだがまともな給料をもらえる仕事につけることになり、それを機会に長く付き合ってきた現同居人と二人暮らしをすることにした。2万円の木造アパートから、十三駅すぐそばの高層階のマンションに移った。にぎやかで楽しい場所だったが、そこでの生活は何せ初めて他人と暮らすことになったというのもあり、お互いに色々うまくいかないことが続いたりして、諍いばかりであった気がする。そんなに昔ではないのに、とにかく記憶は曖昧だ。この頃から、心身の老化も実感するようになり、記憶力が弱くなってしまったというのもある、かもしれない。条件の良い仕事の期限が迫り、どうやらその後はただただ貧乏な未来にむけて進んでいくだけ、という「展望」が見えてきた。月8万近くの家賃は到底払えなくなるから、出るしかなかった。

 とりあえず、経費削減のため格安の家賃だった千里ニュータウンの外れにあった官舎(任期付き教員にも権利があった)へ入ってみたが、諸条件が精神的に合わず一か月で出て淀川区に戻った。どんなに長くても一年半ほどで出なければいけない所だったが、それすら二人とも耐えられなかった。今度は淀川のすぐそばで、阪急十三駅からは少し離れたがJRの塚本駅も使えるなかなか便利な所だった。老々介護状態でほったらかしにしていた実家の様子も自転車で覗きにいけた。細かく「良さ」を描いたらすぐにどこか分かってしまうからはぶくが、場所も部屋も、なかなか気に入っていた。十三駅そばのマンションよりは、家賃も少し減らせた。途中、同じ集合住宅内で引越しをした。ベランダから淀川が直接見わたせる部屋にかわったのだ。合わせて約10年その地域に住んだ。この間は、ツイッター依存が深刻化した期間でもあるからツィート検索をすれば色々思い出せるはずだ。良いことも少しはあった。人生の重い宿題になってしまっていた単著の執筆も何とかできたし。

 生活上の難がいろいろ出てきて、そろそろ他に替ろうということになってきたのは、二年ほど前から。父親が要介護で、かなり危ないという状態が続いている間は、引越しのタイミングが無かったが、去年の秋にあの世にいってしまったので、それをきっかけに、という訳でもないが、何となく動き易くはなったため、本腰を入れて探すことにした。仕事先が幾つかにわかれているから、阪急とJRが共に使える前の家の交通環境は大変ありがたかった。梅田なら自転車で15分もかからずに行けたし。これまで同様、大阪市内の便利で賑やかな下町に住み続けたいという希望はあったが、家賃を考えると難しかった。いろいろ探しまわり、尼崎の「競馬場のある町」に落ち着いた。東京では「こじゃれた3畳間」さえ借りられない程の家賃で、3部屋以上ある家を見つけることができた。初期費用もあまりかからずに助かった。前に住んでいたのと同じく築年数の大変古い集合住宅で、前はあったエレベーターがなく、毎朝、足腰を無理やり鍛えさせられる、という難はあるが、駅までも辛うじて徒歩圏だし、住み心地は今のところ悪くはない気がする。

 この「競馬場のある町」は、実は10歳まで住んでいた文化住宅のすぐ近くでもある。最初はそんな所に戻ってくることは全く考えていなかったのだが、仕事、家賃、実家との距離などを総合して考えると、一番条件にあった町だった。希望としては同じ尼崎市でも、開発が進んで大変便利で賑やかになっているJR尼崎駅近所に住みたかったのだが、家賃が高かった。阪神沿線は庶民的でいかにも「アマ」という感じで、一度は住んでみたいという気持ちもありつつ、自分にとっては通勤のアクセスが悪い。ということで阪急沿線に、となると、高級住宅地のイメージもある武庫之荘、急行の停まる塚口に比べて、「競馬場のある町」は、普通電車しか止まらず「比較的、お手頃になっております」(不動産屋談)とのこと。近くに川もあって、案外、環境もいい。別に静かさを望んでいたわけではないが、落ち着いていること自体は悪くはない。かといって寂し過ぎて堪らない、という程でもなさそう。というわけで、40年ぶりに尼崎市民に戻ることになった。公営ギャンブルをテーマに研究してはいるが、専門の競輪以外は、ほとんどギャンブルをやらない(収入がないからだろうが)から、競馬場をめざして来た訳ではないけれど、空間としての競馬場は好きだし散歩で行けるのはちょっと楽しみである。

(写真は、地方競馬の人気があった頃に使ったであろう臨時ホーム。今は全く使われてないよう。)



 人生は旅のようなもの、などと言うが、自分の旅は「散歩」みたいなものだ。子どもの頃は、将来は「東京」か、どこか遠くに住むことになるに違いない、と思い込んでいた。しかし、実際の人生は、地球儀で見たら、一本の針で刺した範囲内でしか動いていない。色んな所に住む経験をしている友人、知人達が本当に羨ましい。ずっと「地元」近くにいるのに、いわゆる地元の友だちは1人もいないし、コミュニティ的なものにも一切参加していない。ただただ、動いていないだけなのだ。これまでもそうだったが、今回の引越しの「振り出しに戻る」感は、笑ってしまうほどだ。たまたまこのあたりが安く、良い物件があった、という風に思っているが、ここまでになると、潜在的に「戻ろう」という意識があり、それが作動したということなのかもしれない。なぜ、そうなのかは分からない。父が死んで、両親が結婚して住み始めた町のすぐ近くでもう一度生活しようだなんて、どれだけ親に縛られているのか、と思わなくもない。が、よく分からないから、まあ、いいか。古巣だと言っても、子どもの頃遊んだ幼なじみでつき合いのある人は1人もいない。まだこのあたりに住んでいるかもしれないが探す気はない。

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 というわけで、引越しをして、ちょっと気分は変わりはしました。「よどがわ」というハンドルネームは愛着があって使い続ける予定ですが、これからは「競馬場の近く」に住み、競艇もある自治体なのに、なぜか競輪を研究している「よどがわ」ということで、ややこしいですがよろしくお願いします。どうしても引越し祝いを送りたい、という人には住所を教えますので、DM下さい^^;