2018年9月19日水曜日

知らない人への部分的メッセージみたいなもの

九州大学の元大学院生が研究室に放火して自殺するという事件があった。苦学して大学院に進学し、研究職への就職をめざしていたが叶えられず、不安定な生活が続き、行き詰った末の決行ではないか、という「背景」が報道された。ツイッターでは、アカデミズム界隈の方々から、「他人事ではない」「彼は自分だったかもしれぬ」という反応が、方々から聞かれた。自分も、当然、心にひっかかる事件なのだが、ニュースが耳に入るのと、ほぼ同時くらいに、それらの反応を目にしたので、何となく白けた気分になった。他人事ではない、と語っている多くが、すでに、彼が陥っていたとされる、苦しい「その状況」から抜け出した後の人たちに見えたからだ。何となく、今時の表現(なのか)を使うと、「上から目線」を感じた。自分は生き残った、抜け出した、ああよかった。そのことにしみじみと安堵した上での、もしかしたら自分だったかもしれぬ、に見えちゃったのだ。間違いなく、僻み根性による、歪んだ見方である。全部のツイートに目を通したわけではないが、多くが誠実な感想表明だったように思う。大学人らしく、個々の問題を、社会的文脈に結び付け、「みんなの問題」として、捉えなおしたような。学ぶべき意見もあって、それを認めた上での、個人的な白け、だ。彼と同じような、と多分思われる「その状況」にいる自分は、彼が自分だったかも、とは全く思わなかった。他人事だ、と思った。自分事だ、と思ったら、やってられないから、かもしれない。知らんがな、と思った。

安定した研究職に就職する見込みは、ほぼない。「ソフトランディング」して、他の道に行く機会も既に逸した。手に職もない。かといって、やってきたことを全部投げ出して、完全フリーアルバイターとして生きるのは、つらい。その労働時間、どんな葛藤に苛まれるかと考えると、とてもまともではいられない。何とかしなければならない。でも、じゃぁ、今、何をどうすればいいかは分からない。そういう状況は、ほとんど私も一緒だ。『西日本新聞』のネット記事一本を読んだだけだから、そこに書かれていたことから解釈した、記者の解釈を私が解釈した、彼の「状況」に過ぎないが。彼は、もうバイト中心に移行していたようだ。自分は、まだ、大学周りのアルバイトだけで済んでいる。ただ、今の所、再来年には何かはじめないと厳しそう、というのが予定されている。年齢は、彼より私の方が上だ。もちろん、それはマイナス要因だ。年齢差別が、この社会(全体社会と大学業界ともに)で如何に強いか、「老眼の若手」の居づらさを、彼も感じていたんじゃないか、と勝手に想像してしまう。「普通の若手」と交流を断っていたらしいし。それくらい、「同じ」だからこそ、彼我の違いにしか目が行かなかった。いやいやいや、一緒にせんといてくれ。違う違う、あんたと私は全然ちゃうで、と。

彼は死んだ。私は生きている。「その状況」から抜け出したからではなく、同じような状況にいるが、生きる方を選んでいる。その点で、彼と私は、決定的に違う。もちろん、死にたいと思ったことが全くないわけではない。が、そんなの、誰だって一回や二回あるだろう。老眼になるくらい生きていりゃ。いくら似ているように見えても、全く違うのだ。「自分だったかもしれない」と気楽に(ってことはないのでしょうが)言えるのは、全然違う状況にいることを、心の底から実感できているからじゃないか、良いですね、簡単に同一化できて、なんて思っちゃうのだ。そんなことはないのです。それは分かっているのです。苦労して、抜け出した人たちが、自分の過去の経験から、ヒリヒリするような思いからの「理解」なのは、重々承知です。それでも、気楽に見えてしまうのです。これは誤解しないで欲しいが、資格の話をしているのではない。自分の方が、彼の気持ちが分かるんだ、なんて言っているのでは全然ない。私は、分かりません。彼の気持ちなんて。誰にも、自分はよく分かっている、なんて特権的に言える権利はないんじゃないか、ということです。(もちろん、個人的な知り合いは別です。)もちろん、社会で起こった出来事に、各自好きなことを言うのは大事なことであり、当然自由だから、皆好きに言ったらいいし、自分もこうやって言っているのだが、簡単に理解されたり、分かられたりされるのは、かわいそうだ、という気がするのだ。

繰り返しになるが、自分もあの時代に苦労したから、だから「分かる」という人の気持ちも「分かる」気がするが、出口がないように見えた「その状況」は、そこから抜け出した瞬間に、もう、完全に別のものになっているのではないか。どんなギリギリでも。今日、抜けた、という人も。その瞬間に、「出口のある状況」での苦労物語になっているのだ。出口を信じて、自分を信じて、時に不安になりながらも、前にすすめた。そして、見事、出口を見つけたのだ。「その状況」の特徴は、出口がないことであり、出た人が経験したのは、もう「その状況」ではないのだ。それは、もう、全く違う経験だ。「同じ経験をした」なんて言えないのではないか。それがあっと言う間だった人も、「平均」よりグッと長かったという人も、抜けた人は、抜けたのだ。出口があったのだ。彼には、無かった。結果としても、無かった。少なくとも、望んでいただろう出口は。あと5年頑張っていたらどうか。そんな想像は虚しい。もうダメだったのだ。この辺は、めちゃくちゃ勝手な想像だが、彼自身、後期若手時代的状況を自覚し始めてからは、どんどん出口の実在の可能性を信じられなくなっていただろう。この可能性っていうものが、またくせ者で、確固たるデータなんて何もないのだ。周りの様子を見る。こういう例もあった。ああいう例もあった。一般的には、これこれこうと言われている。それら自分が見聞きしたモノから生まれた状況定義にすぎない。もうだめだ、と思い始めて、かなり経っていただろう。論文なんて書けなくなっていたと思う。そんな「その状況」を、出口のあった人が、自分も経験してきましたよ、みたいに語られると、ちょっと辛くなる。彼がかわいそうに思う。そんなの、経験していないでしょう。自分も、経験はしていない。似ている所があるだけだ。彼の公式的な立場から推定できる何かについて、大学院に行ったことがない人よりは、ちょっと詳しいかもしれないくらいのもので、何が彼を追いつめたのか、なんであんなことしちゃったのかについては、全然分かりません、ということなのだ。

何で死んだんや。なんで研究室に放火なんかしたんや。アホか。いろいろあったんだろう「その状況」の他にも、辛い事や、悩みが。バイト先で嫌な奴にあったんと違うか。介護の問題とかもあったんじゃないか。ベタな想像で悪いけど、恋愛で苦しんでいたとか。「その状況」以外に、苦しい事がいっぱいあったんやろ。気の毒に。そやけど、自分も含め、こうやって日本中から、「分かる」とか言われてしまうんは、あんたが悪いんやで。研究室で死ぬなんて、なんでそんな象徴的な行為をしたのよ。言葉があるでしょ、言葉が。腹立つことがあったんなら、嫌な奴がいたのなら、それ書いておいてよ。あの時の、あの一言がショックだったとか、あれが気になって仕方なかったとか、何でもいいから。自分に不甲斐ないと思ったのか。宅配のバイト、辛かったですか。勉強したかったですか。もうどうでもよくなりかけてましたか。どうなんですか。論文書けない気持ちは、申し訳ないが、よく「分かる」気がする。でも、読み書き能力は、別に研究のためにあるもんと違いますよ。研究にも使えるだけで、コミュニケーションの道具なんやで。文系なんやし、折角それなりにもっている道具があるんやから、何か書いておいてよ。ネットもあるんやし、見える場所に。それが読まれて、「分かる」「分からん」言われるんなら、別にいいがな。コミュニケーションなんて部分的に伝わったら上出来なんやから。無言で象徴的行為をしてしまうくらいなんやったら。それしかどうしようもなかったんやろうけど。書くような気力なかったんやろうけど。自分用には何か書いていたのかもしれないけど。黙ってやったら、どんなしんどかったかしらんが、自己中心的な、幼稚な愚行と判断するしかないやないですか。そんなことしたら、「気持ちを読み解いてよ」と、誰かに甘えてるだけに見えるやないですか。知らん人なのに、勝手に乗っかって、自分が何かを言うための素材にしてしまい、申し訳ないです。自分は何の迷惑もかけられてないのに。ごめんなさい。でも、あなたの気持ちはよく分からない、とだけは言っておきたい。

自分もそのうち死ぬでしょう。当たり前だけど。一応、自然なお迎えが来るまで待っているつもりではおりますが、人生何があるかわかりません。さっきも書いたように、私ら同様、似非インテリな皆さんなら、一度や二度は、ああいっそのこと、と思い詰めたことくらいあるでしょうし、これからも絶対ないとは言えません。「その状況」からの出口があった人でも、それは当然、いろいろあるでしょうから。だから、まぁ、しないようにはしますが、もし、そんなことになったとしてもですね、「ああ、彼も「その状況」に苦しんでいたからなぁ、気の毒に」とか勝手に分からないでください、とお願いしておきます。(誰にお願いしているか、というと、半分は自分に言ってます。)私は、別に、日々、全面的な苦しみにあえいではおりません。部分的には、いつも幾つもの不安に苛まれていますが、そんなの「普通」でしょう。実際、お金で解決できることがめちゃくちゃ多いので、ツイッターなどで愚痴はこぼし続けるかもしれませんが、暑い、とか、地震怖いな、とか、白菜高いな、とか、そういうものと、同種のものですわ。「ソフトランディング」云々、も、そりゃもうずっと考えています。動きが遅いだけで。パッと動けるようなら、もうどうにかなってますわ。何の話や。えー、だから、もし、万一、そういうことになったら、今では想像できないような、それなりの理由がいろいろあったからに違いないのです。仕事上の不遇と関連する諸々は、そのうちの一つではあるでしょうが、たぶん、その時の自分を突き動かした主要因ではないはずですので、ひとつ、その辺、よろしくです。

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/450029/

2018年9月5日水曜日

淀川を渡る暴風

今の住まいは、淀川のすぐそばの古いマンションで、ベランダから河川敷越しに梅田の高層ビルも見渡せるなかなかの絶景なのだが、遮る物がないため、普段から相当に強い風が吹いている。今回、「非常に強い台風」がほぼ直撃ということで、ベランダに物を置かないでおく、というくらいの緩い警戒は一応していたのだが、まぁでも倒れるわけはないし、万一洪水でも3階から上は大丈夫だろうし、と、どっちかというと非日常を期待するような気持ちの方が強かった。多くの人も同じだろうけど、風が強くなる直前まで(うちで言うと午後2時位)ちょっと風が強いかなって程度で、JRが前日から運休予告したり、色んな店舗が休業していたりした割には、それほどでもないかもな、なんて思っていた。

が、暴風圏に入ると、想像の何倍という激しい風が吹きあれた。淀川の水面から水しぶきが吹きあがる。河口から潮が逆流しているのが、はっきりと分かるように、どんどん水位があがっていく。いつも、少年野球やサッカーチームが練習しているグランドも波に飲み込まれ、バックネットやサッカーゴールなんかも激流にながされている。うちの部屋は、ベランダに面したアルミサッシが古びているため立てつけが悪いのだが、突風にガタガタ震えはじめ、これは壊れちゃうんじゃないかというくらいだった。同居人と二人で、変化する様子を、すごいなと半分笑いながら眺めていたのだが、すぐに余裕がなくなってきた。防災的には、こんな時は、窓から離れてじっとしておくべきなのだろうけど、ガタガタの揺れが破壊につながるような気がして、半身になって窓全体を抑えていた。アニメの竜巻シーンみたいに、色んなものが空中を飛びまわりはじめた。時たま、風の塊りが波しぶきをまとめて、ぶつかってくるみたいに吹きつけてきたりした。このサッシ、とても持たないぞ。ぶっ壊れたら、部屋の中めちゃくちゃになるな。いや、ひょっとして、死んでまうんじゃないか…。頭の中が真っ白というほどではないが、どうしたらいいかよく分からない状態になっていた。とにかく、怖かった。激しかったのは、小一時間か。体感としては、もっと長かった。やがて、ピークを過ぎたのがはっきり分かってきて、ようやくツイッターを覗いたりする余裕が生まれた。

ニュースで、状況確認。各地の被害、あの風なら、そりゃそうやろうと思う。そにしてもJRの予告運休はほんとに英断だ。都市全体を無理やり休業に持って行っていたからこそ、これくらいの被害で済んだのだろう。ちょっと前に、たまたま大阪の水についての番組で、大正区のかつての水害の話を見たところだった。室戸台風とか伊勢湾台風の時、海抜ゼロメートルのあの地域がどれだけ水害の被害にあったか、それ以降、3メートルも地上げしたり、防潮堤整備したりして被害はなくなったという話だった。この辺りも、ゼロメートル以下地帯で、それらの台風の時の被害はすごかったはず。子どもの頃、社会科の時間でちょっと勉強したような。それらの過去の教訓が生かされて、土木整備がされたからこそ、この程度なのだろう。気象学とか、土木技術が、過去の経験を引き継いだ知恵の結晶であり、それを行政が生かすことの重要性にあらためて気づかされた。

5時位から、堤防の上にも人の姿がちらほらし始めた。ピークの時は、流石にどんな命知らずの野次馬でも立っていられるような状況じゃなかったが。満潮の時間を念頭においても、大きな危険は去っただろうと判断し、私と同居人も、辺りの様子を見に出かけた。近くの緑地帯では、大きな木が何本も根こそぎ倒れていた。道路では横転しているトラックもあった。瓦がところどころはがれている家もあった。公園の近くでは、交通標識が一本、ぽっきり折れていた。テントみたいなものが、電柱に引っかかっていたりした。

そんなこんなで「非常に強い台風」は、とても恐ろしいものだ、ということを実感しました。気象予報士の方々がツイッターなどで鳴らしていた警鐘は、本当にその通りでした。今回の、そしてこれまでの諸々の自然災害で被害にあった人たちの、怖さ、これまでよりはもうちょっとだけ共感をもって分かるようになった気もします。すぐに喉もと過ぎた感じになってしまうとは思いますが。

河川敷を高潮が飲み込んでいた時

中学生が「インスタ映えや!」とハイテンションで撮っていた。他人の不幸を何やと思てんねん、と言いながら、自分もパチリ。運転手さんは無事だったよう。

近所の緑地帯、大きな木が何本もバッタリ。抜かれてしまうことになるんやろうか。

少年野球のネット。ゴミがたまっていた。

どこまで水が来たのか、一目瞭然の「ライン」ができていた。

2018年9月3日月曜日

日記も書けない

ブログは更新しなくても、自分用の日記(のようなもの)は書いていたのだけど、ここ二週間くらいはそれも止まりがちになっている。忙しいから、ではなく、むしろ反対、自由が多すぎて何も手につかないような状態に近い。情けないが、だいたいいつもこの時期はこんな感じになる。講義が始まったら、とても忙しくなるから、自分のために、自分の「本当にやるべきこと」のために、積極活用すべきなのだが、そう考えるだけで身体が固まってしまう。ちょっとはマシになったと思ったのだが、人間性なんて簡単には変えられない。これまでためしてきた打開策をちょっとずつ実現させていくしかない。旅行に行ったりもしたかったのだけど、その計画を立てることすらできなかった。もっとシンプルに考えるようにしないと。とはいえ、競輪場に行ったり、懐かしい人にあったり、ちょっとは休みらしいこともしたので、ぼちぼちここでの「公開日記」も更新しよう。