2012年3月11日日曜日

釜山港に帰れ 돌아와요 부산항에 (6)

  釜山港の出国ロビー。
 帰りもショーが。手品師。のど自慢大会が催されたが、エントリーしたのは日本人の兄さん一人だけだった。韓国のヒット曲を歌って、当然優勝。スイートルームに移る権利をもらっていた。そんなことなら出たらよかった。とにかく、帰りは、平日だったため、行きの半分くらいの客だった。私もNくんもキョンジュでの吹雪以来、ちょっと風邪気味。私は、まぁ、年のせいだろう、連日動き回ったということだけで、結構ヘトヘトになっていた。行きのフェリーで片付かなかった宿題、校正作業をヘロヘロの体力で片づけながら、船で過ごす。
一番安い船室のある通路。

というわけで、船中二泊、現地三泊の旅は終了。

釜山港に帰れ 돌아와요 부산항에 (5)

  市場のすぐ裏は、海。貿易港と、大阪、福岡、対馬、下関などと結ぶ国際旅客船舶港と、漁港と、港のすべての要素が詰まった巨大な釜山港は、見るからに活気にあふれていた。
  国際市場という、おそらく闇市などから発展したのであろう商店街へ。
  古本屋街にもいく。このあたりは、去年の秋にも散歩したところだ。資本論の韓国語訳が。今の韓国は新聞でもほぼまったく漢字を使わない。漢字復活したらいいのに。
  豚の枝肉が外から見える。
  鯖。
  行くところもなく、釜山大学に行ってみる。若者の街になっているというので。大学の近くにいろんな飲屋や服屋が並ぶ。屋台なんかも。こういう環境は、日本の大学にはないなぁ。この写真は、大学の敷地内に作られているショッピングセンター。国立大なのに、こんなことになっている。新自由主義化というやつだろうか。
  やきとりサラリーマン金太郎。無許可でしょうねぇ。日本料理店(日式食堂)は、かなり数が多い。
  カレー。きいろめしや。
  東菜温泉という釜山市内の温泉地にいく。ここには、無料の足湯があった。テレビ番組でロケしているのを見たところを回る感じになってしまった。近くの山にハイキングに行った帰りの年寄連中が数多くいた。60代以上の韓国の人たちに交じって足をつける。最初に足をあっちで洗うんだ、というようなことを最初に注意される。結構熱い。じろじろ見られる。本を読んだりしている人も。
途中から来たおっちゃんは、手に日本語会話のテキストをもっていた。商売で使うために勉強中なのだろう。日本語通じる、ということになって、ガイドブックになんか載せてもらえば、そりゃ売上大きく変わるだろう。なんかからまれるだろうと思っていたら、案の定、「日本の方ですか」と声をかけられた。はぁ、と答えると、すみませんが、これをどう読むのか教えてください、と持っていたテキストをこちらに見せる。
「私には難しすぎてわかりません」という例文だった。「む、ず、か、し、す、ぎ、て、~」とゆっくり区切って読んであげた。 「あー、ありがとうございます」とまたテキストに戻られた。
難しすぎて、という発音が、難しすぎて、分からなかったのだな、というのがちょっと面白かった。
  チェーンのフグ屋。1000円ちょっとのフグ鍋定食。あっさりしたあじ。旅だし、ということで、昼間からビールを一本あけて。
その後、温泉地に新しくできたスパ施設に行った。行ってみたら、新世界にある世界の温泉スパワールドと、ほぼ、同じようなものであった。
最後の夜の晩飯は、宿近くにあるホルモン横丁に行く。適当に人が入っているような店を探して突入。座ると、二人分のホルモン盛り合わせを用意していくれる。ちょっと堅気の商売をはじめた桂銀淑と言う感じのお姉さんが焼いてくれる。出来上がったら、ほれ、食べなはれ、と言う感じで切って皿にのせてくれる。ホルモンは、在日料理だったはずだが、釜山でも定着しているよう。てっちゃん、みの、マルチョー、なんかが出たよう。詳しく知らないのでよくわからず。とてもうまかった。日本だと、別料金をとられる葉っぱ類がタダというのは、やはり素晴らしい。腹いっぱい食べて、一人、1000円程度。日本円が高いからというのもあるが。

釜山港に帰れ 돌아와요 부산항에 (4)

 次の日。もう、特に見に行くべきところもなさそうだったので、宿の近所を見物したり、『地球の歩き方』に出ていたスポットを散歩しますか、ということになった。宿は、チャガルチ市場という、海鮮物の卸問屋街に近いところにとった。海産物の匂いがただよう漁港近くの下町の雰囲気。
カレイとエイの干物。
アワビなど、新鮮なものが並ぶ。ここ自体、観光スポットになっていて、観光客の姿も。これは、ベトナムからのツアー一行。歩いていると、日本語で、刺身を食べろと声がかかる。ガイドブックには、結構高くなるので、チャレンジのつもりで、というように書いてある。暗に食べるなというような表記。魚などをここで買い、二階の食堂でさばいてもらって食べることができる。2人で、3000円にしとくよ、と言われて、それなら安いかもと思ったが、まだ朝だったので、また来ますと見物だけに。
これって、ホヤ?大量にならんでいた。

2012年3月7日水曜日

釜山港に帰れ 돌아와요 부산항에 (3)


次の日は、キョンジュ(慶州)へ行った。新羅時代の都で、奈良みたいな感じ、とのこと。韓国の歴史については、高校世界史レベルの知識(それももはやぼんやり)しかないので、 どうしても行きたかったってわけでもないのだが、奈良出身の同行者N君のすすめもあり行ってみることに。韓流ドラマは、現代劇しか見ていないのだが、時代劇を見てる人には、おなじみの人物の史跡が数々あるような地域らしい。上記は、KTXの新キョンジュ駅。釜山から20分ほど。キョンジュの町中からは岐阜羽島的に離れているので、ここからバスに乗って中心地へ。
 
 
市内のバスターミナル到着。ここで、レンタルサイクルを借りて、市内の史跡を回ることにする。2時間500円くらい。日本語、英語全く通じないおじさんとジェスチャーで交渉する。帰ってきたら1時間以上オーバーだったが、別に追加料金もとられることなくすんだ。 

 

無造作に古墳の群れが登場。雑草が生えないようにきれいに刈り取られ管理されている。埋葬人不明のものも多いみたい。ポコポコ並ぶ小さな古墳たち。見ているだけで面白かった。日曜だったので、観光客も多かった。高松塚古墳みたいに、中に入れるようになっているものもあった。

 
地球の歩き方に乗っていた古墳群横の葉っぱ飯屋さんに行く。たくさんのおかずとごはんを、いろんな葉っぱ(ゴマの葉とか小松菜みたなのとか、わかめとか)に包んで食べるヘルシー伝統食。一人前10000ウォンくらいだった。歴史趣味の店で、古い新聞やコイン、あるいは、赤ポストや公衆電話、なぜか昔のセーラー服なんてものも展示していた。
 
 
新羅時代の天文台らしい。『善徳女王』とか見ると登場する、らしい。 
 
観光客向けの馬車。くたびれ、あまりにもケアされていないのが丸出しなお馬さんの姿が、何とも切なかった。キッチュなデザインの馬車は、この後、アスファルトの上を疾走させられていた。車にプップッとクラクションならされながら。 
 
子供向けのいろいろを売る屋台。キティちゃんは人気のよう。

この後、入館無料の大型博物館を見物し、自転車を帰して、街から外れたところにある仏国寺までバスで移動する。40分程度バスに乗った。
 
世界遺産に指定されている仏国寺の山門まで5分くらいある場所のバス停で降りる。観光バスなどもとまる駐車場の一角に怪しい車が。「性博物館・ラブキャッスル」と書いてある。どうも、秘宝館みたいなものらしい。ちょっと行ってみたかったが、時間の関係でパス。観光地の近くにこの手のものがある、というのは日本と似ている。熱海や伊勢に確かあったんですよね。今でもあるのか。他の国、全然知らないので、世界共通かもしれないけど。 

 
仏さまは、内部から撮影禁止になっていた。 観光客がほとんどだが、仏殿に上がって近くで拝もう、というような人はちゃんと信仰のある人たちだけのようだった。その人たちは、韓国式の立ったり座ったりするお祈りをしていた。

ここからさらにバスにのり、ソックラム(石窟庵)に行く。http://www.tabijin.com/setkutsuann.htmlここなど参照。写真撮影だめだったので、外から。このあたり、結構な山であった。釜山の初日は大阪と同じくらいの気温だったのだが、キョンジュは、あるいは、この日は結構冷え込んで、二人ともちょっと風邪気味になってしまった。ここでもバス停から、ソックラムまで10分程度山道を歩かされる。途中で、徐々に雪が降り始め、帰りには吹雪になった。


 
最終バスがあるため、急いで駐車場に戻る。本当に冷え込んだ。

 
キョンジュ市内の高速バスターミナル。帰りはバスで釜山に戻ることにした。一時間程度。しかし、釜山市内のバスターミナルが大分町はずれにあるので、そこから市街地の宿のあたりまで帰るのにさらに40分くらい。ヘトヘトだった。去年、一度行って美味かったカルグクス(うどんと素麺の間みたいな麺)屋さんに行って食べ、宿に戻って早めに寝た。
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2012年3月5日月曜日

釜山港に帰れ 돌아와요 부산항에 (2)

  いろいろ片付かない宿題を持ってきてしまった今回の旅。まじめなNくんがいなければ、とっととあきらめているところだが、夜まで二人でけっこう頑張った。もういいか、というところでワインをあけ、酔っぱらったところで船室へ。二段ベッドが二つある船室。ちょっと怖そうな韓国人のおじさんが、一人同室だった。で、あとは寝るだけ、だったのだが、4時くらいに関門海峡を抜けると外海になり、瀬戸内海でのおだやかさがうそのように上下に揺れるようになった。半分起きているような、変な睡眠。Nくんは、変な夢ばっかり見ました、と言っていた。朝飯食べて、ちょっとすると、陸地が見えてくる。

 釜山港に停泊していた軍艦。こういうものを見ると、つい、写真が撮りたくなる。
 
 出国の手続は、飛行機とはくらべものにならないくらい、適当だった。ハイジャック的な制圧は無理、と踏んでいるのか。ただ、釜山港での入国手続きは、だいたい、飛行機なみ。機械で、指紋の写真も撮られたし。税関で、「アジョシ!(おっさん) アンドェ!(ダメだ)」と怒られた。たしかに、写真ダメシールがある。 言われ慣れてないから、アジョシよばわりにカチンとする。もちろん、アジョシ以外の何者でもないのだが。
逆さクラゲマークは、旅館の印。旅館には、ラブホテルを兼ねるようなものから、商人宿みたいなものまでいろいろ。ここは、ネットで探した1泊2500円程度の安宿。ここから入って3階に部屋がある。地下は、銭湯になっているが、時間があわず結局帰るまで入れなかった。今度は、ぜひ、行ってみよう。

  釜山近郊(と言っても大阪と和歌山位離れているところ)が実家の留学生Jさんが帰国中だったので、この日は遊んでもらうことに。彼女は大学はソウルだったので、実は、釜山をほとんどしらないとのこと。一度行ってみたかった、という、有名冷麺店に行く。いわゆるイメージ通りの冷麺だった。なかなかうまし。その後、海雲台という釜山のリゾート地に行く。

  海雲台にあった服屋さん。屋号は、「東京大学」。なんでだ。
  その辺にあるいていた、犬。飼い犬らしいが、だいたい、放し飼いが基本らしい。そのため、変な混ざり方をした犬が多いらしい。私の同居人の説だが、これなんかも確かにそんな感じ。

 入隊中の皆さん。休暇なのか。除隊近くになると、休みが多くなるのだそう。女の子同士もそうだが、韓国の人たちは男同士でも、よく肩を組んだりして仲よさそうに歩いている。

 
季節外れの、臨海リゾート地。その割には、多くの人が歩いていた。週末だったからか。今、韓国のこのあたりは、マンション建設ラッシュでバブル気味なのだそう。地震のない韓国の、中では比較的温暖で便利な釜山近郊のマンションを買おうという金持ちが多いらしい。 もちろん、日本人もたくさん買っているよう。

  カモメが沢山いた。韓国で「水鳥」を見ると、つい、イムジン河を思い浮かべてしまう。飛びゆく鳥よ、自由の使者よ。が、このカモメたちは、そういう情緒から縁遠いような感じだった。観光客の投げるえびせんを目当てに集まってきていた。ちょっとヒッチコック的な迫力があって、キャーキャー言いながら皆が写真を撮っていた。私たちもまた。
  砂浜だけ見ると、これが「日本海」という感じはしないが、端の方は磯場になっていて、少しそんな感じもした。
故郷の釜山で仕事を見つけて働きはじめた元留学生のHさんとも合流して、サムギョップサルを食べに行く。一人前、600円くらい。それでも、高くなったとのこと。とにかく、葉っぱ類がタダ、というのが大きい。

釜山港に帰れ 돌아와요 부산항에 (1)

大阪釜山間のフェリーが、春休み特価で往復1万6000円という格安だということを知り、釜山へ行ってみることにした。 1週間くらい前の話。一回り年下のNくんと一緒に。
フェリーは、週に3回しか出港しない。帰りの便もフィックスする必要があるので、こまかな野暮用などを合わせると、スケジュールに余裕がなく、この日程となった。特に、旅行中行くところも決めず、国際線のフェリーに乗る、ということを最大の楽しみとして出かけた。
2年前、新門司から大阪へ帰る船に乗ったのと、大学生の時、クラブの合宿に行くのに、高知、宮崎に行くのに乗ったのが、私の長距離船に乗った数少ない経験だ。大学生の時の記憶はすでにほとんどないので、無いようなものだし、何と言っても、国際線は初めてだったので、本当に楽しみだった。
15時に大阪を出港し、瀬戸内海を通り、釜山に到着するのは、翌朝の10時だ。
大阪南港の国際フェリーターミナル。日本で仕入れた物品の用意をする韓国の人たち。僕たちは、近所のスーパーで、ビールと安ワイン一本だけ買って、乗り込んだ。
 このフェリーに乗ったことのある人たちから、「港からもうすでに韓国ですよ」ということを聞いていた。確かに、異国情緒あふれていたフェリーターミナル。だが、春休み期間ということもあり、また、フェリーの割引セールもあって、4割くらい日本人もいた。このファッションは、韓国人に違いない、と思った人が、日本語で話していたり、その逆だったり。ファッション、メイク共に、若い世代になればなるほど、差異が無くなっている。年齢が高くなればなるほど、文化的な差異は明確に表れる。

これが、われらがパンスタードリーム号。貨物を積んでいる様子。
 大阪港を出港。海のなんとか館、など、大阪五輪招致計画などバブルを象徴する無駄遣い施設は、海から目立つ。

 明石海峡大橋を通る。この頃までは、まだ温かかったが、徐々に、寒くなり甲板で海を眺められるような状態じゃなくなる。一般船室にも、共同スペースにもほとんど窓がなく、巨大なカプセルに乗って移動しているようなものになる。

 晩飯、朝飯セットで、1200円くらい。バイキング方式のビビンパ。おいしかった。

 9時から、ショーが始まる。ロシア系の女性のダンス、チェロ演奏、この兄さんはサックスのソロ演奏。大音量のカラオケをバックに。客いじりばかりするMCの韓国人のおじさんが、日本語をちょっとまじえながら進行する。まだらな客。最後は、手品。ここでショーをした人たちは、ご飯の時になると給仕の仕事をさせられている。韓国人の手品師以外は。給仕スタッフには、フィリピンの人も何人か。スタッフのメインは、韓国人。みんな、どれくらいもらうのだろう、ということが気になる。「国際」性をアピールするために安く搾取される可視的「欧米人」としてのロシア系の人々、ということについて、ちょっと考える。しかし、船に乗る人生、というもの悪くないかもしれない。が、すぐに、あきるだろうなとも。