2019年1月20日日曜日

園田競馬で初当り(年末年始③)

正月4日は、誘われて園田競馬に。家から最寄りの公営ギャンブル場がここだが、来たのは人生で4回目くらいか。某所で競馬の歴史について講義したりしているのだが、遊びとしての競馬の知識はほとんどない。人生の綾で、公営ギャンブルが研究テーマになり、ファンの視点を持っていたいので関心のある競輪だけは車券買って遊ぶが、他のギャンブルはほとんどやらないのだ。パチンコなんて、人生でトータル2時間くらいしかやってないと思う。でも、まぁ嫌いという訳ではないので、誘われたらついていく。

同行したのは、大学のプロレス研究会仲間で、ツイッターの競輪クラスタでも知られる競輪病患者の桂輪太郎さん。彼の「世を忍ぶ仮の職場」である一流スポーツ新聞社で園田競馬を担当している「プロ」が一緒だというので、これは勉強になるだろうと行くことにした。他に職場の女性スタッフも一緒だった。桂輪さんの誕生日ということで、園田競馬の「プロ」氏がケーキなどを用意していて、競馬場の寒空の下で場違いなパーティが決行された。職場の後輩に慕われている桂輪さんの様子を、うらやましく(職場の仲間などというものが私には存在しないため)眺めていたが、本人は、競馬の予想もそっちのけでスマホで今日の競輪の結果が気になる様子だった。「プロ」氏のおすすめ馬を参考に、素人らしくワイド馬券などをちょこちょこ買う。すると、おすすめ馬が、本当に来る。さすがの予想だった。この流れなら内枠が有利だとか、この中ならこの逃げ馬がペースでいける、というような「基本中の基本」の話を簡単に教えてもらったが、何せ結果が出るので説得力があった。自身も10万を超える馬券を取って、先輩の誕生日イベントを盛り上げられて喜んでいる様子だった。


私も乗せてもらって、そこそこのあたり。そんなに買ってないが、4000円くらい浮いて自分としては十二分だった。ひとの予想に乗って当ったのに、今度は自分で買っても当てられるんじゃないか、とか勘違いしてしまいそうになるが、そんなことはないのである。公営ギャンブルは、25%も寺銭を取るから、統計的にその割合で負ける。だから自分としては、一万円使って、結果2500円負けたなら、まぁそんなものと捉えている。一日遊んで、3000円くらい使うなら許容範囲だろう、ということで。そして、たまにもう少し浮いたり損したりの波を楽しむ、ということだ。もっとも、これは「理屈」の話。ギャンブルが魔力を持っているのは事実で「100円の馬券で4000円儲かったってことは、1000円買えば4万だったんだな…」という思考にすぐに移行する。で、結局損をして、それを取り返そうとして…と悪循環になる。自分の場合は、貧乏が歯どめになっているので助かっているが、普通のサラリーマン並みの収入があったら、もう少しハマっているんじゃないかと思う。そもそも意志が弱い人間なので、依存症のリスクはとても高い。ということを忘れないでおきたい。

園田競馬場、以前は、地方競馬場らしい鄙びた雰囲気だったが、最近施設を改修したらしく、とても綺麗だった。競輪場とは段違いだな、と思った。やっぱ、馬という生き物が走っているのは、見た目にも魅力があるのは間違いない。たまに来てもいいな、と改めて思った。まぁ、浮いたから、だろうけど。厩舎を見学するバックヤードツアーもあるらしいので、今度はそれに参加してみたい。


実は、小学校の低学年まで、園田の近くに住んでいたので、ここに来ると、何となく懐かしい気持ちにもなるのだ。今の自分よりずっと若かった母ちゃんと、弁当を食べに来た公園(多分、何でもない日に、外でお昼食べようか、と散歩に来たのだと思う)が、駅のすぐ近くにあったりして。同じアパートに住んでいた同級生のお宅は、親戚が皆競馬関係だという話だった。期待されていたのに「悪さ」をしてクビになった若い子の話など、そのお宅から母ちゃんが聞いてきて受け売りで話してくれたりした。今になっても覚えているんだから、子ども心に印象に残ったのだろう。子どもの頃の自分には、難しい話だったはずだが。そのまま、この町に住み続けていたらどうなっていただろう。この辺りの普通のオッサンの1人として、園田競馬のファンになっていたかもしれない。

2019年1月19日土曜日

日帰りで名古屋(年末年始②)


 2日は、18きっぷで名古屋に行った。特に目的はなかった。とりあえず、到着したら名物を食べることにする。正月2日から、街が空いているかちょっと心配だったが、杞憂だった。元日はかなり休みも多いみたいだが、2日以降は、にぎやかな所は普段通り、というのが最近の傾向らしい。以前、学会か何かで来た時に寄った駅地下の食堂街に名物が多かった気がしたので、案内所で確認してそちらに向かう。ひつまぶし屋も並んでいた。3000円とか。そんな金は無いので、味噌カツの一択だった。有名店の矢場とんの支店に行くと、長蛇の列だったが40分くらいだというので並ぶ。なかなか効率的にさばいていて、ストレスは余りなかった。一番安い味噌カツを食うが、想定の3倍くらい美味くて驚く。普段、どれだけちゃんとしたもの食っていないか、ということかもしれない。あとからかけてくれる味噌ソース、それだけ買って帰りたいくらいだった。難波の松竹座近くにもあるらしいから、お金ができたらまた行こう。そこから、名古屋城をとりあえずの目標に歩いてみる。名駅の近くを離れると、さすがに正月の雰囲気で寂しい感じではあった。道をひとつ間違えて、かなり遠回りしてしまう。本当に地理感覚が弱くなっているのを感じる。40分くらい歩いて到着。入場料、500円もとるというので躊躇するも、折角だしと払うが、後から振り返ると入る必要はなかった。中の展示場の入場が90分待ちとか訳の分からない状態だったのだ。有料エリアは、大阪城公園の無料スペースと変わらないような感じで、こんな公園散歩するだけに500円もとるのか、とだまされたような気持ちになった。お城は、大阪城みたいなものだった。金は払わず、遠くからみるだけでよかったと思う。忍者ショーみたいな子供だましのイベントが始まった。クルッと回ったりするのかと思ってちょっと見たら、本当にちびっ子を集めて、客いじりをするだけの子供だましだった。地図を見て、名古屋の中心地、栄の方に向かう。セントラルパーク、テレビ塔、デパートなどを見る。見た、という感じ。街中はにぎやかであった。折角だから熱田神宮に寄ってみる計画だった。日のあるうちに行きたい、と連れ合いが言うが、大須観音にも寄りたかったので、そちら方面まで歩いた。この辺り、ちょっとバスか地下鉄に乗るべきだった。大須観音のあたりの浅草っぽさは悪くない。お正月らしいすごい人出だった。観音は、初詣の列がすごい長さになっていた。並んでまで拝む必要ないな、とスルーする。「正式な拝み方は云々」みたいなことを、神社本庁というクソ右翼団体が言い始めたからか、上から言われたことをすぐに信じる素直なみなさんがちんたら拝むようになって、どこも初詣は大変になっているときいた。アホちゃうか。この観音さま、なんて、寺か神社かよくわからない習合モノだから、余計に下らない。




そこから名駅まで歩く。これは、大変だった。自動車中心につくられている名古屋の殺風景な自動車道路を延々と歩くことになり、ヘトヘトになった。途中、小さな神社にも寄った。なんだかんだ文句を言っておきながら、とりあえず、神仏スポットを立ち寄り場所として選んでいるあたり、自分らもかなりスピッているのである。賽銭もいれないし、拝みもしないのだけど。名古屋駅で、高いパンをおやつ代わりに買って、JRで熱田まで。18きっぷを持っているので、できるだけJRを利用したかったから乗ったが、便利なのは名鉄の駅の方だ。神社の近くに来たら、もう日が暮れてしまっていた。神社は、もともと森とセットで作られている。古い神社になれば鎮守の森もなかなか古く、その雰囲気は確かによい。熱田神宮は、歴史があるだけにさすがの森だった。「ああ、もっと明るいうちに来たかった。こんなにちゃんとしているなら」と相方に文句を言われる。二日の夕方という中途半端な時間でも、相当な初詣客がいた。皆さん、信心深いことだ。



最近の夜店で面白かったのは、韓国フードの「ハットグ」がすごく沢山あったこと。中には、ハングルで「本場韓国の味」なんて打ち出していたりして、右傾化し参拝者が増えている状況と、神社にハングルというミスマッチとの対比がなかなか面白いなと思った。ぐるぐる回って、終わり。とりあえず、名古屋方面に戻り、同じ地下街で晩飯を食うことに。名古屋名物なんでも屋、みたいなところに入ったが、これは大失敗だった。1000円以上も出してきしめんと何かの定食を食べたが、中途半端なものだった。これなら、もう一回矢場とんを食ったら良かった。きしめんは、駅構内の店が美味そうだったのだが、すごい人であきらめたのだった。11時前くらいに、大阪に帰った。大阪と名古屋は近い。しかし、文化圏は全然違うのでたまに行ってみるとなかなか楽しいのだが、18きっぷ期間でなければ、そこそこ金もかかるから、わざわざ来ることはないのである。

ガラケーの万歩計を見たら2万歩以上歩いていた。そりゃヘトヘトになるはずだ。この日の疲れが、後にまで尾をひいて、結局、インフルエンザになって寝込むことつながった。気がする。翌3日は、家でダラダラしていた。年賀状いただいた方に、返事の代わりに電話をしてみたり。競輪関係でお世話になった方。いろいろ状況の変化があったそうで、いろいろ考える。翌、4日は、大学時代の友人と園田競馬に行く。また、改めて。

2019年1月18日金曜日

日帰りで静岡(年末年始①)

年末年始にちょこちょこと出かけた。例年12月30日に開催される競輪グランプリという、競輪界最高のレースが去年は静岡で実施された。グランプリは岸和田で行われた時に一度見たきりで、通常は関東地区ばかりなのでなかなかチャンスがなかった。ツイッターでファンの方が、大阪から18きっぷで行くというのを知り、日帰りできるなら行ってみようということになった。大阪梅田の駅前ビル地下にチケット屋街があり、そこでちょっと安く購入した。ただ、冬の18きっぷは1月10日までしか有効期間がない。使いたいのはこの一回だけで、残りは売るつもりだったが、うまく売れるか心配で躊躇したが、なんとかなるだろうと買うことにしたのだった。結局、ヤフオクでも高い値段で売れそうもなく、残りは同居人とどこかに行くことになった。

30日、気合いを入れるなら5時位に出発するところだが、8時位の遅い出発となった。お目当てのグランプリは、午後4時半くらいで、その一本さえ見られたらいいやというくらいの気持ちだった。何冊か持って行った本を読んでいるうちに、すぐに滋賀県あたりに。近江富士が見えると、昔やっていた「びわこボート」のCMを思い出す。蛭子さんが出てるやつで、他の客が「近江富士が見えるから2-4」と喋っているのを聞いて、「富士で2-4か…」とつぶやき「ほんとに、来たよ。だからやめられないびわ湖ボート」と言う、というローカルなコマーシャルだ。近江八幡あたりから、雪景色だった。この冬、大阪ではパラパラと降るのを見ただけだったので、ちょっと離れるだけでこんなに違うんだなと思った。びわ湖の向こうに見える比良山なども綺麗に雪をかぶっていた。米原で乗り換え。18きっぷシーズンらしく、ほとんどの乗客が大垣方面に乗り換えの様子だった。他の人にあわせて少し走り気味で跨線橋を渡ると、駅員がメガホンをもって「走らないでください」とアナウンスしていた。ここ、そんな雰囲気だったな、と思い出す。浜松までは、新快速で座席もすわり心地がよいが、以東は、ロングシートの各駅停車になる。東京方面に行くときの、最大の難所だ。ただ、今回は静岡までなので、それほど苦痛ではなかった。何せ、一年前には、福島県のいわき平まで18きっぷで行っているんだから、それにくらべたら屁みたいなものだ。ただ、今日、帰るんだなと思うとちょっとうんざりはしたが。14時半くらいについて、駅から競輪場行きのファンバスに乗った。観光バスをチャーターしたもので、満員だった。補助席に座り、テレビにうつる昨日のレースを見る。静岡駅、下車するのは初めてだった。泊まりが出来るなら、市街地を散歩したりしたいところだが、今日は競輪場に行くだけだ。競輪場に到着すると、すごい人だった。2万人を越える観客だったという。競馬なら10万とかざらだから、2万なんて大した数じゃないが、普段閑古鳥が鳴いている関西の競輪場を見慣れている身からすると、「こんなに競輪ファンって存在しているのか!」と心から驚くくらいの衝撃的な風景だ。あとから聞くと、静岡は、競馬や競艇など他のライバル公営ギャンブルがないという事情もあるそう。施設も綺麗で、子ども連れや、若い男女の姿も見かけ、まるで「普通のレジャー施設」のようであった。昼飯を食べそこなっていたので、何かを食べようと思うも、食堂はどこも長蛇の列だった。比較的列が短かった富士宮焼きそばの屋台に並ぶ。期待せずに食べたが、なかなか美味くてこれも驚いた。



twitterで知り合った競輪ファンのOさんに挨拶しようと持って行ったタブレットで連絡を試みる。ゴール前で拙著を手に持って応援している、と返事が来て、探し出して初めてのご挨拶。ホントに手に持ってらして、うれしくも恥ずかしい。何回も読み返しているんですよ、と言ってくださる。この2万人の観客のうち、10人に1人買ってくれたら、増刷するんだけどなぁと思いつつも、これだけファンがいるならもう少し広報活動しなければなと考えたりする。場内で、女子競輪の取材以来、何度もお話をしている石井寛子ファンのIさんとも遭遇。近況をうかがったりする。グランプリ前の、前座試合決勝戦とグランプリと車券を買うも、全然当らなかった。穴目で期待した、平原選手は、村上選手と接触して落車する始末。まぁ、しゃあないかと帰ることに。Oさんどうするのかなと探すも、客がごった返して接触できなかった。6時過ぎに静岡を出発しないと、今日中に帰りつけない。あんまりのんびりできないぞ、と帰ろうとするも、駅前での無料バス乗り場は長蛇の列で、いつまでかかるか分からない。それならば、と歩いて帰ってみることにする。最初は、隣の東静岡駅をめざすつもりだった。警備の女性に聞いたら歩ける距離のようだったから。フリーワイファイがなければ何の役にもたたないタブレットがあるだけで、ガラケーしかないので、歩いている途中でこれで大丈夫なのか不安になってきた。簡単に地図をプリントアウトして持ってきてはいたのだけど、暗くなってくるし、寒いし、もしかして歩くなんて無謀なのかもしれないと。何度かバス停をみかけてバスに乗ろうかと考えるも、それが駅に向かうのかもよく分からず、だんだん泣きたくなってきた。タクシーに乗ったりしたら、旅費をケチってきているのが台無しになるから絶対さけたかった。若い時、方向音痴だという人が信じられなかった。大体、地図で方向を見定めたら、何となく道や街並みの雰囲気でたどりつける自信があったが、最近その勘がめちゃくちゃ崩れてきて、道に迷うことも増えてきた。これも、老化なのだろうか。そうこうしているうちに、標識も現れてきて、方向は間違っていないことがわかり安心する。だいたい40分くらい歩いて到着する。電車の中で食べるつもりで、小さい弁当と、若干のお土産を買って、予定の電車に乗る。駅で20分くらいはうろうろする余裕があった。普段飲まないのだが、疲れと、解放感で、缶ハイボールも一本買った。しかし、ここから乗る電車は、ロングシートの通勤用で、弁当が食べられたりするような雰囲気ではなく、浜松あたりまで我慢する。浜松で乗り換えると、大阪に帰るOさん一行と遭遇した。やはり同じ便だったよう。いつも一緒に競輪遠征に行かれる方と、競輪には関心がない鉄道マニアの職場の後輩の方と3人で来られたそう。ツイッターでいつも万車券を当てているOさんに、車券術を伝授してもらったり、競輪や、その他、いろんなマニアックなハウツーについて聞いている間に、あっという間に京都までたどりついた。最寄り駅からは車だというOさんの横で、ひとりハイボールと弁当をかっ込んで簡単な晩飯にした。12時前には家にたどりついた。

大晦日は、親戚がちょっと来るからと実家に顔を出す。父が要介護になってから、酒を飲んだり、おせちを食べたりできなくなったので、実家の方の正月はただデイサービスが休みというだけの期間になってしまっている。遠路親戚に来てもらっても、お茶飲んでちょっと話すだけしかできないが、ちょっとした非日常にはなってありがたかった。家に戻り、twiceが出ているところだけ、紅白を見て、後はただパソコンを眺めて普段通り、日が変わったくらいには寝た。

年明け。今年は年賀状を一枚も出さなかった。起きて、納豆とキャベツという毎日食べている糖尿病予防食を食べ、パソコンでツイッターを眺める。ネット動画で、何かお笑い番組を見たかもしれない。正解は一年後、とか。

2日。18きっぷの残り、一応ヤフオクに出していたが全然つかない。それなら使うことにしようと、相方と出かけることにした。18きっぷ旅行としては、10年以上前に、山陰線ルートで、餘部鉄橋を見に行く、というのと、香川にうどんを食いに行く、というのをやっている。また一年位前に、明石、姫路、倉敷、というのをやった。これはなかなか良かった。今回は、名古屋に行ってみることにした。自分は何度か行ったことがあるが、相方はないというので。結局、2万歩以上歩きまわるかなりの行程になった。長くなったので、続きは、またあらためて。