2017年4月10日月曜日

過去の実感がない

物忘れがひどくなったのは、忘れてしまった方が楽だという潜在意識が後押ししたためかもしれない。時々思い出す昔の記憶というと、だいたい、冷や汗の出るような、自分が嫌になるような出来事ばかりで、楽しかった何かは、思い出すきっかけもない。もともと量も少ないし。今の状況とつながって、昔が出てくるので、今の状況がダメであれば、手繰り寄せる記憶も、そんな自分のダメな部分に関連するものばかりになる。思い出すだけしんどくなるから、もう思い出さないようにしよう、というのが自己防衛反応として脳内で起こっているようだ。だからといって、記憶喪失になっているわけではないので、いつ頃、どの学校にいて、どんな人と会ってという記憶は、あると言えばある。だが、実感がないのだ。実感を伴う記憶は、出来事についてのものではなく、ただ実感だけで覚えているようだ。なぜか最近は、炊事をしていると、4年くらい前に、共同研究のバイトでたまに某大学に行っていたことがあって、その時の雰囲気が頭に浮かんでくる。そこでは、嫌なことは無かったのだ。面白いこともそんなになかった。でも、その頃に、こんな所で自分は何しているのだろうというような違和感を感じていたのは間違いなく、実感も残っていて、なぜか茶碗を洗っている時に限って、その時の気分が甦ってくるのだ。別に、その時、仕事で、茶碗を洗っていたわけではない。たまに行って、1人ノートパソコン見ていただけだ。でもなぜか、炊事が引き金になって、出てくる記憶になっている。自分の過去は、頭の中でどうなっているのだろう。とにかく、過去を悔いている時間を少しでも減らしたい。今を意味あるものにしないと、これから先、ますます空っぽになってしまう。

2017年4月8日土曜日

去年も同じこと言っていた

家のそばの公園、桜が満開に。今日明日あたり、晴れていたら何組かは花見する姿も見られたはず。買物に行く途中、同居人と「晴れたら、ここでお昼に弁当でも食べて花見気分味わうのもいいかもな」と話したら、「去年、そう言うてそれやったやろ」と言われる。そう言われれば、同じ気分で、同じこと言って、桜の下に腰かけて何か食べたことを思い出した。「あんた、大丈夫か?」大丈夫じゃないかもしれない。最近、確かに物忘れがひどくなっている。実は、去年のお弁当の記憶も、そう言われれば食べたと思うのだけど、具体的に何を食べたのかとか、どんな感じだったかはぼんやりしている。一年前の、普段と違う行為なんて、ちょっと前まで忘れるようなものではなかったのに。有名人の名前。読んだ本の内容。というより、それを読んだかどうか。こんなのは、だいぶ前からどんどん忘れるようになっているが、自分のやったことまで、抜け落ちるようになると、本格的に不安になってくる。頭の中にある、わたしの世界が、現実の自分の世界と乖離していっているということでもあるし。脳みそのアンチエイジング的なことをやって、もう少し抗うべきなのか、あるがままに忘れて行くしか仕方ないのか。子供の頃のも含め、自分にだって思い出の数々があるはずなのだが、なにもかもリアルな物じゃなくなっていくようだ。

2017年4月2日日曜日

あきらめた後の生き方

自分がどんな人間なのか。時間が経たってはじめて分かったことばかりだ。いろいろ経験して、というより、ただ時間が経って。腰が重く、碌に経験などしてこなかったのだから。積極的に、自発的に動いて、経験を積んできた人なら、もっとはやく気づいたのだろうが、そういう部分も含めて、ようやく気付くのだ。もっと若い頃に気づいていれば、と思うが、まだ身体が動く間でよかった気もする。もう、人生のやり直しは効かないが、残りをよりマシにすることは、まだできそうだからだ。4月になると新しい状況を迎える人たちがいる。横目でちらりと見て、うらやましさで心震える。慣れっこになっているから、震え方も大したことはないが、気を抜くと、酒に逃げたくなるくらいには寂しくなる。他人を見ないことだな。比較しないことだな。でも、そんなことが簡単にできれば苦労しないわけで、震えるならあるがままに震えておいて、自分にできることをするしかないな。

こんな人間だと分かっていたら、もっと早く他の道に進めばよかったな、と思う。ここでも、具体的な何かではない。「もっと他の」というものにすぎない。それがだめなのだろうなとは思うが、根っこのところに甘えがあるのだ。でもあんまり、うじうじと考えていても仕方がない。パッと切り替えて、違う何かを始めていたらな、とか、まぁ、何にしても、いつも、もう遅い、もう手遅れだ、もうどうしようもない、とばかり思ってきたのだ。そういう思考法から脱出することが必要だ。「業界」に未練を感じてはいけない。精神的に自立しないと。誰とも会いたくないと言いながら、さみしいと思うとか、そういうのはダメですよ、と自分に言い聞かせるために、ちょっと書いておいた。

2017年3月31日金曜日

あの頃はマシだったと後で必ず思うだろうということを思うと不安な思いに苛まれる

自由時間の多かった3月もあっという間に終わる。いろいろ心配事もあったりしたが、やはり自由だった。終りに近づき、貧乏ゆすりが止まらない。人生、思いっきり後半戦に突入しながら、こんなにダラダラ過ごしていること自体が不安だ。収入があっての自由ならこんなにありがたいことはないのだが、かといって時間給のバイトに入らなくても今のところはよいという状態は恵まれているのだろう。今も煮詰まっている。しかし、あの頃はまだ良かったと後から思うに違いない、ということを想像するだけで、ため息が出たりもするのだ。自分はありがたいことに鬱的な症状はない。適度に忘れるからだろう。最近、脳みその機能がポコポコ衰えて行っているのを実感するが、精神的安定には、順機能のような気もする。今できることをすること。まだ来ない未来を、過ぎ去ってしまったことを考えても仕方がない。今を見ること。と、何度も自分用のメモノートに書きだして、自分なりの、何かそういう工夫をしてみたりして凌ぐのであった。

2017年3月26日日曜日

人付き合いが狭くなる

皆さん、楽しそうに飲み食いしていて、自分とちがって充実した人生を送っているのだろうな、なんて一瞬思うのだが、たぶん、その場にいる自分もかなり楽しそうで、自由な生活をしている人と見えるのだろうな、とも思った。大人になれば、いろいろ抱えるのは当然だ。人をうらやましがるな、ということだ。

でも階級の壁がある場所に行くのはしんどいから、精神衛生のためにも、あまり金に困っていない人とは会わない方がいいとは思う。別人種として扱ってくれるような場にしかいけないな。あるいは完全フラットか。完全フラットな場など、日本には、まぁ、外国がどうかしらないが、とりあえず日本にはないから、行く場所は限られる。

2017年3月24日金曜日

熊本競輪場の現状など

2週間前の話になってしまうが、熊本競輪場で取材させてもらった後、バンク内にもいれてもらった。去年の地震で、施設が大きなダメージを受けて、開催できない状態が続いている。現在は、安全な場所に範囲をしぼって、場外発売所として運営している。関係者によると、再開時期は未定だという。となりに陸上競技場があり、そこも修復工事中。地方自治体としては、どうしてもアマチュア向けの文化施設が優先になるとの話。まぁ仕方がないか。競輪の売上げがもっと良い時代なら、復興競輪をバンバン開催して、熊本全体の復興に寄与するということができるのだけど、今はちょっと難しいかも。

写真も撮らせてもらったので、いくつか紹介します。
しまったまままの正面玄関。
競輪場までの大通りは「競輪場通り」という名前だった。地域に溶け込んでいる感じがする。熊本は、公営ギャンブルが他になく(九州南部はない)、競輪の存在感は大きいよう。

早朝売場、というのも近畿ではもう見かけない(のかな)ような。西宮競輪場にあったのが懐かしい。仕事に行く前に、さっと車券を買う人向けの売場。30分の駐車時間なら無料という駐車場が広がっていた。

この日は、大垣記念を発売していた。右側がバンクだが、建物にひびが入っていたりして、危険だからロープやフェンスで立ち入り禁止に設定されていた。お客さんの様子は、どこも同じような感じだった。

バンク内。バンク自体は、一部に段差がある程度で、練習はできるそう。この日は、工事が入っていて、走行する姿は見られなかった。右側がガラスが崩壊している特観席。危険だからすべて取り外しているのだろうけど、被害の大きさが感じられる。壁面にもところどころヒビが入っていた。

現在使われていない検車場。選手の練習用ロードバイクなんかがおいてあった。

支部の選手控室。道場らしく、名札が掲げられている。中川誠一郎選手なんかが一番上なのかな、と思ったが、古い順?のような感じだった。ガールズは田仲さんだけ。中川諒子さんも所属になったそうだが、まだ用意できてないから作らなきゃ、とのことだった。

勝手に写真載せてすみません。支部道場の様子。副支部長の倉岡選手なんかがいらっしゃった。(この選手ではなく)自転車の整備をしている選手がちらほら。

同じく道場。

場外売場に戻る。熊本所属S級選手の等身大パネルがおいてあった。
SS誠ちゃんも。競輪選手は、全体に小柄な人が多いですね。

隣の陸上競技場は大がかりな修復工事の真っ最中だった。

中心地の商店街へ。大きく被害の跡が見えるのは熊本城くらいで、あとはそうでもなかったが、工事中になっている店はやはり多かった。

熊本の町中、くまもんだらけ。まぁ、そうでしょうね。くまもんへの依存が過ぎるようなきも。
子供向けイベントに向けて、悪者がバルーンアートの用意をしていた。

くまもんイベント会場の横に、見慣れたマークが。こんな所に場外売場があるとは。記念に、大垣記念の車券を少しだけ購入しておく。珍しく2000円くらい浮き、夜に知人と飲みにく資金になった。

他にも復興イベントのようなのが。場外売場の人たちが「タダたい、タダ!」と興奮していた。タダで何かがもらえるらしい。競輪ファンがタダでもらえるものが好きなのは全国共通だな。(競輪ファンだけじゃないけど。)自分も、もちろん、行ってみる。

ガリガリ君のお試しイベントだった。
糖質制限のためアイス禁していたが、半年くらいぶりにやぶる。タダだし。

2017年3月20日月曜日

薄い毎日

先週は濃かった。珍しく、遠出をしたからだ。今週は薄い。夜行バスで帰ってきて、非日常の余韻に浸って一日が過ぎ、これではだめだと二日過ぎ、そして何してたか覚えていない時間が何時間も続いた。やるべきことがたまっているのだ。何をしたらいいのかも分かっている。それなのに、いつものように、というべきか、いつも以上にというべきか、仕事に手がつかず、焦燥感だけが募るのであった。他人と比較しても仕方がない。それは分かっている、つもりになっている。とはいえ、目をカッと見開いたままで「他」を気にしないほどの修業はぜんぜん出来ていないので、もともと細い目をより細く絞って、周りがハッキリとは見えない様にしているのだ。だから、何かのタイミングで、いきなり目を見開かされるようなことがあったら、ギョッとして普段押し殺しているもやもやがあふれ出てきてしまう、なんてことになってしまう。まともに生きている人たちに比べて、自分はなんて薄い生を生きてしまっているのか。バチが当たる。そのうちきっとバチが当たるに決まっている。そんな恐怖に襲われる。いま、この状態こそがバチなのだろうと思いたいが、バチなんてもの、そんなに甘い物ではにという気がしてしまって仕方がない。

2017年3月18日土曜日

熊本に行ってきた、の話の枠組み

前回書きかけた旅行記の続きを。なぜ熊本だったのかというと、熊本在住の元競輪選手に会う必要があるな、と考えたからだ。自分は、競輪の歴史を調べている。20年前位から断続的に取り組んできた課題だ。それがひと段落ついたかつかぬか、まだはっきりしないけれど、次の課題を、相変わらず競輪なのだけど、別の視点から見る何かをやろうとゆっくり動きはじめた。とにかく、動きが遅くてどうしようもないのだが。生活が、フリーター的な状況のため金はないが、自由になる時間は、かなりある。一番あるのが、春と夏。こういうまとまった自由のある時にこそ、こういう作業に着手しておきたい。まとまった時期には、もっとはっきりと計画をたてて、まとまった成果を作るべきなのだが、動こうと自分がしているだけで満足してしまっているところがある。それくらい、何も動けない時期が続いていたためだ。とにかく、自分の視点からは研究的な何かの一環としての旅行である。とはいえ、税金的なものはまったく使われていないので、役立つかどうかとか、無駄かどうかとか、説明責任をあまり気にしなくていいのがいい。自分内にはいろいろあるのだが、対世間的には、ものすごく自由だ。金がないから、行きつけの大学の図書館やら、できるだけ金をかけずにやってるのだが、たまに取材に行きたいなという場面がでてくる。調査とかフィールドワークとかいうとおおげさで偉そうだが、そんな感じの何か。場所に身をおかないと分からないことというのがあるのだ。

感度が鈍い身体では、おいたところで何も分からなかったりするし、そのわりに、現場に身を置いたということがうれしくなって、偉そうになってしまったりすることも多々あると思うし、自分もその程度のものだけれど、やはり行ってこそだったな、ということもあるのは事実。今回も、お話を聞くだけなら電話でもすんだかもしれないが、面識もない人にはやはりこっちの身をさらして信用してもらってという関係性が大事じゃないかと思った。まぁ、言い訳にして、熊本に行ってみたかったというのもある。一度も行ったことがなかったからだ。今回、少しだけ臨時収入的なバイトがあって、旅費を使っても、すぐに生活に影響はでないで済みそうな状況だった。もちろん、2年後以降を、さらにその先を、つまり一応の収入がハッキリしているのは一年間だけなので、それを考えたら、無駄遣いはしないに越したことは無いのだが。

まぁいい。あまりにみみっちいことばかり書いていると、人間性までみみっちくなってしまう。もうなっているだろうが、とにかく。ところで、みみっちい、というのは関西弁だろうか。セコイ、コスイ、ケチ、貧乏くさい、という意味です。貧乏ではなく、貧乏くさい。貧乏は仕方ないが、「臭さ」はなんとかしたいと思う今日この頃。話を戻すと、それで熊本まで出かけた訳である。競輪場を運営する市の職員に間に入ってもらい、アポをとってもらった。場所も競輪場をどうぞと言ってくれたので、甘える。用事はこのインタビューだけ。新幹線なら日帰りでも可能らしい。今では新大阪から直行で行けるのだから、なんともすごい。金があればそれですむが、ここはできるだけ安くしないければと工夫したのは、先に記したとおり。せこく行くとはいえ、自分としては、かなりな出費だし、それならば、やはり観光もつけないと「自由」の値打ちがないよな、ということで、出発前の何日かは、あれこれ、地図をみたり、時刻表を調べたり(味気ないネット検索だけど)で想像し、考え楽しんだのだった。

アポをもらったのは、午後3時で、一時間か二時間話を聞くことになりそう。「ぷらっとひかり・こだま」と博多から熊本までは在来線というルートが一万円を切り、十分、待ち合わせに間に合うのでこれにした。というのも先に書いたか。宿については、カプセルホテルを予約しておいた。ネット情報ではうまく想像できなかったが、カプセルごとに簡単な個室になっているというものらしく4000円ちょっとする。朝早い出発だし、インタビューの後、ノートの整理作業などは最低限やっておきたいし、ただのカプセルよりはいいかとここを選んだ。ドミトリー形式のバックパッカー宿にもいつかは挑戦したいと思っているのだが未だに泊まったことがない。ドヤ街の簡易宿泊所(小奇麗なやつ)のように何とか個室を保てているのなら大丈夫なのだが。経営方針に問題がありそうな、東横インやら、ネトウヨのアパホテルなんかは、自分にとっては高級すぎる。何年か前、研究費の出る共同研究に参加したときには、その辺のビジネスホテルに泊まったが、自分の身を削るとなると、ただひと晩寝るだけなのに、ちょっと高すぎると思う。まぁ、どうでもいいか。気をゆるすと、すぐに、みみっちい話になってしまっていけない。で、とりあえず一泊だけとっておいたが、近づくにつれ、いつまた行けるか分からない所に行くのに、1泊というのも寂しいかと、二泊することにして、帰りは向こうを9時頃に発つ夜行バスにした。夜行バスは、次の日使い物にならないことはわかっていたが、どうしてもしなければいけない用事もなかったのだ。3列シートのバスで10000円弱。だから、交通費は往復で2万弱だった。新幹線正規なら片道くらいの料金だ。自分の「持ち時間」が、時給1000円以上の値打ちのある人は、新幹線なり、飛行機を使うべきだろう。結局、夜行バスに乗る前に、時間つぶしと気分まぎらしに飲み屋でムダ金使ってしまったりもしたので、そんなことなら新幹線で帰った方がよかったかも。

なかなか、中身の話に入れない。「ガワ」の話ばかりしてしまう。熊本に知り合いは、と考えた時、任期付きの職場にいた頃に知り合った元大学院生のTさんが学芸員として働いていることを思い出す。去年、久しぶりにちょっと挨拶をする機会があった時「熊本に遊びに来てください」と社交辞令を言ってくれていたのを真に受けて、行くことを伝えると、飲みに付き合ってくれると返事をもらったのだった。ということで、二日目の夜の予定は嬉しい形で埋まった。熊本初めてなんだけど、市内でどこが見るべきところですかね、とその方に聞き、「文学歴史資料館なんてのも悪くないですよ」と教えてもらい、二日目の昼間は、熊本市内の主要ヵ所と、そのあたりをまわることにした。で、三日目はどうするか。熊本はJRの駅は郊外にあり、市内の繁華街は、市電で20分くらい離れたところにある。地震で被害を受けた様子が生々しい熊本城がすぐ近くにそびえる中心地には、バスターミナルがある。二日目の昼間、そこで「日帰りツアー」のパンフレットをもらってきた。三日目は、熊本から日帰りで行ける範囲の遠出をするのはどうか、と考えたのだった。

最初に考えていたのは、鹿児島に行ってみるというのだった。鹿児島も行ったことがない場所なのだ。計画の当初は、二日目は鹿児島に移動して、帰りは飛行機にしようか、とか、志布志まで出て、フェリーで帰ろうかとかも考えた。しかし、熊本・鹿児島間はかなりの距離があり、いろいろ余計な出費がかかりそうだとわかり断念した。地図や、旅行ガイド的には、普通は阿蘇だが、去年の地震、噴火のため鉄道は通行止めになっていたりする。観光できないことはないそうだが、自動車がないと不便だろうとの話だった。こういう時には、レンタカーを借りたらいいのだろうな、と思う。数年前、一念発起してとった免許は、予想どうり、ただのペーパーと化してしまっている。しかし、どこかで、挑戦をしてみるべきなのだろうが、まぁ、今は無理そうだ。40代半ばになって自動車免許をとった経緯については、またそのうち書いておきたいと思う。

また、余計な話になった。他の候補地は、天草と島原だった。船に乗りたいという欲望があったからだ。新幹線であっさり行って帰ってくるのが嫌だったのは、お金がかかる以上に、何となく味気ない、という思いもあった。旅行自体がめったにできない娯楽なため、できれば、もう少し旅情的な何かを味わいたかった。本当は、ここ2年間、毎年春休み中に韓国に行っていたので、行きたいと思っていたのだが、かなわず断念した。飛行場という独特の空間、国境線を越えるあの感じ。いい歳をして、その味を覚えたばかりなのだ。新幹線ももちろん、在来線の新快速なんかよりは相当な非日常だが、飛行機のそれに比べればだいぶあっさりしている。時間だけで言えば、韓国・大阪便なんかに比べて、ずっと長時間乗るのだけど。何年か前、フェリーで釜山に行った時は楽しかった。国内でも、門司から大阪までフェリーで帰ったこともあったが、今回は、熊本往復の行程にフェリーを無理に組み込もうとしても、どう考えても無駄が多いようだったのだ。帰りの夜行バスは、つまり、長距離旅行気分を味わうために、しんどい思いをちょっとしたいというのもあっての選択だったのだ。

三日目何するかという話だった。そんなわけで、三日目の選択肢として、フェリーで熊本から対岸にわたって帰ってくるというのは魅力的に映った。日帰りツアーのパンフレットを見ると、天草までバスで行き、野生のイルカを見るというものがあった。バスと船代込みで六〇〇〇円くらい。天草でイルカが見られるなんて知らなかった。出費だが、こんな機会、もうないかもしれない。家族連れやカップルで参加しているはずのツアー客の中で、ひとりボートに乗りこんでいる、おっさんの自分の姿を思い描いてみた。イルカとの記念写真なんかをアップしたら、自分のフェイスブックも、まるで楽しい人のそれのようになるかもしれないな、とか。野生のイルカに喜ぶ「私」のイメージに喜んだ私だったが、電話したら満席だった。イルカの夢は、はかなく消えた。Tさんに聞くと、天草は見どころが拡散していて自動車でないとしんどいのでは、島原は集中しているから見やすいかもという話だった。「他に、人吉もおすすめですよ」という言葉も頭に入れつつ、今回は、とりあえず島原に行ってみることにしたのだった。

というわけで、初日は、競輪場でインタビュー、次の日は熊本市内見物と現地で働くTさんと交流、最終日は島原へ、という旅行になった。どこで何見て、どうなって、という中身の話をしようと書きはじめたが、結局、またしても枠組みの話で終わってしまった。あったことを書く、というのは難しいものです。続く。

2017年3月13日月曜日

初めて熊本に行ってきた話の入口

元競輪選手にお話をうかがうため熊本まで行ってきた。生活費削って行くので出来るだけ安くするにはといろいろ考える。飛行機とホテルのセットがかなり安いと友達に教えてもらい検討したが、2泊以上するとなると結構かかる。用事はインタビューだけなので、日帰りするという手もあるのだけど、今は金はないけど時間の自由はあるのだし、折角だからちょっと観光することにした。何度も書いているが、大人になったらいろんなところに行く、行っている、そういう人生の予定だった。しかし、半世紀近くも生きてきて、日本国内でも行った場所などほんの少し。生まれた場所に張り付いて生きてきてしまった。今からでも遅くない、と思うのだけど、なかなか難しい。絶対の予定は初日の午後3時の待ち合わせ。後は、何もない。夜行バスが一番安い選択だが、寝不足で行って、初めての人とまともに話す自信はなく、新幹線を使う。ぷらっとひかり・こだま、というのが新大阪・博多で7500円。これでも高いと思うけど、正規の新幹線代に比べれば半額くらいの安さ。博多から熊本まで在来線で2時間くらいだというので、乗り継ぐことにした。総計一万円くらいで行けた。朝早い、ひかりがとれたので、5時間弱で着けた。忙しく、何度も乗る人は、これでも長いだろうけど、旅行に飢えている身で、仕事でもない自分としては、これくらいの乗車時間は楽しい範囲だ。久しぶりの新幹線でテンションがあがる。新大阪駅に来ると、仕事としてか、あるいは遊びにでも行くのか、当たり前のような顔をして新幹線に乗っている人が沢山いる。当たり前だ。自分も、たぶん傍から見れば当たり前に乗っているように見えるだろう。でも、内心は、そこらのマセタ子供の何倍もテンションがあがっているのだ。あがっているが、子供のような体力がないから、飛んだり跳ねたりできず、疲れたような顔をして車窓をながめるしかない。それでも、心の中は、初めて新幹線に乗った時の記憶、前回の、その前の記憶、好きなのにちょっとしか乗れない自分の状況の情けなさ、とはいえ今は乗っているんだから楽しい気分でいいんじゃないの、という自分へのつっこみ、そんなことより、今から会う人にどんな質問するかもっと詰めないとあかんがな、という思いやらなんやらで、頭の中がグルグルするのだった。すぐに、博多。30分くらいの乗り換え。同居人が好きな「博多とおりもん」の一番小さいのを一応確保しておく。在来線で、大牟田まで。その後、豊肥線まで乗り入れる各停で、水前寺まで行った。博多は何度か来たことがある。前、長崎は行った。多分、鳥栖より南は、初めてだったはず。新幹線の間は、ノートの整理をしたりしたが、はじめての鹿児島本線は、ずっと車窓をながめていた。実に楽しい。飯代も何もかも節約するつもりで、昼もコンビニなんかですます。別に美味いもの食べたいとも思わない、のだけど、結局、その後はずるずるいろいろお金を使ってしまったが。熊本競輪場で待ち合わせ。そのあたりの様子は、また今度。話をうかがい、地震の被害そのままで放置されている部分の多いバンクを見学させてもらい、当初の目的終了。宿は、市内繁華街のカプセルホテルだった。朝も早く、何日か準備などで忙しく寝ていなかったので早く寝ることにする。安いそば屋で晩飯。一人では酒を飲まないという禁を2年ぶりくらいに破ってしまう。次の日、だらだらカプセルで過ごした後、レンタルサイクルを借りに行き、水前寺の方にある図書館に行き、文学館を見て、公園を見物し、熊本で働く知り合いの方と夜は飲みに行き、次の日は、オプショナルツアーとして、ひとりで島原までフェリーに乗って行って帰ってきて、夜行バスで大阪まで帰ってきた。細かい話もそのうち書いておきたいと思うが、今日はもう疲れた。二泊、車中泊一泊の旅だった。旅行に行くと一日の濃度が濃くなるのがうれしい。帰ってきた今日は、何もせず一日ダラダラ過ごしてしまった。カスみたいな時間だった。

2017年3月5日日曜日

観客席で隣のスマホが目に入る

吉本、NGK横の小ホールみたいなことろで、お笑いライブがあった。用事で行けなくなったからともらったチケットで行く。天竺鼠の単独ライブで、特に好きでも嫌いでもないコンビだったが、なかなか面白かった。同じくチケットもらって行った銀シャリの単独もそうだったが、ブリッジで流すビデオが一番受けていたりして、なんとなくテレビ的だなと思ったりもした。ひとつのコンビのネタやイベント、どれくらいのメンバーで作っているのかとか気になったりもした。客層は20代以下が中心で8割くらいは女性だった。400人くらいのホールだったが、満員だった。彼らくらいになったら、十分食べて行けるのだろうか、そうでもないのか。始まるまでの時間、観客席のほとんどがスマホをながめているのが印象的だった。「天竺鼠、楽しみ」とかつぶやいたり、なんかしているのだろうか。自分はまだガラケー使っているので、SNSとの付き合い方は多分一世代前の感覚なのだと思う。ミクシーなんかもそうだったが、自分なりに面白いと思う文章を書いて、面白いと思ってくれる人がいればうれしい。ツイッターでもブログでも、ちょっと何かを作る作業というイメージもある、気もする。言いすぎかもしれないが。しかし、スマホでひっきりなしにコミュニケーションしている人たちは、自分のような、へんな期待はしていないようにも見える。友達とあったら挨拶するように、常に知り合いとのやりとり世界の中にいて、ひとりの時でも、その時の自分を表現し続けているだけ、というような。どうなんだろう。横の人の、沢山「いいね」やらの反応がたまっているように見えるスマホ画面をちらっとみて、ちょっとひねったつぶやきに一つ二つ反応があるだけで喜んでいる自分が、何かとても寂しい人間のように思えた。

2017年2月26日日曜日

単線に乗って少し興奮した話

国会図書館関西館に行った。東京の国会図書館は何度か行ったことがあるが、関西館は初めてだった。行けば何でもだいたい見られる本館と違い、イマイチ使い道がなかったのだ。関西にあるとはいえ場所も辺鄙で、家からなら往復で2000円近くかかってしまう。今回、確認したいマイクロフィルムの資料があって、関西館でもそれは見られるようだったので行ってみたのだった。環状線の京橋で学研都市線に乗り換える。そこから1時間近く乗り、最寄駅の祝園(これで「ほうその」、と読むということを今回初めて知った)まで行った。学研都市線は、非常勤先のひとつがあり週一回使っているが、生駒山の手前で降りる。そのあたりまでは、都市近郊鉄道の雰囲気があるが、大阪府域を抜けたあたりからはローカル線の匂いが残っている。路線は、生駒山地の北を迂回し京都府に入る。田園風景が広がりはじめる。京田辺あたりで「あれ、この辺は単線なのか」と気が付き、うれしくなる。今は、ほとんど関心をなくしてしまったが、子供の頃は鉄道ファンだったのだ。

電車の種類とかはあまり興味がなく、好きだったのは駅と路線だった。小学生の頃、国鉄のキャンペーンでやっていた「いい旅、20000キロ」とかいう路線の乗りつぶしチャレンジ企画にちょっとだけ参加したことがあった。路線の始発駅と終着駅で自分が写った証拠写真を送ると「乗りつぶし」が認定され、国鉄路線全部の踏破をめざすというもの。結局、大阪環状線と、奈良線と、草津線と信楽線くらいか、近所の幾つかをまわっただけで終わってしまった(草津線は別の機会だったかも)。その時、当時は片町線と呼ばれていた学研都市線も乗ったように思う。京橋から一駅戻って今はなき片町駅で写真を撮り、電車に乗って長尾まで行った。当時、長尾より向こうは非電化単線で、列車本数も極端に少なかったと思う。長尾の駅でかなり待ったのじゃなかったか。父ちゃんと二人だった気もするし、ひとりだったかもしれない。同志社大学が学研都市に出来て、少し開けたのじゃなかったか。今ではさすがに全線電化されているが、まだ単線の部分が残っていたのは意外だった。もしかしたら、あの小学校の時以来かもしれないな、ここまで来るのは、などとぼんやり思いだした。また、2年くらい前に、旅費の出る共同研究に参加していた時に出張で行った上信鉄道の車窓風景が何となく思い浮かんだりもした。電車に乗ってもっと遠くまで旅行したいな、と思った。十分通勤圏の学研都市ですら、旅行気分だったが。

子どもの頃の自分は、大人になったらもっともっと色んな所に旅行するものだと思っていただろう。入口でやめてしまった国鉄乗りつぶしの、その入口の路線に乗るだけで、こんなに懐かしく感じるような、尻の重い大人になってしまい、過去の自分に申し訳ないというような気持ちにもなる。ツイッターを見ていると、子供の頃に好きだった趣味を、大人になってもきっちりと、もちろん、お金を使って大人らしく楽しみ続けている人たちがいることが分かる。鉄道旅行。短波で海外のラジオを聞くBCL。釣り。将棋。プロレス。どれも一時期好きになり、大人になったら関連する仕事をするぞ、なんて思いながら、結局、そのうちほったらかしになってしまったものばかりだ。プロレスは、大学生くらいまで大好きだったが、今では、さみしいくらい興味を失ってしまっている。懐かしのレスラーのインタビューなんかは今でも読みたいけど。これらの趣味を、自分は大人になって「卒業した」というより、生活レベルが子供のままだから、進歩させられなかったのかもしれないな、とも思う。経済的に余裕があったら、旅行をもっとしていたり、あるいは何かを「大人買い」したりしていたかもしれない。タラレバの話だ。でもまぁ、経済的な話は言い訳にすぎないとも思う。自分には、何かにつけ根気がなかったのだ。だからダメなのだ。だから、経済的な余裕もないのだ。とか、自虐的なことを言っていても仕方がない。とにかく、子どもの頃に憧れたような趣味の世界を今も生きている人たちのツイートを見ると、心の端っこの方で、ぐじゅぐじゅする何かを感じたりする、というお話。

2017年2月24日金曜日

ダラダラ採点に向かって過ごしてしまった2月

今学期は全部で600人くらい分の成績をつけなければいけなかった。講義の仕事を始めた頃に比べれば、だいぶ効率的にできるようになったが、それでもしんどかった。毎年、マークシートにしたらどれほど楽だろうと思う。それでもテストにするときは論述的な問題を組み込むことになってしまう。学生にとってもマークシートの方が楽かもしれないのに、ちょっとでもこちらに余裕があるなら、論述にすべきなのでは、という、実はあまり根拠のない思い込みがある。大体の採点基準を決める。こういうことが抜けていたら減点、こうならプラス、あとはこういう所をチェックして、などと。しかし、答案を読んでいくうちに、それがブレていく。読んでいて、不快感を覚えたり、好感をもってしまったり、感情も左右される。テストなんだから公平に採点しなければ、と考えるため、「まぁ80点かな」と一旦つけた後、これは自分が内容に心理的な影響を受けた上での採点なのではないのか、とか気になってしまうのだ。やっているうちに、これにこの点つけるなら、さっきのあれは厳し過ぎたんじゃないか、とか、相対的なズレもきになってくる。答案に向かい合うということは、自分が一方的に投げてきた言葉に対する応答に触れるということでもあり、虚しさを感じたり、自分が独りよがりだったことを反省させられたりさせられる、という負担感もある。とにかく疲れる。繰り返すが、だいぶマシになった。ある時は、一つの授業で400人というようなコマがあり、問題も自由度の高すぎるもの(テストを作る時に手抜きしたということでもある)にしてしまい、本当に辛かった。もちろん、集中してやれば、それほどでもないのだが、自分にはその力がないため、長時間、やらなければいけないという負担感を抱きながら過ごすことになってしまっている。余計な思い込みがいけないのだろう。こういう仕事については、もっと淡々と、かつ集中してこなせる人間になりたい。

2017年2月18日土曜日

家の近所に話題の幼稚園

すぐ近くに、塚本幼稚園がある。自分がこのあたりに引越してきたのは6年くらい前だが、実家も自転車圏内のためだいたい町の雰囲気はなじみがある。ここにこんな幼稚園があって、特殊な教育をしているなんてことは最近まで知らなかった。詳しく調べていないが、教育勅語を幼稚園児に覚えさせたりという、度を超すような右翼教育を始めてからは、そんなに経っていないのかもしれない。送迎用のバスが猫をかたどったカワイイものを使っていて、ずいぶん子供に媚びている幼稚園だなというのが第一印象だった。(最近見かけなかったからもう使ってないと思っており、そう書いたんですが、2017/2/21に見たら2台走ってました。修正します。)門からのぞくと、さざれ石のオブジェがある。神道的だ。そうかと思うと、外から見える所には、御茶ノ水博士とウランちゃんの人形が飾ってあったりもする。手塚治虫は共産党シンパなのにいいのかなと思ったが、それほど一貫したものでもなかったのだろう。話題になり始めてからは、周囲の期待に応えるようにか、よりそれらしくなっているように見える。小学校を準備していて、それが安倍首相夫人が名誉校長で、というのは去年あたりから知ったが、土地の取得に疑惑があるというのは、一か月ほど前くらいにポスティングされていたビラで初めてしった。最初に読んだ時は、ビラの作り手が分からず、どう判断したらいいのか分からなかった。どうやら、豊中市議で追及してきた人がいたようですね。昨日、今日と予算委員会で問題化し、ちょろちょろとニュースにも漏れ始めた。結構な汚職事件のはずなのに、メディアは及び腰のよう。安倍政権のメディアコントロールはひどい、自主規制するマスコミはもっと悪い、とイライラしてしまうが、ネットなどでマスコミ以外の情報を知るようになったからそう思うだけで、これまでも、流せる情報しかテレビや新聞からは流れてきていなかったのだろう。とにかく、どんどん大きなニュースになって、爪をのばし過ぎた(『ミナミの帝王』でよく出てきた表現)右翼幼稚園経営者のせいで、安倍政権が揺さぶられる、という共食い的場面を見たいものです。

マスコミはいろんな利害があって、すっとニュースにするのは難しいのだろう。それは、当然良くないことに決まっている。決まっているが、だからと言って、という問題もある。ツイッターを見ていると、現地取材を売りにしたライターの人が、あそこはこうで、その背後にはああで、近所ではこう言われていて、とか言っていたりして、なんでそんなに確信を持って言えるのか、それはそれで疑問を感じたりもする。安倍政権へ批判的な立場の人は、同じ批判的な立場の人のことを、あまり批判しない方が良い、というような自主規制圧力があるとしたら、それは問題だ。いわるゆマスメディアも、ネット経由のオルタナティブな情報(って表現でいいかどうか)も、ある程度批判的に解読することを心がけるべきだろう。まぁ、教科書に書いてあるような話だが。

幼稚園の前には公園があって、よく園児たちがラグビーの練習とかをさせられている。先生は女性が多く、それらしくきびきびしている。が、まぁ、全体の図は、そんなには違和感はない。ママチャリに乗って、保護者が見守る姿もちらほら。園児のお母ちゃんということは、自分より一回りくらい下の世代が多いだろうか。「この幼稚園、どんな教育しているか知ってはったんですか?」とか「生長の家の信者はんでっか?」とか聞いてみたいような気もするが、さすがに。想像でしかないが、まぁ、厳しくしつけてくれる、面倒見のいい幼稚園、くらいの情報でわが子を預けることになったのだろう。

自分は幼稚園時代の記憶など、ほとんどない。花の絵を描いて、独特だ、と褒められたこと。お遊戯など、身体を動かすすべてのことが、他の子よりワンテンポ遅れていて、恥ずかしかったと親に後から言われたこと。芋ほりに行った、ような気がしないでもない、というくらいか。女の子に激しいスカートめくりをして、親が注意された、という恥かしい記憶もある、かもしれない。ないかもしれない。まぁ、そんなものだ。あの頃、教育勅語を覚えていたら、どうだったか。伊勢神宮に行って、日の丸の小旗を振っていたらどうなっていたか。たぶんどうもなっていなかっただろう。教育効果としては、大したことない、ように思う。それでも、経営者の右翼趣味オナニーの道具に子供らが使われているようで、不快なのは間違いない。そして、最近知った、副理事長が送ったという近隣諸国への差別意識丸出しの文書などは当然、言語道断だ。

この文章、最近の自分は、社会問題に関心がない、という話を書こうとして書きだした。書いていたら、とても関心がある感じになってきた。もちろん、あるのはあるのだが、現実感がないというか、すぐにどうでもいい、という気持ちになってしまうので、どうしたものかな、ということを書きたかったのだが、書きはじめるといろいろ湧き出してくる。特に、このニュースは、近所ということもあり、自分のミーハーな気持ちも手伝って、興味があるし、メディアの姿勢に憤ってもいる。ただ、それがどこまで公憤なのかは自信がない。自分がおかれている状況や、数々の現実的な心配事から逃れたい、現実逃避をしたい、という気持ちが怒りに向かっている面もゼロではないからだ。まぁ、また考えよう。

2017年2月15日水曜日

ツイッターばかりみている(あらためて)

気がつけば、ツイッターばかり見ている。まだガラケーを使っているので、見るのはパソコンで、だ。パソコンは、家に居る間はだいたいつけっぱなしになっている。必要のない時でも。たまには、消しておきたいと思うのだが、つい、つけてしまう。ネットサーフィン(ってもうあまり使わない表現か)ももちろんするが、ただただツイッターのタイムラインをながめているだけの時間も長くなってしまっている。で、同居人に白い目で見られている。こんな事件あったらしいで。あの人、死んだみたいやで。世事に疎い同居人に、そういう情報を最初に伝えるのは、ツイッターを見続けている私の方からというのが圧倒的に多い。そんな時、「そんなに情報あさってどうすんの」とバカにされる。いやいや、別に、情報を漁ってるのではない。ただ、流れてくるのだ。と言い返すのだが、なんの言い訳にもなってない。世の中で起こっている出来事を、自分は、どうやら特に知りたい方のようだ。知りたいのは当たり前だ、と思っていたが、よく考えてみたら、それほど自明のことでもない。いち早く知った出来事の数々、それらのほとんどが自分には関係がない。森羅万象、なにもかもが、関わりあっている、というレベルの話ならまぁ全くの無縁ではないかもしれないが、何日後かに知っても、あるいは知らなくても、だいたい何のマイナスにもならないのだ。金正男とみられる人物が暗殺された。このニュースに、自分はちょっと興奮した。暗殺とか、映画みたいなことあるんだな。すごいな、と思った。世界史の一場面だな、と思った。「殺されたで!」と同居人につたえ、さすがに、「え、ホンマに?」とおどろかれた。他の人はどう反応しているだろう。ディズニーランドの件もあって、ネットでも人気キャラだったんだな。女スパイってどんなのだろう。こんな反応する人がいるのか。などなど、ついツイッターを追ってしまうが、同居人はもちろんそんなことはない。概要をネット記事で読んで、一端保留だ。あとは自分のアタマで考えるのだ。自分は、他人の反応を知りたい、のだろう。で、碌に、自分のアタマでは考えない。他の人がどんな反応をしているか、というのを見て、自分の態度を決めているだけだ。あさましく、反応をあさっているだけ。今、同居人以外と何でもない雑談をする機会がほとんどなくなっており、それもあって、寂しいからツイッターを見る。一人暮らしのお年寄りが、ずっとテレビをつけているのと同じだろう、と思っていたが、もっと病理的なもんなのじゃないか、という気もしてきたのだった。

2017年2月13日月曜日

急にアクセスがのびて焦る

このブログはこれまで数人にしか読まれていなかったのに、昨日、突然1000以上のアクセスが。「ジャスティン・ビーバー」が面白いとツイートしてくれたよう。ありがとうございます。(今の今まで、ジャスティン・ビーバーって女の人だと思っていた。こういう名前の人が、底抜けエアラインの人を有名にした、ということだけ知識があった。)多くの人に読んでもらえるなら、もう少し丁寧に書けばよかったかな、という後悔がよぎるが、まぁいいか。折角なので何か更新したいが、構えると何も書けなくなるので、何か書きたくなるまで放置しておこう。とりあえず。

2017年1月15日日曜日

また串カツ食いに行きましょうね

お正月はどうしてらしたんですか。生徒として通う教室で、数少ない男性の同級生に声をかける。年末、授業の後、ちょっと飲みに行き、あれこれ身の上話を聞いて、親しくなったのだ。韓国語教室は、9割くらい女性がしめていて、男は少ない。いても大体、50に近い自分よりもさらに年上が多い。ちょっと上くらいかなとお見受けしたが、還暦を越えているという。オシャレで若々しい人なのだ。何もしませんね。友達がひとり来ましたけどね。他人の話なので細かくは書けないが、若い時離婚され、集まる家族もいないそう。世間の人は、奥さんにしばられているみたいですね。奥さんがいると、何かと自由がきかないみたいですね。と、最近発見した事実、というように話してらした。なんとも飄々として味のある方である。

自分は2人暮らしだが、お互いの実家との関わりは作ってない。自分には妹がいるが、子どもはおらず、親の所に集まると言っても総勢で4人だ。数年前には、妹の金でちょっとどこかへ行くかということがあったが、親が病気がちになり、なくなった。親戚が多かったり、孫の顔を見せにいったりしている「普通」の家を思うと、さみしいといえばさみしいが、こんな家も最近では多いだろう。親たちは、自分のような子どもがおるからまだいいが、自分が歳とったらどうなるんだろう。おそろしいくらい寂しくなるんじゃないか。考えても仕方がないことは考えないに限る。それでも、不安は、年々リアルなものになる。生活保護の制度とか、まだ生きているだろうか、とか、そっちの心配もある。そんなわけで、ひとりで、かつそれなりに元気で暮らしている人とかに会うと、こういうのもありだな、と元気づけられるのでうれしい。人は、いろんな形で社会からの疎外感を抱く。そんなこと、ええオッサンになるまでリアルに感じられなかったということが、自分がいかにマジョリティ側に居たか、ということを表すのだろう。まぁ、そういう反省はいいや――。とにかく、ちょっとズレて面白く、嫌らしさを感じさせないような大人の知り合いができるのは嬉しいという話。また、1000円で飲める串カツ屋、行きましょうね。

2017年1月14日土曜日

難波まで歩いて行った

昨日は非常勤先のひとつが休みだった。センター試験の準備日ということで。講義するだけが仕事なので休みの日は多い。休みの日にこそ、自分のやるべきことをしなければいけないのだが、昨日はどうもいけなかった。どこかに行きたいという気持ちがおさえきれず、夕方になってから街にでかけた。自分はこれまでの人生で、どれくらいこうやって時間を無駄にしてきたのか。やるべきことを、こつこつとやっていくこと。自分に言い聞かせるように、こういうことを紙に書いたりして、目の前の何かから逃げようとする気持ちを抑える努力はしているのだが。行くなら、昼から行けばいいのだが、こうやってぐずぐずしているから、だいたい夕方になってしまう。昔聴いていたニュー・エスト・モデルの歌の歌詞に「歩き足りないから夜更けにさまよう」というのがあった。くり返し何度も聞いていたのはもう20年も前のことになるだろうか。うろちょろしたいというのは、結局、精神的な運動不足によるものなのかもしれない。

年に数回、心斎橋の銭湯、清水湯に行くのを楽しみにしている。2年前は、難波で働く機会があったから、帰りに寄ったりしたのだが、今は、乗り換えでもミナミを通ることが減り、チャンスが無くなった。久しぶりにと、銭湯をとりあえずの目的地にした。電車で行くと往復700円くらいかかってしまう。これに風呂代を入れると相当な出費だ。必要のない出費でも、人と会うのとか、もう少し意味のあることのためならちょっとくらいは金を出さないと生きている喜びがないとは思うが、暇つぶしに銭湯に行くというのは、ただただ我慢すればすむ無駄なのだ。自転車で行くのも考えたが、この冬一番の寒波が来るかというところで、辛そうだった。それで、とりあえず片道だけでも歩いて行くことにした。

淀川の見える市内某所にある自宅から、梅田までは歩けば40分くらいだ。これくらいの距離は、よく歩いているが、難波まではめったにない。とはいえ、梅田と淀屋橋の間は、職場の移動の際、電車賃を浮かすべく週に二回くらい歩いている。その延長線上だと考えれば大したことは無い。今日外に出たかったのは、同居人が夜いないためでもあった。ごはんは基本自分が担当しているが、今日は作らなくてもいい。だから、ミナミのどこかで食べてもいいかもとおもった。もっとも、いつだって今日は作らないというのは自由なのだが、何もなければ、家で作って食べるのが経済的かつマトモだからそうしている。

北新地の入口あたりに、ダイエーのスーパーがある。イートインコーナーがあって、昼に利用することも多い。去年の五月頃から、炭水化物を控える生活にかえたので、それまで愛用していた立ち食い蕎麦などが使えなくなり、ここでサラダやおかずを買って食べることが増えたのだ。新地などという金持ちの町にありながら、イートインコーナーには、貧乏な匂いが漂っている。本当に貧乏な人。できるだけ小遣いを節約しようとしているサラリーマンにOL、いろいろだ。この人は何の仕事をしているのだろうと眺めながら、ここでうまくも、そして案外と安くもない昼飯をとることが多い。昨日も立ち寄ったが、あまり晩飯を食う気になれず、焼き芋を買って出た。糖質制限しながら、糖分の固まりの焼き芋を食うのはダメなのだが、寒い時、道を歩きながら食べる焼き芋というのは、本当に魅惑的なものなのだ。ずっと前、お金の出る調査で高崎に泊まったことがあった。あの時も街を歩いていた時に、焼き芋がリーズナブルな値段で売っていて、食べながら歩いたのだった。適度に幸せで、かつ、適度にわびしい食べ物だ。ホクホクしたものも美味いが、ここのは徹底して低温で温めたのだろう、ドロドロに近い位、糖化した甘い焼き芋だ。御堂筋を南下しながら、半分だけ食べた。

月がきれいな夜だった。長堀のあたりでは、東の空の低いところに輝いていた。このあたりは、20年くらい前はバイトでよく来ていた場所だ。街並みはほとんど変わらないが、その頃はあまり見かけなかった外国人観光客の姿が多くなった。韓国語を勉強し始めて5年くらいたつ。週に一回、市民講座に行っているだけで、ぜんぜん使い物にならない。韓国人を見かけると、親切の押売りをしたくて仕方がないのだが、スマホでチェックしながら楽しそうに外国を冒険している若い人たちを見ていると、ただただ海外旅行がうらやましかった。初めて来たら、大阪の街もかなり面白いだろう。道頓堀など、写真で見たあそこがここか、というのだけで楽しくなるはずだ。何回見たかわからないグリコ看板を見ながら、ひとりぼんやりとしていた。

7時過ぎになっていた。ミナミに来たのは来たが目的地はないのだ。とりあえず、法善寺まで行ってみる。ガラケーの歩数をみたら、だいたい1万歩だった。思ったよりもずっと近かった。週に2、3回はこれくらい歩いている。そりゃ毎日疲れるはずだ。今年は、初詣に行っていない。何となく、神社を拝むのはもうやめようという気になったので、行かなかったのだが、せっかく通りがかったのだしと、水かけ不動さんにお願いだけはしておいた。はよう立派なシャカイガクシャになりぃやいうて。

断片的な思い出がわいてくる。ほんとうにつまらない人生にしてしまったな、という思いと共に。そんな感傷にふけっているから、ほんとうにつまらなくなるんだ。過去にしばられず、今を生きよ。と、どこかの自己啓発本に書いてあったことを頭に思い浮かべ、気分を抑える。しかし、ご飯を食べるところがない。繁華街でひとりで飯食うなんて、そもそもしなくていいのだ。金がないから、ということばかり気にして生きてしまっている。外食を楽しんでいる人たちを妬ましい思いで見ているのだが、そういう思考回路こそ断つべきなのだ。

貧乏な人生になることが、ほぼ確実になって7年くらいたつ。現実的にはもっともっと前から分かっていたのだが。結局、だんだん生活が荒んで、酒の量が増えたのだった。それでも、無頼派みたいなかっこいい荒れ方(なんてものがあるとして)ではなく、ダラダラとしたくずれ方だった。夜中にコンビニに行って、鬼殺し的な安酒を買ったりするようになって、さすがにこれはいかんと思うようになり、ひとりで飲むのは禁ずることにした。中島らもの『今夜すべてのバーで』とか、吾妻ひでおの実録マンガとか、ああいう作品は本当に人を救っていると思う。自分は救われた。底付きになったら、おしまいだぞ、と思った。ならずにすんだが、なる所だったと思う。まだまだ大丈夫だとは思えなかったから。毎日飲んでいたがほとんど飲まなくなった。2年くらい前からだと思う。最近、ちょっと飲酒欲が戻ってきており、誘われる機会があれば、ホイホイ行くのだが、そんな機会はめったにないので月に一回以下くらいですんでいる。相方と安いワインを分けて飲むとかはある。何の話か。酒をよく飲んでいた頃は、こうやって街にまで歩いてきて、立ち飲み屋に行くのを楽しみにしていたことはあった。立ち飲みというのは、本当に、そそるものだ。外で見ていると、何とも楽しそうに見える。『タモリ倶楽部』的な番組で、サブカル的に取り上げられたりもするのもあって、余計にそうなのだが、実際はもちろん、ひとりで行ってもつまらないものだ。アテなんかも、安いが、居酒屋より安いというだけで、こんなもの家で作ったら、タダ同然なのにと思うと、とてつもない贅沢に思える。

昨日も、久しぶりに立ち飲みでも一人で行ってみるかと思ったが、なんだかんだで1000円くらいは使うだろうし、ひとり酒の禁を破るのもいやだし、やめた。

心斎橋の清水湯に寄る。440円の入浴料のもとをとるべく長時間つかる。浴室から、テレビが見られる仕組みになっている。前に来た時は、性暴力時間で逮捕されている柔道の内柴の公判のニュースがやっていたような。野球の日本シリーズだったか。記録していないが、たぶん、去年は3回くらい来ていると思う。昨日は、キムタクらしき人物が、料理を食べるロケをしていた。スマップ解散して、イメージが悪くなったから、こういうことをしているのかとか考えた。湯船に腰かけて二人組がしゃべっていた。一人の背中、お尻の上あたりの部分にだけ、うっすらと背中毛が生えていた。「本人は、これを知っているのだろうか」と思いながら、それをながめた。

ここの脱衣所には、美女カレンダーが数種類飾ってある。数年前、ここにKARAのもあった。いつも来るたびにそれを思う。深田恭子のがきれいだった。剛力あやめもあった。後の3人は知らない人だった。扇風機で髪を乾かし、外へ出る。もう9時近くになっていた。帰りは地下鉄に乗った。風邪を引いた人が多く、マスク持って出なかったことを反省した。近所のスーパーで、ほうれん草と豚肉を買って、常夜鍋にした。こういう鍋の存在を知ったのは、小林カツ代の本でだったと思う。

いろいろしなければならないことがあったのだ。しないならしないで、やってあげるべきことというのもあったのだ。自分の為だけに、また無駄遣いした。明日からもう少しマシに使おうと思いながら。当分、歩き足りないだけの気持ちから、時間の無駄遣いすることはないだろう。そうありたい。