2017年8月6日日曜日

花火大会の思い出関連

淀川花火大会が始まったころは、近所で小さいイベントが出来たよ、という感じだった。確認したら分かることだが、ぼんやりとした記憶だけで書くと、自分が大学に行きはじめた頃からだったような。中学からのつき合いが大学時代まで続いていた唯一の友だちと一緒に見に行ったのは覚えている。塚本駅から歩いてすぐのあたりの土手の草むらに二人で寝転んで見たのだ。今は、そのあたり一帯が有料エリアとして括られて、そんな風に勝手にぼんやり見るなんてできなくなっている。その時も、花火を見ながら、昔見た花火のことを考えていたように思う。ずっとそうだ。自分は花火に集中できたためしがない。過去に見た花火のこと、というより、花火を見た状況のことが頭に浮かぶのだ。その頃、どんな花火の記憶があったのか。PLも一度見に行ったことがあるが、ずっと後だ。

淀川花火の初期、中学時代からの友だちと土手に並んで見た時に思い出していた、さらに過去の花火は何だったか。ほとんど記憶がない。母方の故郷が福井で、祖母が生きていた頃は、夏休みに福井に行くのが定番だった。中学の頃まで。田舎の家に行くと、お盆の頃に、隣町で花火大会をやっていて、遠くにぼんやり上がる様子が何とも綺麗だったな、という記憶はある。ほじくれば、他にもありそうだが、大したものではないだろう。大学院卒業してから実家を出た。南方(ナンポウではなく大阪のミナミガタ)近くのボロアパートに長い間住んだ。淀川花火は、アパートの近くから見ることが多くなった。毎日通っているライフというスーパーがあって、その日は書き入れ時だから、特別態勢でビールや、唐揚げやらを販売していた。レジ打ちの職員さんたちも、浴衣を着たりして雰囲気を出していた。何となく気になっていた、シュッとしたレジのお姉さん、ちょっと暗い陰のある人(とこっちが勝手に妄想していただけだが)だったが、営業用の浴衣姿がカッコよく、本人も楽しんでいるように見えたな。なんてくだらないことを今急に思い出した。

その後、より花火大会会場に近い所に引越していき、数年前からは、町内レベルの場所になった。家から快適に見えるし、誰か人を呼んだらいいかもと試みたこともあったが、去年、今年は相方と二人きりで終わった。気つかわんでいいから楽でいいな、ということになった。越してきたばかりの時には、まだ猫がいて、突然始まった爆音の連続に驚き押入れの隅に隠れて出てこなかった。怖かっただろう。あの猫も、その後、あの世に旅立ってしまった。今年も打ち上げが始まり、鳩の群れが大慌てて飛び立って行く姿を見て、動物にしたらそりゃ怖いわな、と猫のことも思い出したのだった。

田舎で見た花火は、ドーン、ドーン、ポーン、というようなのんびりしたリズムのものだったが、最近のやつはどこでもそうみたいだが、コンピュータ仕掛けで、ドドドドダーン、と戦争のような感じではある。CGで夜空に映写する技術とかが出来たら、それでもいいんじゃないか、と思うくらい。花火のインフレだが一度こうなるともう引き返せないのだろう。例年のように、きれいではあった。そして、例年のように、前のことを思い出した。一年とか、何年とか、そんな区切りは考えない方がいいのだ。時間というものを、空間的に把握できるように見せられていることが錯覚を生むのだ。とは言いながら、ああ、来年はどんな思いでこれを、ということがチラッと頭に浮かんでしまう。だいたい、予想通りにならないから、考えもしなかったような嫌なことが起こるんじゃないかとか、それこそ考えるだけ無駄な不安の先取りをしてしまうのであった。

花火を見ている間中、花火に集中できない自分について、それをどうやってブログに書こうか、ということを考えていた。まぁ、何ですな、晴れて良かったですな。

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