2017年3月31日金曜日

あの頃はマシだったと後で必ず思うだろうということを思うと不安な思いに苛まれる

自由時間の多かった3月もあっという間に終わる。いろいろ心配事もあったりしたが、やはり自由だった。終りに近づき、貧乏ゆすりが止まらない。人生、思いっきり後半戦に突入しながら、こんなにダラダラ過ごしていること自体が不安だ。収入があっての自由ならこんなにありがたいことはないのだが、かといって時間給のバイトに入らなくても今のところはよいという状態は恵まれているのだろう。今も煮詰まっている。しかし、あの頃はまだ良かったと後から思うに違いない、ということを想像するだけで、ため息が出たりもするのだ。自分はありがたいことに鬱的な症状はない。適度に忘れるからだろう。最近、脳みその機能がポコポコ衰えて行っているのを実感するが、精神的安定には、順機能のような気もする。今できることをすること。まだ来ない未来を、過ぎ去ってしまったことを考えても仕方がない。今を見ること。と、何度も自分用のメモノートに書きだして、自分なりの、何かそういう工夫をしてみたりして凌ぐのであった。

2017年3月26日日曜日

人付き合いが狭くなる

皆さん、楽しそうに飲み食いしていて、自分とちがって充実した人生を送っているのだろうな、なんて一瞬思うのだが、たぶん、その場にいる自分もかなり楽しそうで、自由な生活をしている人と見えるのだろうな、とも思った。大人になれば、いろいろ抱えるのは当然だ。人をうらやましがるな、ということだ。

でも階級の壁がある場所に行くのはしんどいから、精神衛生のためにも、あまり金に困っていない人とは会わない方がいいとは思う。別人種として扱ってくれるような場にしかいけないな。あるいは完全フラットか。完全フラットな場など、日本には、まぁ、外国がどうかしらないが、とりあえず日本にはないから、行く場所は限られる。

2017年3月24日金曜日

熊本競輪場の現状など

2週間前の話になってしまうが、熊本競輪場で取材させてもらった後、バンク内にもいれてもらった。去年の地震で、施設が大きなダメージを受けて、開催できない状態が続いている。現在は、安全な場所に範囲をしぼって、場外発売所として運営している。関係者によると、再開時期は未定だという。となりに陸上競技場があり、そこも修復工事中。地方自治体としては、どうしてもアマチュア向けの文化施設が優先になるとの話。まぁ仕方がないか。競輪の売上げがもっと良い時代なら、復興競輪をバンバン開催して、熊本全体の復興に寄与するということができるのだけど、今はちょっと難しいかも。

写真も撮らせてもらったので、いくつか紹介します。
しまったまままの正面玄関。
競輪場までの大通りは「競輪場通り」という名前だった。地域に溶け込んでいる感じがする。熊本は、公営ギャンブルが他になく(九州南部はない)、競輪の存在感は大きいよう。

早朝売場、というのも近畿ではもう見かけない(のかな)ような。西宮競輪場にあったのが懐かしい。仕事に行く前に、さっと車券を買う人向けの売場。30分の駐車時間なら無料という駐車場が広がっていた。

この日は、大垣記念を発売していた。右側がバンクだが、建物にひびが入っていたりして、危険だからロープやフェンスで立ち入り禁止に設定されていた。お客さんの様子は、どこも同じような感じだった。

バンク内。バンク自体は、一部に段差がある程度で、練習はできるそう。この日は、工事が入っていて、走行する姿は見られなかった。右側がガラスが崩壊している特観席。危険だからすべて取り外しているのだろうけど、被害の大きさが感じられる。壁面にもところどころヒビが入っていた。

現在使われていない検車場。選手の練習用ロードバイクなんかがおいてあった。

支部の選手控室。道場らしく、名札が掲げられている。中川誠一郎選手なんかが一番上なのかな、と思ったが、古い順?のような感じだった。ガールズは田仲さんだけ。中川諒子さんも所属になったそうだが、まだ用意できてないから作らなきゃ、とのことだった。

勝手に写真載せてすみません。支部道場の様子。副支部長の倉岡選手なんかがいらっしゃった。(この選手ではなく)自転車の整備をしている選手がちらほら。

同じく道場。

場外売場に戻る。熊本所属S級選手の等身大パネルがおいてあった。
SS誠ちゃんも。競輪選手は、全体に小柄な人が多いですね。

隣の陸上競技場は大がかりな修復工事の真っ最中だった。

中心地の商店街へ。大きく被害の跡が見えるのは熊本城くらいで、あとはそうでもなかったが、工事中になっている店はやはり多かった。

熊本の町中、くまもんだらけ。まぁ、そうでしょうね。くまもんへの依存が過ぎるようなきも。
子供向けイベントに向けて、悪者がバルーンアートの用意をしていた。

くまもんイベント会場の横に、見慣れたマークが。こんな所に場外売場があるとは。記念に、大垣記念の車券を少しだけ購入しておく。珍しく2000円くらい浮き、夜に知人と飲みにく資金になった。

他にも復興イベントのようなのが。場外売場の人たちが「タダたい、タダ!」と興奮していた。タダで何かがもらえるらしい。競輪ファンがタダでもらえるものが好きなのは全国共通だな。(競輪ファンだけじゃないけど。)自分も、もちろん、行ってみる。

ガリガリ君のお試しイベントだった。
糖質制限のためアイス禁していたが、半年くらいぶりにやぶる。タダだし。

2017年3月20日月曜日

薄い毎日

先週は濃かった。珍しく、遠出をしたからだ。今週は薄い。夜行バスで帰ってきて、非日常の余韻に浸って一日が過ぎ、これではだめだと二日過ぎ、そして何してたか覚えていない時間が何時間も続いた。やるべきことがたまっているのだ。何をしたらいいのかも分かっている。それなのに、いつものように、というべきか、いつも以上にというべきか、仕事に手がつかず、焦燥感だけが募るのであった。他人と比較しても仕方がない。それは分かっている、つもりになっている。とはいえ、目をカッと見開いたままで「他」を気にしないほどの修業はぜんぜん出来ていないので、もともと細い目をより細く絞って、周りがハッキリとは見えない様にしているのだ。だから、何かのタイミングで、いきなり目を見開かされるようなことがあったら、ギョッとして普段押し殺しているもやもやがあふれ出てきてしまう、なんてことになってしまう。まともに生きている人たちに比べて、自分はなんて薄い生を生きてしまっているのか。バチが当たる。そのうちきっとバチが当たるに決まっている。そんな恐怖に襲われる。いま、この状態こそがバチなのだろうと思いたいが、バチなんてもの、そんなに甘い物ではにという気がしてしまって仕方がない。

2017年3月18日土曜日

熊本に行ってきた、の話の枠組み

前回書きかけた旅行記の続きを。なぜ熊本だったのかというと、熊本在住の元競輪選手に会う必要があるな、と考えたからだ。自分は、競輪の歴史を調べている。20年前位から断続的に取り組んできた課題だ。それがひと段落ついたかつかぬか、まだはっきりしないけれど、次の課題を、相変わらず競輪なのだけど、別の視点から見る何かをやろうとゆっくり動きはじめた。とにかく、動きが遅くてどうしようもないのだが。生活が、フリーター的な状況のため金はないが、自由になる時間は、かなりある。一番あるのが、春と夏。こういうまとまった自由のある時にこそ、こういう作業に着手しておきたい。まとまった時期には、もっとはっきりと計画をたてて、まとまった成果を作るべきなのだが、動こうと自分がしているだけで満足してしまっているところがある。それくらい、何も動けない時期が続いていたためだ。とにかく、自分の視点からは研究的な何かの一環としての旅行である。とはいえ、税金的なものはまったく使われていないので、役立つかどうかとか、無駄かどうかとか、説明責任をあまり気にしなくていいのがいい。自分内にはいろいろあるのだが、対世間的には、ものすごく自由だ。金がないから、行きつけの大学の図書館やら、できるだけ金をかけずにやってるのだが、たまに取材に行きたいなという場面がでてくる。調査とかフィールドワークとかいうとおおげさで偉そうだが、そんな感じの何か。場所に身をおかないと分からないことというのがあるのだ。

感度が鈍い身体では、おいたところで何も分からなかったりするし、そのわりに、現場に身を置いたということがうれしくなって、偉そうになってしまったりすることも多々あると思うし、自分もその程度のものだけれど、やはり行ってこそだったな、ということもあるのは事実。今回も、お話を聞くだけなら電話でもすんだかもしれないが、面識もない人にはやはりこっちの身をさらして信用してもらってという関係性が大事じゃないかと思った。まぁ、言い訳にして、熊本に行ってみたかったというのもある。一度も行ったことがなかったからだ。今回、少しだけ臨時収入的なバイトがあって、旅費を使っても、すぐに生活に影響はでないで済みそうな状況だった。もちろん、2年後以降を、さらにその先を、つまり一応の収入がハッキリしているのは一年間だけなので、それを考えたら、無駄遣いはしないに越したことは無いのだが。

まぁいい。あまりにみみっちいことばかり書いていると、人間性までみみっちくなってしまう。もうなっているだろうが、とにかく。ところで、みみっちい、というのは関西弁だろうか。セコイ、コスイ、ケチ、貧乏くさい、という意味です。貧乏ではなく、貧乏くさい。貧乏は仕方ないが、「臭さ」はなんとかしたいと思う今日この頃。話を戻すと、それで熊本まで出かけた訳である。競輪場を運営する市の職員に間に入ってもらい、アポをとってもらった。場所も競輪場をどうぞと言ってくれたので、甘える。用事はこのインタビューだけ。新幹線なら日帰りでも可能らしい。今では新大阪から直行で行けるのだから、なんともすごい。金があればそれですむが、ここはできるだけ安くしないければと工夫したのは、先に記したとおり。せこく行くとはいえ、自分としては、かなりな出費だし、それならば、やはり観光もつけないと「自由」の値打ちがないよな、ということで、出発前の何日かは、あれこれ、地図をみたり、時刻表を調べたり(味気ないネット検索だけど)で想像し、考え楽しんだのだった。

アポをもらったのは、午後3時で、一時間か二時間話を聞くことになりそう。「ぷらっとひかり・こだま」と博多から熊本までは在来線というルートが一万円を切り、十分、待ち合わせに間に合うのでこれにした。というのも先に書いたか。宿については、カプセルホテルを予約しておいた。ネット情報ではうまく想像できなかったが、カプセルごとに簡単な個室になっているというものらしく4000円ちょっとする。朝早い出発だし、インタビューの後、ノートの整理作業などは最低限やっておきたいし、ただのカプセルよりはいいかとここを選んだ。ドミトリー形式のバックパッカー宿にもいつかは挑戦したいと思っているのだが未だに泊まったことがない。ドヤ街の簡易宿泊所(小奇麗なやつ)のように何とか個室を保てているのなら大丈夫なのだが。経営方針に問題がありそうな、東横インやら、ネトウヨのアパホテルなんかは、自分にとっては高級すぎる。何年か前、研究費の出る共同研究に参加したときには、その辺のビジネスホテルに泊まったが、自分の身を削るとなると、ただひと晩寝るだけなのに、ちょっと高すぎると思う。まぁ、どうでもいいか。気をゆるすと、すぐに、みみっちい話になってしまっていけない。で、とりあえず一泊だけとっておいたが、近づくにつれ、いつまた行けるか分からない所に行くのに、1泊というのも寂しいかと、二泊することにして、帰りは向こうを9時頃に発つ夜行バスにした。夜行バスは、次の日使い物にならないことはわかっていたが、どうしてもしなければいけない用事もなかったのだ。3列シートのバスで10000円弱。だから、交通費は往復で2万弱だった。新幹線正規なら片道くらいの料金だ。自分の「持ち時間」が、時給1000円以上の値打ちのある人は、新幹線なり、飛行機を使うべきだろう。結局、夜行バスに乗る前に、時間つぶしと気分まぎらしに飲み屋でムダ金使ってしまったりもしたので、そんなことなら新幹線で帰った方がよかったかも。

なかなか、中身の話に入れない。「ガワ」の話ばかりしてしまう。熊本に知り合いは、と考えた時、任期付きの職場にいた頃に知り合った元大学院生のTさんが学芸員として働いていることを思い出す。去年、久しぶりにちょっと挨拶をする機会があった時「熊本に遊びに来てください」と社交辞令を言ってくれていたのを真に受けて、行くことを伝えると、飲みに付き合ってくれると返事をもらったのだった。ということで、二日目の夜の予定は嬉しい形で埋まった。熊本初めてなんだけど、市内でどこが見るべきところですかね、とその方に聞き、「文学歴史資料館なんてのも悪くないですよ」と教えてもらい、二日目の昼間は、熊本市内の主要ヵ所と、そのあたりをまわることにした。で、三日目はどうするか。熊本はJRの駅は郊外にあり、市内の繁華街は、市電で20分くらい離れたところにある。地震で被害を受けた様子が生々しい熊本城がすぐ近くにそびえる中心地には、バスターミナルがある。二日目の昼間、そこで「日帰りツアー」のパンフレットをもらってきた。三日目は、熊本から日帰りで行ける範囲の遠出をするのはどうか、と考えたのだった。

最初に考えていたのは、鹿児島に行ってみるというのだった。鹿児島も行ったことがない場所なのだ。計画の当初は、二日目は鹿児島に移動して、帰りは飛行機にしようか、とか、志布志まで出て、フェリーで帰ろうかとかも考えた。しかし、熊本・鹿児島間はかなりの距離があり、いろいろ余計な出費がかかりそうだとわかり断念した。地図や、旅行ガイド的には、普通は阿蘇だが、去年の地震、噴火のため鉄道は通行止めになっていたりする。観光できないことはないそうだが、自動車がないと不便だろうとの話だった。こういう時には、レンタカーを借りたらいいのだろうな、と思う。数年前、一念発起してとった免許は、予想どうり、ただのペーパーと化してしまっている。しかし、どこかで、挑戦をしてみるべきなのだろうが、まぁ、今は無理そうだ。40代半ばになって自動車免許をとった経緯については、またそのうち書いておきたいと思う。

また、余計な話になった。他の候補地は、天草と島原だった。船に乗りたいという欲望があったからだ。新幹線であっさり行って帰ってくるのが嫌だったのは、お金がかかる以上に、何となく味気ない、という思いもあった。旅行自体がめったにできない娯楽なため、できれば、もう少し旅情的な何かを味わいたかった。本当は、ここ2年間、毎年春休み中に韓国に行っていたので、行きたいと思っていたのだが、かなわず断念した。飛行場という独特の空間、国境線を越えるあの感じ。いい歳をして、その味を覚えたばかりなのだ。新幹線ももちろん、在来線の新快速なんかよりは相当な非日常だが、飛行機のそれに比べればだいぶあっさりしている。時間だけで言えば、韓国・大阪便なんかに比べて、ずっと長時間乗るのだけど。何年か前、フェリーで釜山に行った時は楽しかった。国内でも、門司から大阪までフェリーで帰ったこともあったが、今回は、熊本往復の行程にフェリーを無理に組み込もうとしても、どう考えても無駄が多いようだったのだ。帰りの夜行バスは、つまり、長距離旅行気分を味わうために、しんどい思いをちょっとしたいというのもあっての選択だったのだ。

三日目何するかという話だった。そんなわけで、三日目の選択肢として、フェリーで熊本から対岸にわたって帰ってくるというのは魅力的に映った。日帰りツアーのパンフレットを見ると、天草までバスで行き、野生のイルカを見るというものがあった。バスと船代込みで六〇〇〇円くらい。天草でイルカが見られるなんて知らなかった。出費だが、こんな機会、もうないかもしれない。家族連れやカップルで参加しているはずのツアー客の中で、ひとりボートに乗りこんでいる、おっさんの自分の姿を思い描いてみた。イルカとの記念写真なんかをアップしたら、自分のフェイスブックも、まるで楽しい人のそれのようになるかもしれないな、とか。野生のイルカに喜ぶ「私」のイメージに喜んだ私だったが、電話したら満席だった。イルカの夢は、はかなく消えた。Tさんに聞くと、天草は見どころが拡散していて自動車でないとしんどいのでは、島原は集中しているから見やすいかもという話だった。「他に、人吉もおすすめですよ」という言葉も頭に入れつつ、今回は、とりあえず島原に行ってみることにしたのだった。

というわけで、初日は、競輪場でインタビュー、次の日は熊本市内見物と現地で働くTさんと交流、最終日は島原へ、という旅行になった。どこで何見て、どうなって、という中身の話をしようと書きはじめたが、結局、またしても枠組みの話で終わってしまった。あったことを書く、というのは難しいものです。続く。

2017年3月13日月曜日

初めて熊本に行ってきた話の入口

元競輪選手にお話をうかがうため熊本まで行ってきた。生活費削って行くので出来るだけ安くするにはといろいろ考える。飛行機とホテルのセットがかなり安いと友達に教えてもらい検討したが、2泊以上するとなると結構かかる。用事はインタビューだけなので、日帰りするという手もあるのだけど、今は金はないけど時間の自由はあるのだし、折角だからちょっと観光することにした。何度も書いているが、大人になったらいろんなところに行く、行っている、そういう人生の予定だった。しかし、半世紀近くも生きてきて、日本国内でも行った場所などほんの少し。生まれた場所に張り付いて生きてきてしまった。今からでも遅くない、と思うのだけど、なかなか難しい。絶対の予定は初日の午後3時の待ち合わせ。後は、何もない。夜行バスが一番安い選択だが、寝不足で行って、初めての人とまともに話す自信はなく、新幹線を使う。ぷらっとひかり・こだま、というのが新大阪・博多で7500円。これでも高いと思うけど、正規の新幹線代に比べれば半額くらいの安さ。博多から熊本まで在来線で2時間くらいだというので、乗り継ぐことにした。総計一万円くらいで行けた。朝早い、ひかりがとれたので、5時間弱で着けた。忙しく、何度も乗る人は、これでも長いだろうけど、旅行に飢えている身で、仕事でもない自分としては、これくらいの乗車時間は楽しい範囲だ。久しぶりの新幹線でテンションがあがる。新大阪駅に来ると、仕事としてか、あるいは遊びにでも行くのか、当たり前のような顔をして新幹線に乗っている人が沢山いる。当たり前だ。自分も、たぶん傍から見れば当たり前に乗っているように見えるだろう。でも、内心は、そこらのマセタ子供の何倍もテンションがあがっているのだ。あがっているが、子供のような体力がないから、飛んだり跳ねたりできず、疲れたような顔をして車窓をながめるしかない。それでも、心の中は、初めて新幹線に乗った時の記憶、前回の、その前の記憶、好きなのにちょっとしか乗れない自分の状況の情けなさ、とはいえ今は乗っているんだから楽しい気分でいいんじゃないの、という自分へのつっこみ、そんなことより、今から会う人にどんな質問するかもっと詰めないとあかんがな、という思いやらなんやらで、頭の中がグルグルするのだった。すぐに、博多。30分くらいの乗り換え。同居人が好きな「博多とおりもん」の一番小さいのを一応確保しておく。在来線で、大牟田まで。その後、豊肥線まで乗り入れる各停で、水前寺まで行った。博多は何度か来たことがある。前、長崎は行った。多分、鳥栖より南は、初めてだったはず。新幹線の間は、ノートの整理をしたりしたが、はじめての鹿児島本線は、ずっと車窓をながめていた。実に楽しい。飯代も何もかも節約するつもりで、昼もコンビニなんかですます。別に美味いもの食べたいとも思わない、のだけど、結局、その後はずるずるいろいろお金を使ってしまったが。熊本競輪場で待ち合わせ。そのあたりの様子は、また今度。話をうかがい、地震の被害そのままで放置されている部分の多いバンクを見学させてもらい、当初の目的終了。宿は、市内繁華街のカプセルホテルだった。朝も早く、何日か準備などで忙しく寝ていなかったので早く寝ることにする。安いそば屋で晩飯。一人では酒を飲まないという禁を2年ぶりくらいに破ってしまう。次の日、だらだらカプセルで過ごした後、レンタルサイクルを借りに行き、水前寺の方にある図書館に行き、文学館を見て、公園を見物し、熊本で働く知り合いの方と夜は飲みに行き、次の日は、オプショナルツアーとして、ひとりで島原までフェリーに乗って行って帰ってきて、夜行バスで大阪まで帰ってきた。細かい話もそのうち書いておきたいと思うが、今日はもう疲れた。二泊、車中泊一泊の旅だった。旅行に行くと一日の濃度が濃くなるのがうれしい。帰ってきた今日は、何もせず一日ダラダラ過ごしてしまった。カスみたいな時間だった。

2017年3月5日日曜日

観客席で隣のスマホが目に入る

吉本、NGK横の小ホールみたいなことろで、お笑いライブがあった。用事で行けなくなったからともらったチケットで行く。天竺鼠の単独ライブで、特に好きでも嫌いでもないコンビだったが、なかなか面白かった。同じくチケットもらって行った銀シャリの単独もそうだったが、ブリッジで流すビデオが一番受けていたりして、なんとなくテレビ的だなと思ったりもした。ひとつのコンビのネタやイベント、どれくらいのメンバーで作っているのかとか気になったりもした。客層は20代以下が中心で8割くらいは女性だった。400人くらいのホールだったが、満員だった。彼らくらいになったら、十分食べて行けるのだろうか、そうでもないのか。始まるまでの時間、観客席のほとんどがスマホをながめているのが印象的だった。「天竺鼠、楽しみ」とかつぶやいたり、なんかしているのだろうか。自分はまだガラケー使っているので、SNSとの付き合い方は多分一世代前の感覚なのだと思う。ミクシーなんかもそうだったが、自分なりに面白いと思う文章を書いて、面白いと思ってくれる人がいればうれしい。ツイッターでもブログでも、ちょっと何かを作る作業というイメージもある、気もする。言いすぎかもしれないが。しかし、スマホでひっきりなしにコミュニケーションしている人たちは、自分のような、へんな期待はしていないようにも見える。友達とあったら挨拶するように、常に知り合いとのやりとり世界の中にいて、ひとりの時でも、その時の自分を表現し続けているだけ、というような。どうなんだろう。横の人の、沢山「いいね」やらの反応がたまっているように見えるスマホ画面をちらっとみて、ちょっとひねったつぶやきに一つ二つ反応があるだけで喜んでいる自分が、何かとても寂しい人間のように思えた。