2016年10月15日土曜日

書かなければいけないと思うとプレッシャーに

適当な長文を書いてアップしようとブログを再開したが、仕事が続くと書く余裕がなくなった。電車に乗っている時など、頭の中に書くべき内容が浮かび、何となく、脳内執筆をしてみたりするのだが、それをいざパソコンの前に座って書くとなると、とたんに面倒くさくなる。大して面白くないだろう、というアキラメと、構成する面倒くささと。ここに書くのはあくまでもどうでもいいような時間をあてようと思っているのだが、いつのまにか、書かないといけないというプレッシャーになってしまい、仕事をひとつ増やしたような気分になっている。そういう発想はやめないといけない。心配事がいろいろ。小さい楽しいことは、少しある。たまには、人と飲みに行ったり、長話をしたりしたいが、今の状況ではそれもかなわず、薄く悶々としている。記憶力など激しく老化していても、中二病的なものはなおらない。

2016年10月8日土曜日

ツイッターからいなくなる

そういえばあの人最近みないな、と検索してみると、つぶやかなくなって結構経つことがわかった。やりとりがあったわけではない。たまにリツイートしたりされたりしたから、意見あう部分多いのかなというくらいか。それでもどこの誰かよく知らない人で、ツイッターから向こうが、あるいはこっちが去ったら、さよならだ。競輪場とか、自分はやらないけど、パチンコ屋とかか、そういう所で、よく顔をあわせる人のようなものか。何している人かは分からないけど、顔があったら挨拶するというくらいの。飲み屋の常連とかの方がイメージ近いかも。そういう所に行かなくなってずいぶん経つから、感覚忘れたが。とにかく、さよなら、ってことなら、さみしいものだな、とやっぱり思う。もちろん、リアルな人間関係が第一なのだけど、残念ながら最近は、リアルで人と交流する機会がへり、経済的理由から飲みに行くのも難しくなったりもしているので、ツイッターにつぶやかなければ、誰ともしゃべらない、に近い状況なので、せめてツイッターくらいは誰かいる空間として残っていて欲しいのだが。どっちにしろ、依存しないようにしないと。ふらっとまたつぶやかないかな。

2016年10月2日日曜日

観光地化することが何もかも良いことだとは思わないが

自分が住んでいる大阪にこんなにも外国人観光客が来るようになるなんて一昔前は思いもよらなかった。道頓堀のあたりなど、外国人だらけになっている。解放感があって、自分にとっては本当にうれしい変化だが、反対に思う人もそりゃいるだろう。自分たちの馴染の空間が、よそ者に占領されているという気になるような。自分は、生まれてから、ずっと大阪に住んでいるが、ミナミなど、中心地が自分にとって「なじみ」の空間といえるほど、この町の文化に溶け込んでいるわけではない。近年はお金もなく、飲みに行くことも全くなくなったので、街から疎外されているような気もしている。そんなだから、観光地になることを手放しで喜べているのかもしれない、とも思う。ツイッターなどで、他のことではそうでもないような人が、「外国人」観光客、この場合は、アジアからの、に対する嫌悪感を表明しているのを見て、がっかりすることなどがたまにある。うっすらとした排外主義は、多くの人に共有されているし、自分にだってゼロとはいえないだろう。だからこそ、はっきりした排外主義があらわれる行為には、頭に血が上ってしまうのかもしれない。まじめに考えないとと思いつつ、旅行者相手に韓国語の実戦練習する機会、どこかにないかなとか、何か商売ができないものかな、というよこしまなことをあれこれ考えるのであった。