2019年2月13日水曜日

さようなら ドンキホーテ(十三店)

もうすぐ、十三のドンキホーテが閉店する。とても寂しい。残念だ。近くのホテルに泊まっている外国人観光客も流れてきていて、いつも客であふれていて儲かっているはずなのに、なぜ?十三という雑多でごみごみした下町的繁華街の雰囲気にもぴったりだったのに。近所のヤンキーたちにも愛されていたのに。店が出来たのは、15年前。自分は隣町の木造アパートにいた頃だと思う。ドンキというチェーン自体、関西にはまだ少なくて、ニュースで耳にしたくらいだった。圧縮陳列とかそういうので有名で、ちょっと前に、大きな火事を出して問題になっていたのだったか。関東出身の知人が「下品で嫌い」と言っていた。ふーん、と思った。十三に出来て、ちょくちょく行くようになって、すっかり気に入った。お菓子から、電化製品、アダルトグッズまで何でも売っている。バカバカしい雰囲気が漂っていながら、結構、役にも立つ。まったく気取っていないところも自分の肌にあっていた。出来た当初は、まだ、外国人観光客が増える前だったが、ガラの悪い若者で最初から賑わっていた。買うものといって、お菓子くらいだったのだけど。あと、まだ家で酒を飲んでいた頃は、安いウィスキーを買ったりもしたかな。あ、あとは、辛ラーメンとか。そういえば、湯たんぽもここで買ったか。結構いろいろ買っているな。猫がまだ生きていた頃は、たまに猫砂を買ったりもした。ふらっと寄ってこういう買い物ができなくなるのは、本当に寂しい。夜中までやっていたことが、嬉しかった。今住んでいる家は、十三まで歩いて15分くらいにある。夜に、ちょっと散歩するか、少し出かけるか、という時の「行先」にドンキ(十三店)は、ぴったりだったのだ。下町的繁華街に好んで暮らしてはいるのだが、十三の飲み屋に行くことはほとんどないし、日々の食材を買う商店街以外、立ち寄れる場所は実はあまりないのだ。何も買わなくても、行けばとりあえず人がいて、何となく楽しいドンキ(十三店)は、大変ありがたい場所だった。ああ、ドンキ(十三店)、なぜあなたは閉店してしまうの?儲かっているじゃないのよ。閉店まであと十日ほどになった。今は、在庫セールをやっていて、引越し直前みたいな「終わっていく」雰囲気になっている。とても寂しい。「思いたったらいつだって、ドンキホーテで待ち合わせ」と歌っていたくせに、もう待ち合わせなんかできないじゃない。ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 日々、少しずついろんな事が変化し続けている。仕方がない。仕方がないけど、寂しいです。ドンキ(十三店)があった頃、が過去の一時期として遠ざかって行くのだな。ああ、ドンキ(十三店)。さようなら、ドンキ(十三店)。

2019年2月7日木曜日

初めての体験はドキドキするもの。幾つになっても。

南海の関空急行に乗って、岸和田競輪からの帰り。いつものように外国人観光客が沢山乗っていた。ああ、海外旅行に自分も行きたいなぁと思いながら、吊革につかまっていたら、前に座っていた東南アジア系の可愛らしい若い女性が、僕の顔をじっとみて、あわてて立ち上がろうとした。あれどうしたんだろう、と一瞬意味が分からなかったが、すぐに「あ…、まさか」と気が付いた。彼女が座っていたのは、優先座席で、多国語でここがどういう座席かは説明されている。「いや、ちゃいます、あ、とにかく、どうぞどうぞ」とジェスチャーで、代わってもらう必要はないと伝えた。ああ、もう、そこまで、あれか。「若手ナントカ」とかつい最近まで言われていたのに、あれなのか。そんなに老けて見えるのか。いや、でも、向こうも外国の子だし、優先座席って書いているここに座って良いのかどうか、おどおどしている感じだったから、こっちと目があって「怒られるのか」とビビっただけ、だろう、うん、そうにちがいない、いや、でも、まぁ、うーん、ガラスに映る顔を見たら、もみあげなんか半分白いし、メガネ外さないと本も読めないし、そういえば、人生初の「老眼鏡」を日曜に買ったのだったな、ダイソーのやつだけどね、今の所持ち歩いてはいないけど、でもすぐに手放せなくなるのは間違いなさそうだしな、うーん、でも、そんなものを買ってしまったから、自分からそっちに向かっているのかもしれないぞ、まだまだだ、と言い聞かす意味でも捨ててしまうか、100円のオモチャだしな、でも、まぁ、それが、いったいなんだって言うんだ、いつかは譲られるのだ、譲らないやつらに「近頃の若者は」とか言うようになるに決まっているんだ、だから、まぁ、一回目が早く来ただけ、と思えば良いじゃないか、まぁ、ほんと、勘違いって可能性もまだあるし… 気まずさを隠すため、そそくさと隣の車両にうつり、メガネをはずして文庫本を開いて灘波まで帰ったが、内容がぜんぜん頭に入らなかった。

2019年2月1日金曜日

もう少し頻繁に更新したい

(上の写真は、5日に行った石上神社)
正月の小旅行日記、あと一回分書くつもりだったが、気が付くと2月になってしまった。ブログ記事、適当に書き飛ばしているから、そんなに時間はかかっていないけれど、それでもツイッターでつぶやくよりはエネルギーが必要だ。頻繁に更新出来ている人は、他のことでも生産性が高い人なのだろうな。時間があけばあくほど、書こうという気力も減退する。実際には来ない「また」今度、ということになってしまう。

1月は、正月明けに体調を崩した。去年の秋から年末にかけて、2回も風邪をひいた。別に、健康自慢というわけではなかったが、風邪をひくのはだいたい年に一回弱くらいのペースだった。歳をとって免疫力が下がったのかと心配になる。そんな中、新年早々またかよ、という感じだった。正月休み中は、近場ばかりだが、いろいろ遊びに出かけていたので、講義が再開したらすぐに体調不良なんて、ちょっと申し訳ないような感じもあった。何とか出勤したが、10日くらいには無理な雰囲気になってきた。皮膚がヒリヒリ痛むという症状があった。ずっと昔にも経験したもので、その時は病院でもらった薬の副作用だと思っていた。今回は、葛根湯を飲んだくらいで、病院にも行ってない。これ、病気の症状だったのだな、と気づいた。

今さらながら、ネットは便利だ。検索したら、体験談が出てくる。同居人は「風邪でそんなの聞いた事ないで」と言っていたが、高熱が出る前にこういうことになる、と書いている人がいたりした。熱を測ると、37度程度の微熱だったが、たまらず休講にした11日には、39度になった。こんな熱は記憶にないくらい久しぶりだった。これは、インフルエンザというやつだな、と自己診断し、とりあえず寝続けることにした。病院に行っても、仕方がないと考えた。ネットで、「風邪・インフルで、子どもや高齢者以外は病院にいかなくていい」と書いている医者がいたので、何となく説得されてそうしたのだ。高熱は、身体が病原菌をやっつけようとしているのだから、無理に下げる必要はない。しんどすぎて眠れないとかなら頓服をもらうべきかもしれないが。インフルエンザの薬と言っても、3日で治るのが、2日で治る、という程度のもので、風邪同様特効薬はない。結局、寝て治すしかない、という話だ。まぁ、この日は、病院まで出かける体力すら無かったのだが。ピークは一日で、その後、二、三日で回復した。皮膚が痛くなって体調不良になってから「治った」という気分になるまで一週間はかかった。14日は、月曜の祝日で、私学の多くは月曜の祝日は授業が通例だけど、成人の日はさすがに休みだった。この連休が挟まっていたおかげで、休講は一日ですんだ。正月ちょこちょこおでかけ、インフルエンザ、回復でダラダラ、という感じで終わった1月だった。

この間、重い腰をあげて久しぶりに「聞き取り調査」に行ったりしたが、まだ整理できていない。その他、テストなど授業後の後始末作業が残っていて、宿題の山にうんざりして、なかなか手をつけられずに時間を無駄にすごしている感じ。生活上の不安や面倒なこともちょこちょこあり、あまり何も考えたくない、という気持ちで日々やりすごしている。ということを書いていても仕方がないのだが、どうしようもない時には「どうしようもない」と書くことで、ちょっと前に進むきっかけにできる、ということもたまにはあるので、書いておくことにする。

何のために生きているのだろう、というようなことをぼんやり思う日々。そして、「何勿体ないこと、甘えたこと言っているんだ、バカ」というツッコミをするもうひとりの自分もいたりして、この調子なら、生きている限り中二病は続くのかとうんざりしたりする。金も未来もない中で「自由に生きる」ということは、こういうことなのかもしれない。とにかくいろんなことをあきらめて、あきらめきって、その上で、できることに取り組まなくては。