2018年11月5日月曜日

よどがわさん、普段なにしてるんですか

大学が用意したミニレポート用紙を配布して何か書いてもらうことがある。担当者名を記入する欄があり、だいたいは私の苗字だけ、もしくは「~~先生」と書いてあるが、たまに「~~さん」と書いている学生がいる。2、3年前から、見るようになった、気がする。別に「先生と呼べ」なんて思わないから、好きに書けばいいんだけど、わざわざ手書きで「~~さん」は、はじめちょっと違和感はあった。敬称略でいい所だけど、柔らかくするために「さん」をつけたのか。手紙じゃないから様はおかしいが「先生」と書くのは何か違う、ということなのだろうか。

そういえば、大学院に入った時、同期の一人が教員らを「~~さん」と呼んでいたことを思い出した。「大学院なんだから、同じ研究者同士じゃないか!」というのが、その理由。自分より少し年上で、社会人経験もある人だった。へぇーすごい自信だなぁ、かっこいいな、と思ったが自分はマネする気にならず、無難に先生と呼んでいた。今考えたら、ちょっと「かまして」たのだろうな。でも、この方も、「さん」で呼んでいたのは院生同士の時だけで、教員本人に向かっては、無難に「先生」付けだった気もする。昔のことだから、詳しくは忘れた。

とにかく、「さん」はどんなココロなのかな、とちょっと気になっていた中、この前、某学生さんに質問をされた際、とても親しみをこめて「さん」と呼ばれた。それで何となく思ったのは、バイト先の「社員さん」とか、ベテランバイトの上司とか、そんな感じかな、ということだ。年上の大人と、どんな形でコミュニケーションするか、人によっては結構難しいことなのかもしれない。高校までの「先生」とは違う感じがするのだろう。そんな中、大人との付き合い方を学ぶ場所は、バイト先じゃないかな。

「さん」いいですよ。たぶん、向こうからしたら全然そんなことないのだろうけど、パイセンくらいな感じで若く見てくれているのかな、という気もしないでもないし。先生と呼ばれるほどの、ナントカカントカ。子どもの頃、うちの母親は、学校の先生にだけはならんといてな、と言っていた。先生と呼ばれる仕事はバカになるから、みたいな理由をつけていたような。親の言いつけに逆らって、そんな感じの仕事をしているが、碌な中身がないのに形だけ「先生」呼ばわりされるのに慣れてしまっている状況は、心配された通りの結果になっていると言えるかもしれない。そんなに深い考えがあったわけではなく、たぶん、先生業に何かうらみがあっただけだとは思うが。カタカナで「センセ」呼ばわりされるより、「さん」の方が、真実の応答をしなければな、という気にさせられるような気がする、ような、関係ないような。

2018年11月3日土曜日

twiceになるのは大変

某所の授業終り、体育会系の女子学生が盛り上がって喋っていた。「twice」というキーワードが耳に入ったので「何の話してんの?」と口を挟む。「生まれ変わったらtwiceになりたい」というたわいない話をしていたらしい。「女の子、女の子した人生も送ってみたいんで、いっぺん」とのこと。短髪で後輩に人気がありそうな、超ボーイッシュな風貌の彼女だが、そういう憧れもあるらしい。なるほど。思わず「分かるわ~僕もなりたいもん」としょうもないことを言って、スルーされた憐れなオッサンな私であるが、若い時からほんとにパッとしない人生だったので、twiceの皆さんのような輝かしい人生を送ってみたいというのは本心だ。

だが、今ここに、すぐにtwiceになれるボタンがあったとしても、絶対に押さないだろう。華やかなステージに立つのはステキだが、活動のある時のスケジュールは殺人的だし、合間は、稽古稽古稽古の毎日。精神的、体力的に、一日もついて行けずにやめたくなるに決まっている。今の自分みたいなのではなく「疲れない身体、タフな精神」を持っているとして、という設定なら、もうそれは「僕」ではないので、僕がなったことにならず、それはただの他人であり、現状のtwiceと変わらないのである。そういう意味では、もう、自分もなっている、と言えなくもないのだ。

30年前の中学生の頃も、当時好きだった芸能人に対して、こういうしょうもないことを考えていた気がする。その頃も、タフな精神は持っていなかったが、「今よりは」疲れない身体だった。情報としての知識はちょっと増えたが、考えていることは一緒なら、全体として退化しているとしか言いようがない。学生時代、スポーツに打ち込んだ青春って、そりゃ輝いていると思いますよ。自分の舞台で全力を出してください。twiceの皆さんのように。自分の舞台を大事にしなかった後悔は一生続くような気がします。それはそれとして、授業中、もうちょっと起きててちょうだいね。