2017年11月1日水曜日

ジモトに尻尾をつかまれる

仕事帰り、近所のスーパーで安いワインとスナック菓子を持ってレジに並んでいたら、どこやらから我が名を呼ぶ声がする。

「よどがわ、よどがわ君やろ?」
振り向いて見たら、少し赤ら顔のおっさんであった。

いかにも、自分は、よどがわですが、何か、というような返事をした。

「やっぱりな。いやぁ、なつかしいなぁ、覚えてへんか、ナントカや、ナントカ。」
と彼。どうやら、中学の同級生らしい。

数年前、自分が通っていた中学校の校区のほんの隣の町に引っ越してきた。ほぼ「地元」暮らしだが、年賀状のやりとりを含め、つき合いのある「地元の友だち」はひとりもいない。町で、たまにどこかで見たような顔と遭遇することはある。たぶん同級生とかなのだろうが、名前も出てこないから、話したりすることは当然ない。

しかし、今日、この町に来て、初めて、こういうことがあった。

「よどがわ君、自分あれやな、カントカとか、マルマルとかと一緒におったやんな。あと、ペケペケちゃんとか。」

彼の口から、いろんな名前が出てくる。そのうちの何人かは、記憶にある名前である。しかし、目の前の彼、ナントカ君のことは、どうしても思い出せない。ちょっと申し訳ない気持ちになる。向こうは、たいそうな、懐かしがり方なのだ。

「いやぁ、ほんまに、懐かしいなぁ。お互いにオッサンになったなぁ。」

ナントカ君の話は、続く。この場を立ち去りたい気持ちと、もう少し思い出さないと申し訳ないという気持ちと。そんな葛藤はおかまいなく、ナントカ君は次々にヒントを出してくるのであった。

「よどがわ、って勉強できるってイメージあったわ。今、何しているの?」

今、何しているの。よどがわ君は、今、何しているのだろう。ほんとうに。

「まぁ、いろいろ仕事しているよ。」と、ごまかすためだけの、「無」の返答をしてしまう。

「そうなのか~。いやぁ、なつかしいな。」

あまり聞かれたくない、ということを察してくれたのか、そもそも「何しているのか」に大した関心もないのか分からないが「無」の返答をスルーして、懐かし話を続けるナントカ君。

「よどがわって、エロいイメージあったわ。お互いにエロかったよな。エロい話一杯したよな。」

……。

ナントカ君によれば、中学時代のよどがわ君は、勉強ができて、エロかったらしい。
その話を聞いて、私は、ようやく中学時代のよどがわ君の姿を思い出した。同時に、目の前で懐かしがって自分に話しかけてくれているオッサンと、中学時代、エロい話をしていたことも。

いた、いた。ナントカ君。確かに、こんな顔だった。いつも、スケベな話をしていた。中学生にしては、下半身が大きくて、何度も見せられたりしたわ。

と、本当にしょうもない、どうしようもなく、くだらない、中学生らしい(のかどうか知らないが)思い出が、封印していた(のかどうか知らないが)思い出が甦ってきた。まざまざと、ってほどではなく、うっすらとだが。

「いやぁ、ほんま懐かしいな。またペケペケとかに言うとくわ。よどがわに会ったって。」

ナントカ君は、中学時代の友だちと未だにつき合いがあるらしい。そうなんだな。地元で生きているんだな。

オッサンになったよどがわ君は、「まぁ、また」とごまかすように言って、30年以上ぶりの出会いの場面を終わらせてしまった。連絡先も、詳しい住まいの場所も何も伝えず、冷たい人間だろうか。「彼ら」が今、どうしているか、知りたいような、知ってもどうしようもないような、話すこともないような、会ったら会ったで何か話題があるのかもしれないが、まぁとにかく、それで終わった。

ちょっと勉強ができて、だいぶエロかった、あの、よどがわ君は、今、何をしているのだろう。地元に住んでいて、夜にスーパーで買い物しているくせに、地元の誰とも連絡もとりあわずに、な。オッサンになったが、見かけはそんなに変わってないのかな。30年ぶりに会って、当時は掛けてなかったメガネ姿でも、分かるくらいなんだからな。彼の記憶力がすごいのか。老けただけで、顔は変わってないのか。よどがわ君は。

複雑な気分を抱えて、家に帰ってきた。そろそろ、この町を離れた方がいいのかもしれない、という気になったりした。「わしゃ、逃亡犯か」と自分に突っ込みをいれる、よどがわ君であった。

2017年10月28日土曜日

鬼も呆れる話

非常勤講師という形でいくつかの大学で仕事をして生活を維持している。全部一年契約なのでいつまで続くか分からない。毎年、この時期、来年もお願いしますというような連絡をもらってホッとする。今年はまだ来ていないところも複数ある。無くなったら無くなったで仕方ないと覚悟はしていながら、ほんとに無い、という連絡が来たら、一瞬、目の前が暗くなる。…ってほどでもないか。背中に気持ち悪い汗がツーっと流れるくらいか。これまでにも、何度かあったので、慣れてきてはいるのだ。収入的に一番依存している所が、となると、やっぱ真っ暗になるかな。大体、二年くらい前から「来年で終わりなんで」ということが多い。去年、「今年で終わり」と聞いていた所、諸事情で空きが出来、今年は週に4コマもやっていた。収入的にも依存していたが、来年は減少、再来年はゼロと言われた。連絡をくれるパイセンに、大学のあり方、その他、文句を言いたいこともいろいろあるが、その方も専任ながら任期制で立場が弱いらしい。とにかく、何を言っても仕方が無い。…と思わされているのだろうな、自分自身が。

ということで、さて、再来年からは取り急ぎ、どうしようと不安になるのだった。最低限の生活を維持するのに月に数万円は足りなくなりそう。アルバイトニュースを眺めてみて、短期バイトとかできる何かないかと、考えてみる。街を歩けば、中高年でバイトをしているような方の姿も目に付くようになった。できないこともないのだろうな。「先生と言われるほどの馬鹿はなし」という言葉もある。中途半端な立場ながら、「先生」業に手を染めてきた自分は、おそらく自覚している以上に、無根拠にえらそうな人間になっているはずだ。バイトしたら、そんな部分が知らずに出てしまい、バイト仲間からいじめられるんじゃないか、などと考え、リアルに震えてきたりもするのだった。まぁ、来年のことでさえ、鬼が笑うというのだから、再来年のことなど考えないことが肝要だろう。

かりそめの職場だから、どの職場にも、できるだけ過度な愛着を持たないようにとは意識しているが、感情統制力が弱い人間なので、通勤路の風景、それぞれ色々抱えていそうな学生たちの顔、講義後の教室で一人味わう気分、講師控室で見かける顔の幾つか、などなど、もうすでに切ない何かになりかけている。「再来年に縁が無くなりそう」と聞いただけで。鬼も呆れる話だ。非常勤講師の仕事は、一生懸命やっても、手を抜いても、クビになる生き残る、というのは全く関係ない。よっぽど大きな問題を起こしたというのでないかぎり、すべてカリキュラム編成とか、文科省がどうしたとか、経営の方針が変ったなどで決まる。ココでの話は、経営悪化で、専任ができるだけ全部すること、という方針に従ったものだという。あんなホテルみたいなキレイな新校舎作る金はあるのにね、とか嫌味を言いたくなるが、もっと安定した立場だった知人も大変な目にあったし、危機は危機なのだろう。顧客であり、主役であるはずの学生たちのリアルな状況は関係なく、勝手にすすむ、あれやこれや。とにかく、与えられた期間は、自分なりに意味のあることをしよう、という思いを持つようにしなければな、そうだな、うん、そうですね、と虚しく自分に言い聞かせるのであった。

2017年10月22日日曜日

長雨で蘇るジベタ地帯らしさ

このあたりは海抜0メートル以下。もとは工業地帯なので地下水の汲みすぎによる地盤沈下によるものだ。というようなことは、小学校のときに社会科で習った気がするが、どうなのだろう。「ブラタモリ」の大阪編にも出ていた新之助さんは「十三の今昔を歩く」という面白いブログを主催され、それを元にした本で有名になられたようだが、「十三の」というくらいだから、おそらくご近所の方なのだろう。自分の住んでいる団地の「昔」についても詳しく載っていて、いろんなことを教えられた。今の淀川は改修後のもので毛馬からまっすぐ海に向かっているが、それまでの川の流れはもちろん、ぜんぜん違う。今でも地図を見ると、元は川だった様子がわかるような道があったりもする。わが家は、明治時代くらいまでは、荒地かなんかだったよう。川ではなかったが、まぁ、使い物にならないようなところだったのでは。先日、同居人と上町台地あたりを散歩した。ちょっと「上」になっているところは、それなりにいい雰囲気が残っていたりする。神戸でも東京でも、金持ちは、やはり山の手に住むのだ。考えてみれば、ずっとゼロメートル的なところに住んできた。実家も今の住まいも集合住宅だから「上」の方だが、土地の性質(って非科学的な表現だがまぁ何かそんなもの)は、ジベタって感じのところばっかりなのだ。一瞬だけ、千里ニュータウンの端っこに住んだが、土地の質があわずに逃げ出した。やっぱりジベタが相応しい人間なのだろうか。日のあたる、山の手に住むと人間性も変わるかもしれない。そのためには金がいる。金があれば、人間性も変わるに決まっているのだから、なんというか、山の手に住んで変わったとしても、それは山の手であることがそうさせたとは言えないかもしれないな、とかどうでもいいことを考えるのであった。このあたりの平屋では、納屋にボートを持っているようなところもあったらしい。洪水に備えたもの。この間の長雨に、台風の影響で淀川の水量は相当になっているが、洪水になるほどのことはまずなさそうではある。それでも、ゼロメートル地帯的な、元は湿地だったという由来を感じさせるような、ある種の「暗さ」のようなものが、いつもよりはちょっと強めに漂っているような気がする。何となくだが。早く、秋らしいカラッとした天気に戻ってほしい。

2017年10月1日日曜日

バタバタ

旅行記など書こうと思いながら、毎日のバタバタに流され今日に至る。普通に忙しく働いている人と比較したら、のんびりしたものなのだと思うが、自分としては何となくあわただしい。「バタバタ」って言い方、どうなのかな。もしかして世代を感じるようなものになっているのかな。これまでなんとも思っていなかったような、自分にとっての当たり前が、なにもかも時代遅れになっているのでは、と気になるようになってきた今日のこの頃。こんなことこそ、気にしても仕方がないから、気にしないようにしたいが。後期の授業が始まった。非常勤講師の仕事がいつまであるのか分からないが、とりあえず今年はあるから、生きていける。適度な仕事量をいただけるとありがたいが、話があって断わったら、もうそれは回ってこないものであり、あるものも何時なくなるか分からないものだから、来た話は、日時が可能ならとりあえず引き受けている。今年はかなりきつめのスケジュールになっている。勤務時間だけ見たら何てことないのだけど、仕込みと片づけを考えるといろいろきつい。あとは移動と。でも、いいのだ。仕事ができるのはありがたい。辛いけど。できれば、他の仕事とまぜてやりたいのだが、今は、これでなんとかする。それで、一応、バタバタ。それでも、もうちょっと定期的に、かつ面白いブログを書きたいと思ったりもする。

2017年9月17日日曜日

内なる声をふさいだ方がいいかもしれない

どこかに行きたい、という気持ちがもう湧き起ってくる。先週、韓国行ってきたのだけど、また行きたい。特にどこに行きたいってことはないけどちょっとした非日常に身を置きたいということだろう。旅の多い仕事の人がうらやましい。もちろん、仕事でやっていると、それが日常になり楽しくはなくなるのだろう。それでもな。もうすぐ後期の仕事が始まる。休みがないと嘆いている方々が多い中、そういう人からしたら夢のような長期休暇がある。もちろん、それだけ仕事や収入があっての休みなら、大変贅沢なのだが。家で少しずつ、自分で考えるやるべきことをやるのだが、自己抑制力の無い自分にはとても十分に生かせない自由だ。情けない話です。でも、もう自分のことはある程度分かってきたから、全体を意味深い物にするのは諦めて、何分の一かでも意味あるものにできればいいなと目標をすごく下におくようにしている。おかげで、少しは何かができるようになったが、極めて薄味の活用だ。それなら、何か賃仕事でもするべきなのかもしれないが、やはり自由は、ちょっとでも先につながることに使いたいという気持ちが捨てきれず、踏ん切りもつかない。後期は週に10コマある。ありがたいことだ。しかし、体力的、精神力的に結構きつく、準備のことを考えること自体、今から憂鬱だ。ただ、最近は、いろんな心配が複合的に来ているので、仕事のしんどさそのものはちょっとまぎれていたりもする。嫌だという気持ちにこだわると、よりしんどくなってしまうから、いろいろ心配の種が分散しているのは精神的にはいいのかもしれない。漠然とだが、何か他の収入手段が作れないかと考えてはいる。一回きりの人生なのに、もう少し主体的に生きれないものか、という青臭い願望が湧く。今さら何言っているんだ、という内なる声。この口をふさぐことが必要かもしれない。

2017年9月15日金曜日

いつもの情景(韓国旅行記1)

日本のニュースだけを見ていたら、今の朝鮮半島は、核ミサイル実験でいかにも危機的状況が迫っている、と思う人がいるのも無理はないだろう。これまでも実験はずっとやっていたし、一連のアレは、アメリカとの交渉を引きだすための何かなのは明白なのに、まるで日本が第一ターゲットであるかのように報道している。危機感をあおることは、権力者にとって好都合だ。もちろん軍事独裁国家の存在は危なくなくはないに決まっているが、これくらい危なさは、言ってみればずっと続いているものだ。今回、韓国行きの意欲が、ニュースによって折られるなんてことは全くなかったが、親を心配させるかもというのは頭をよぎった。「ちょっと韓国に」と伝えてあったのだが、関空で「ほなね」と電話をしたら、「もう行くのやめるんやろうと思ったのに」と冗談本気半分半分で母親が言っていた。「まぁせいぜい心配しててや」と笑って電話切った。

夕方関空発の飛行機だったというのもあるだろうが、乗客の9割くらいは韓国人らしかった。これまではもっと日本人が多かった。ニュースなどで聞いていた通り、日本に観光旅行に来る韓国人はどんどん増え、反対は減っているようだ。搭乗の待合所にパナソニックのテレビがおいてあって、よみうりテレビが流れていた。キムジョンウンの顔が映っている。報道の偏りと、自分と違う考え方の人間への馬鹿にした態度が不快すぎるテレビパーソナリティの何某が韓国ロケまでして、危機を煽っていた。顔を見るだけで虫唾が走るから、見る気が起こらなかったが、韓国に帰る人たちの中には気にしている様子の人もいた。こんなメディアの雰囲気なら、「韓国行ったらあぶないで」と誰かに言われて、旅行計画を取りやめたというような人も少なくないだろう。

今回、安いチケットだったが、LCCではなかったので、新聞がフリーで配られていた。韓国語の新聞をすらすらとはとてもじゃないが読めないのだけど、嬉しがってハンギョレ新聞をもらった。パククネ政権時代の問題をめぐる裁判のニュースがトップだった。インチョン国際空港に着いて、外国人入国手続きの列に並ぶと、8割くらいは中国のパスポートを持っているようだった。ミサイル配備の問題で、中国人の観光客激減というニュースがあったが、もう今は戻っているのだろうか。ああ、すっかり日本人観光客はいなくなったのか、と思ったが、両替をしにソウル市中心部のミョンドンまで行ったら、日本語(特に関西弁)が頻繁に耳に入ってきてホッとした。いや、ウソだな。どっちかというと、ホンネではちょっとがっかりしたのだ。なーんだ、あんまりかわらんな、と。自分の中に、少しは、非日常的な雰囲気を期待する気持があったのだろう。報道に煽られた日本人がすっかり来なくなった中、通常通り訪韓する冷静な「私」を嬉しがってアピールしたい欲望みたいなものがあったような。こうして書き出して見ると、本当にアホみたいな発想だ。

これまでに来た時に比べ、危機っぽい雰囲気はあったか。実際の所、全く普段通りのソウルしか感じられなかった。若者の街、ホンデに土曜の夜ちょっと立ち寄ったりしたが、ものすごい数の若者が群れ集っていて、都市文化を楽しんでいた。これまで見た時と同様、街の人々はせわしなく働いていた。これが韓国だな、という空気だった。

とはいえ「戦争の匂い」を感じる景色もなくはなかった。ひとつは、最後の日の前日に、立ち寄ったオリンピック記念公園。上空をひっきりなしに戦闘機が飛んでいた。爆撃機か輸送機かよく分からないが。とにかく、戦争で使う道具が何度も空を横切り、ここは常に戦争の準備をしている国なのだなということを、再確認させられた。もちろん、街で見かける軍服にもそれは感じるのだが、そっちはもう見慣れていたので戦闘機の方が気になった。後で韓国人の友だちに聞いたら、ここはそもそも空軍の飛行場に向かう航路にあたるらしく、いつでもこんな感じなのだという。特に、今が危機だから準備しているというわけではなさそう。沖縄ならもちろん、横田基地などの近くに住む人にとってもお馴染みの景色なのだろう。たまたま大阪には近くに基地がない(沖縄におしつけて)から、見慣れないということか。
小さくてよく分からない

そして、もう一つは、最後の日に立ち寄ったソウル駅近く。空港鉄道に乗る前に、お土産を買いに立ち寄ったが、少し時間がありソウル路という新しく出来た遊歩道を散歩してみようと歩いて行くと、何やらおどろおどろしい大音量の音楽が流れてきた。ステージにビジョンが設置され、椅子が並べられていた。どうやら、保守系団体の集会準備らしい。垂れ幕には、「北韓の核挑発弾劾」とある。「核には核を」なんて書いてあるから、核武装派の人たちなのだろう。時間がなく、どんな集会なのかは見られなかったが、前政権の支持者たちの一部などは相当な右翼(日本から韓国の政治を右・左で切り分けようとするのは適当すぎるとは思うが)らしいので、そういう団体なのだろう。すぐ横では、キリスト教の団体も小さな集会をしていて、讃美歌を歌っていた。案外、保守系でその後、「核」集会に合流するのかもしれない。でも、こういう集会は、これまでにもたぶんしょっちゅうされていたように思う。

ソウル駅前の広場で集会の準備中


空を飛びかう戦闘機。「北韓」を激しく非難する保守派の集会。軍服を着て、スマホをのぞき込む若い兄ちゃんの姿。女性を中心にした日本人観光客の姿。いつもの、といえば、いつもの韓国が今回も見られた。
新しく出来た大型の歩道から。旧ソウル駅の前で集会の準備中。


2017年9月13日水曜日

一週間、ソウルに行ってきた

ソウルに行ってきた。6泊7日の旅だった。主目的は、金、土、日にあった第五回競輪日韓戦だった。日韓戦は二回目を除き、現地観戦している。今、韓国の競輪について手探りで調べている最中で、いろいろ取材できればという思いもあった。向こうの公団の人にちょっと話は聞けたが、取材させてもらうのは簡単ではないようだった。韓国競輪は、国直轄の体育振興公団が直営でやっていて、メディア取材などもかなり規制しているので、日本のようなプレスルームがなかったりする。許可された専門紙のインタビューが前検日にあるだけ。そのあたりのことも、去年、今年と現地に行ったからこそ分かったことではある。

3日間競輪場に通い、レースを見る。それ以外、何も決めていなかった。折角だから前後1日ずつくらい空けた日を入れておこう、という日程だった。今の私は、どうしても行かなければいけない仕事がとりあえずしばらくない。そういう生活だから可能な日程だ。飛行機代、宿代合わせたら3万くらいはかかったが、最低ラインには抑えられた。時は金なり。こういう時間の使い方が、よかったのかどうなのかはほんとによく分からない。この間、自分は何をしているのだろうと何度も思いながら過ごしていた。ただ、今年の夏は、ずっと重い宿題だった一つが一区切りついたということもある。他にも鈍行旅行をしたりしたが、何やっているのだろう、まともな大人ならこんなことはしてないぞ、という内なる声が出てきても、まぁ、今年はええがなという気休めの甘い声が、スムーズに出てくる、というと変だが、そういう状況ではあったのだ。

昨日帰ってきて、やはり今は全身が怠い。ダラダラとしていたとはいえ、家にいるよりは大分動き回った。ガラケーについてる歩数計を見たら、だいたい毎日一万歩くらいは歩いている。行っている間は、もう少し日数減らして、頻繁に来るようにした方がいいなと後悔することもあったが、とりあえずの非日常を楽しんだ、ような気がする。

何で韓国なのか、韓国が好きなのかどうなのか、何がいいのか悪いのか、いろんなことを自分に問い直すような時間でもあった。自分が韓国へ最初に行ったのは6年前で、今回は6回目くらい。長年の韓国マニア?の人に比べたら、入門者もいいところだ。しかし、こんなことは他の人がどうとか気にしない方がいい。偉そうに自分だけが知っているみたいな顔をしなければいいだけだ。自分は自分の生を生きているのだから、そこでの体験や行為がどんな意味があるのかは、自分が決めればいいのだ。そしてまた、社会の中に生きてもいるんだから、自分の目で見た何かについて他人に伝えたいと思うのも当然のことだろう。

何の話か。それまで、出不精な生き方をしてきた自分にとって、何度も出かけようと思う外国があるということは、ある意味感動的なことと受け止めていて、それだけに、旅行してきたらいろいろ他者に向けて報告したくて仕方がないのだ。しかし、現地在住の人の深いブログ記事などを読むと、自分が「見た」ことなど、誰でも知っているようなことにすぎないしな、と考え、書く意欲がくじかれてしまう。という訳で、そんなストッパーはできるだけ外して、書きたきゃ好きなように書いておけばいいんじゃないか、と自分を励ましているのである。

のんびりした日程だった。安いノートを一冊持って行って、何やかや日記みたいなことをメモしてきた。それを見て、整理しなおして、滞在記みたいなのを書こうと思うが、考えるだけで面倒でもある。というわけで、とりえあえず、行って帰ってきた、とだけ書いてアップしておこう。
チャムシルのオリンピック記念公園にいたウサギと交流するおじさん。