2018年6月19日火曜日

滝沢正光校長にご挨拶

 土日、岸和田競輪場にG1高松宮杯を見に行ってきた。レースも面白かったが、それとは別に、個人的に嬉しい事があったので書いておきたい。決勝の日曜は、お世話になっている大ベテラン記者の井上和巳さんがいらしていた。お久しぶりにお会いしたので『月刊競輪WEB』のお礼など、立ち話をしていたら、近くを滝沢正光さん(元「怪物」、現日本競輪学校校長、競輪ファンには説明不要ですが詳しくはこちら⇒Wikipedia)が通りがかった。井上さんに促され、挨拶するため名前をつげると、滝沢さんはすぐ「立派な本、ありがとうございました!」と満面の笑みで応じてくださった。
 滝沢さんとは初対面ではない。7年前、女子競輪が復活する時に競輪学校の見学をさせてもらったのだが、その時にちょっとだけお話はさせてもらった。「僕は今、滝沢選手と喋っているんだなぁ、不思議だなぁ」と感じながら。
 それもあって、競輪学校宛てで拙著を一冊送らせていただいてはいたのだが、まさか、読んでもらえるとは期待していなかった。競輪ファンならご存じの通り、滝沢さんは大変腰が低く、どんなファンにも「神対応」の人だから、誠意のこもった社交辞令であるとは思いながらも、“ーー勉強のためにいつも机の近くに置いている”、”ーーお書きになられたような過去から我々は学ばなければいけないと思う”、などと言っていただき、「うれしみ」に溺れそうになった。本を書いて良かったなぁ、とシミジミ感じた。「滝沢が読んでくれるんだから、頑張れよ」と若き日の自分に発破をかけに行きたいくらい。
 「いつでも来てください!案内します!」と校長先生から直々のお墨付きをもらった以上、競輪学校の取材には、ぜひもう一回行かねばならない。

2018年5月31日木曜日

若者あたり

午前中だけで終わりの曜日がある。真っ直ぐ帰ったらいいのだけど、今日はぐずぐずしてしまった。とりあえず、昼飯を食べようと、非常勤先の学食のひとつに行く。次回の用意などしていたため、ピーク時からちょっとずれたが、それでも賑やかだ。他の勤務先である「小さい大学」の学生がこの様子を見たら驚くだろうな、とか余計なことを考える。勉強の環境はしらないが、キャンパス経験という意味では、マンモス私大は恵まれているような気はする。総じて楽しそうだし。あくまでも、全体としてはだから、時に暗い顔をして歩いている学生の姿もよく見かけはするが。そういう目で見ると。ここは自分の出身大学だが、非常勤で来るようになって10年以上経過している。学生ではないが、ちゃんとした職員でもない、という中途半端な立場で週にちょっとだけの時間を過ごしながら、懐かしい思い出の上に、少しずつつつまらない色の絵の具で上塗りしていっているようなものだ。それでも、時には、ふと何か思い出したりするが、一瞬で過ぎ去ってしまう。フェイスブックなどをやるようになって、当時の知り合いや友達たちとも、実際にはほとんど会ってないのに、薄いつながりがあったりもして、そこで小出しに伝達したりすることで、追憶の情も薄くなっているような気もする。男女グループも多い。夏休みの計画や、海外旅行のことなんかを、元気に話している。自分が学生の頃は、男女一緒に楽しそうに喋ったり、あまりしなかったような気がする。まぁ、でも、当時からイケているサークルの学生は同じようなものだったのかもしれない。講義なんかをし始めた頃は、今の学生はなんと勉強しないものか、と驚いたり、文句を言ったりしていたが、最近はあまりそう感じなくなった。学生が勉強をするようになった訳ではないが、自分の学生時代はもっとひどかったということを客観視できるようになったからだ。彼らに何か言ったり、ああしろこうしろという資格は、少なくとも自分にはない。仕事だから、役割として最低限のパフォーマンスはする。オッサンの常として偉そうに指導したいという潜在的欲求は常にあるから気を抜くと、最近の若者は…と言いはじめそうにもなるが。ちゃんと大人になれなかったということなのだろう。ただ老けただけで。こんなに成熟できないまま、全体として枯れていくのか、と思うと憂鬱になるが、幸いな点は、マイナスに向かう力も弱まっているということだ。お金持っている人たちに混ざると、自分が惨めになる。いたたまれず、早く帰りたくなる。若い人たちに混ざっても、同じ。惨めになり、早く帰りたくなる。でも、ここは我慢しなければ。前々回の記事で書いて以来、飲酒は控えているが、酒の誘惑を断ち切ると、甘い物が誘うよう。誘惑に負け、食後、アイスクリームを買ってしまう。舐めながら、キャンパス内をちょっとうろうろ。普段見ない、文化系クラブの告知ポスターを眺めたり。国文学研は、文学を読まないメンバーも歓迎します、と書いてあった。何するんだろう。中国語研は、昼休みに発音練習をするらしい。こういう所に入っていたら、どんな感じだったのだろうな、とかちょっとだけ妄想する。今のまま学生に戻ったら、韓国語のサークルに入りたいが、ただの妄想だ。自分が学生だった頃は、朝鮮語勉強するなんて、ほんとに少数派で、暗いイメージだったことを思うと隔世の感だ。このテーマ、いつかは真面目に考えたいなと思いながら、自分にはもう「いつか」なんてないのだから、やるなら今やるしかないと思うと、ならやめておこうか、となるのだった。アイスも食べたし、もう帰ってもいいが、折角だからと図書館に寄る。新しく入った本を何となくながめる。ネトウヨみたいなのが書いた本が並んでいて、こんなインチキな本を図書館に置くなよ、とひとりぶつぶつ言ったりする。何か借りようかと思ったが、借りていてまだ読んでない本があるから、それを返してからにしようと思い、何も借りずに帰路についた。外にいて、ちょっと暑くなってきたりすると、こんな気分の時は飲みに行ったら気分転換できるかな、という誘惑が頭をよぎるが、実際には別にそんなことはないのだ。もっと本質的な喜びを味わうことを、今からでも目指さないとな、と考える。やった方がいいことは沢山あるが、どれも、楽しみな部分が少ない作業のため、なかなか着手できないでいる。とにかく、若い人らは、眩しい。食あたり的な意味で、ちょっとあたるところもある。

2018年5月28日月曜日

ミニシアターで革命を夢見る

映画『マルクス・エンゲルス』を見てきた。映画館で映画見るなんて、いつ以来か、覚えていないくらい。だから、映画を見にいくという経験自体に、いろいろ感想を抱く。それが面倒くさくて、映画館にはなかなか足が向かない。1800円なんて、無産者階級には高すぎる、というのが一番の理由だが、「金があったらやりたい・行きたい」リストでも、あまり映画は上位にこない。本当にすきなら、DVD借りたりして、いろいろ見るだろう。

それなのになぜ見に行く気になったのか。講義でマルクスの話をちょっとする関係で、予告編を見て、面白そうだったからだ。自分は、マルクス主義者ではない。だいたいこんな思想だろう、という知識はあるが、社会学をやっている人の常識としてまぁ少し勉強したというくらい。ただ、マルクスとエンゲルスの二人の関係については、かなり気になっている。岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年―自嘲生涯記』1983を以前に読んで、ここに載っていた二人の書簡と、そこから見える関係性に興味があったから。天才で人間的には問題だらけそうなマルクスと、ええとこの子で、人間味のあるエンゲルスとの関係が、どんな風に描かれているか。

実際の「革命」は、どう評価していいか分からないが、今ではない別の社会へ向けて、人々が動き出そうとする瞬間には、やはりロマンを感じる。感傷的な左翼風味趣味にすぎないかもしれない。映画はどうだったか。画面がきれいだった。「映画」が久しぶりだったから、そう見えたのかもしれない。彼らが活躍した当時のヨーロッパの風景がうまく再現されているように感じた。もっとも大した知識もないから、本当の再現度はわからない。

違和感があったのは、女性の活躍がちょっと現代風すぎたところ。二人のパートナーが、強烈な個性の革命闘志として描かれているが、この頃は、当然、もっと男性中心の運動だったろう。その辺はつっこまなくていいのかもしれないが。

弾圧されたり、追放されたり、激しい日々だが、実際には、彼ら二人とも、ほとんどの時間、原稿を描きつづけていたんだな、なんてことも思った。つけペンを使って、ノートをとりながら、プルードンの『貧困の哲学』を読み、批判本を書くシーンが印象に残った。ペンで書いて、インク押さえ(ブロッターっていうんですね)で乾かしながら、どんどん紙を張り付けて修正していくように原稿を書いていた。なるほど、あんな感じで書いていたのだろうな、と興味深く感じた。

あとは、二人が出会うシーンは、やっぱりよかった。突っ張り合いながらも、お互いを認めあった瞬間は、キュンキュンしてちょっと恥ずかしくなった。

まぁ、映画っていうものは、多くの人が関わって作っているもんだな、と今さら思いました。高層ビルのようだ。その大層さが、どうも苦手なのかもしれない、と思った。本なんて、編集の人入れても数人で作っているから、触れるのも気楽な気がする。

平日の昼に行った。スカイビルのミニシアターだった。100何人か入るくらいのところ。客席は、ポツポツ。ガラガラってほどではないくらい。ひとり若者っぽいのがいたが、大半が自分より年上のようだった。年齢層だけでいうと、競輪場と同じだ。年齢層は同じでも、競輪場と違い、プロレタリアートっぽくない感じの上品な人たちが中心。かつて革命の夢を見たような世代だろうか。元学校の先生っぽい感じの人も多いように見えた。今から革命が起こっても、もう、関係ないだろう、というような人たちが、若きマルクス、エンゲルスの青春に何を見るのだろうか。「もう関係ないだろう」自分は、上に書いたようなことを、見た。1800円はきつかったが、後悔はしなかった。年に一本くらい映画を見にいくのも悪くないかも。

予告編はこちら

2018年5月10日木曜日

酒よ

アルコール依存症らしい人の話を聞くと、胸が痛い。そして怖い。自分だって、たぶん依存症だからだ。たぶん、とか付けるのは、直視していないごまかしの態度のあらわれだ。ただ、依存症についての本などに出てくる「底つき」までは行ったことはない。歯止めが効かなくなるまで飲み続けて、もうだめだ、と痛感するような体験のことだ。そこまでいくと、もう断酒しかないという。ひと口飲んだら、また底まで行ってしまうことになる。TOKIOの人の話とか聞くと、退院後にひとり酒を始めて、とめどなく、という報道されている流れが本当なら、間違いなく依存症なのだろう。自分は、そこまでは行っていないが、飲み始めたら、ずっと飲みたくなってしまうのは間違いない。条件が整えば、幾らでも飲み続けると思う。そういう自分の症状を自覚して、3年くらい前に、意識的に禁酒した。(前に書いたと思うが気にせず続ける。)その頃、将来の希望がない、という状況に耐えきれず、酒に逃避するようになった。もともとだらしない酒飲みだったが、ひどさが明らかに増していた。非常勤講師の仕事に行く。仕事の前はさすがに飲まなかったが、終わったら、すぐに飲みたくなった。帰りの駅のホームで缶ビールをあける、なんてことも結構あった。一度やると、飲まないと物足りなくなる。ミナミの立ち飲みに一人で出かけた。夜中に酒がなくなると、コンビニまで行って、安い日本酒のパックを買ったりもした。同居人は基本的に酒を飲まず、酔っ払いを嫌悪している。だから歯どめになってくれている。用事で彼女がいないとき、監視の目を盗むような気持ちでコソコソ飲み始めたりすることも多かった。飲めば手軽に気分を変えられる。ちょっとの間だけだが、それは確かだ。YouTubeで何か聞きながら、酒を飲んで、ツイッターでも見ていたら、楽しい気分にひと時はなれる。しかし、まやかしの快楽であることは明白だし、醒めたら後悔しか残らない。充実した仕事なりをやっていて、仕事終わりや休みの日に飲んだりするくらい、全然問題ないと思う。自分は違った。そんなスカッとした飲み方など、ほとんどしたことがなかった。逃避の為だけに飲んできたのだ。その頃は特にひどかったが。

これじゃだめだとさすがに思うようになった。かつて見た、アルコール依存症の互助グループのドキュメンタリーの映像や、中島らもの『今夜すべてのバーで』などの描写が、反面教師として助けてくれたようにも思う。そこまで行ったらもう大変だぞ、というような。ずっとほったらかしにしていた「本」の刊行にあらためて再挑戦することを決意し、書くためにも、酒はやめようと誓った。人と会う時は除外して、という甘いルールだったが、とにかく一人で飲むのだけはやめようと。任期付きの常勤仕事が終わり人と会う機会がグッと減っていたので、飲み会などもほとんどなかった。ただ、一年間で、一回か二回くらいはそういう機会があったかもしれないが、それまで週1回の休刊日さえ守れなかったことを思うと、なかなかのものだった。その後、ちょっと崩れはじめた。原稿を書き進んで、気持ちも緩んだのかもしれない。去年の春、熊本に調査をかねて旅行に行った時、ひとりでは飲まないという禁をやぶって夜行バスを待つ時間に飲み屋で大びんのビールをあけた。覚えている、ということは、まずいことをした、という気もあったのだろう。それでも大崩れはしなかったが、ぐっと飲酒習慣に近づいたことは間違いない。飲まなかった間は、スーパーの酒のコーナーとかを見て、「ああ昔はここで酒を買っていたんだなぁ」とか過去形の眼差しを向けていた。無駄遣いをしていたなぁ、なんて思っていたのだが、ちょっとずつ、飲みたい気持ちが復活してきた。酒を控えたおかげで、何とか、本も書けた。しかし、仕事が終わりに向かうと、生活の目標を見失うような気持ちにもなっていった。もともと自分は弱い人間なのだ。相当気合いを入れないと、自堕落に向かう。人と飲む機会もちょっと増えたり、家でも、同居人と安いワインを軽く一杯飲むということが増えた。昔の酔っ払い状態に比べたら、飲んでないようなもの、だが、でもやっぱり、酒は酒だ。たまにでいいや、という感覚から、毎日飲みたいという欲が湧くようになり、すきがあればズッと飲んでいたいという意識になってきた。やめた方がいいかな、と考えると、何だかとても寂しいような気がしてしまう。これは、依存症の症状だ。6年くらい前にタバコはやめた。タバコもやめる前は、一生やめられないような気がしていた。多くの人がそうだと思う。やめると考えるだけで、とても寂しい気持ちがする。何か大事なものとお別れするような気持ちになるのだ。だけどやめられた。

酒も同じだろう。安いワインが一本、飲みかけで冷蔵庫に残っているが、もう飲むのはやめよう。そう考えると、酒を飲まずして、何の楽しみがあるのか、なんて気持ちになる。酒にとらわれてしまっているのだ。だからこそ、やめた方が良い。ただ、断酒までは考えていない。人と会う機会には、飲む楽しみを残しておきたい。人と一緒の時だって飲まなくてもいいじゃないか、とも思う。本当はそう思っていないのだが、そう思うようにしたい、ということだ。とにかく、ひとりで、飲むために飲む、ということはもうやめよう。といいつつ、明日には、また飲もうとするかもしれない。そんなものだ。それならそれで、明後日また、やめることを決意すればいい。とにかく、毎日飲みたくなる、という心理状態から、自由になりたい。そのためには、依存症であることを自覚することがスタート地点だという気がする。これから先、楽しいことなど、ろくにないのは事実かもしれない。でも、飲んだって、そんなものはないのだ。まやかしだ。喜びは、自分で作っていかなければならないのだ。小さな喜びを作り出す努力がいるのだ。そのためにも、酒からは自由でいたいと思う。ずっと我慢するとか考えるからしんどいのだ。今日一日は飲まないように、を毎日続けることだ。そのためにも、あらたに目標を立て、建設的に生きることに努める必要がある。それと同時に、今日一日に意識をもってきて、先の不安を過剰に取り込んで、自分で自分を縛るようなことをやめるように心がけることだ。

ゴチャゴチャしたままでも、今の思いを文字にして書いておけば、生活の改善へ向けての、ちょっとした指針くらいにはなるだろう、と思い、書き殴ってさらしておくことにした。あまり重く考えずに、小さく決意しておこう。

(去年の春、と書いている熊本行きは、一昨年だった。どっちでもいいけど、自分のためにメモだけ。)

2018年5月6日日曜日

頭の中のケシゴム的な

記憶障害がひどい。同世代の友だちの多くも、「あるある」と言っているようだから、何てことないのかもしれないが、絶対知っているはずの言葉が出てこなくなるとさすがに焦る。講義をしていて、アドリブ的に脱線して事例を出そうとしている時に、固有名詞がでなくて、あの、あれ、あれがですね、になることもたびたび。年寄りに向かっているということなのだろう。

ただ、自分自身の頭脳の特性というか、欠陥もやっぱりあるのかなと思うことも。若い頃は、自己反省、自己省察を、今思うと全然していなかったので、全く気付かなかったのだけど、昔から「ストーリー」を記憶するのが苦手だった。今はあまり小説を読まないけど、若い時は、近代文学の名作とかは一応読んだ。読んで、面白いな、と思ったが、あとで筋を全然覚えていなかったりするのだ。同じのを読んだ妹に、あんな話やったな、と言われても、あ、そうだったかなという感じ。一回二回の話ではなく、よく考えたら、ストーリーのほとんどがそんな気がする。子ども頃に熱中したマンガなんかは、買って手元においたらだいたい数回は読み返したので、さすがにそんなことはないが、一回しか読まなかったものに関しては、まぁ、記憶に残っていないのだ。

パッと見て、ズッと覚えている、という能力者がいる一方で、反対もいる、ということで、自分は反対側なのだろう。細々と読書会をやったりしているが、一か月くらい期間が空くと、もう前回読んだところがどんな内容だったのか、付箋貼ってあっても思い出せなかったりする。読んでいる時は、それなりに、面白いな、と思ったりしているのだけど。何のために本など読むのだろう、と思う。同じ事をツイッターで何度もつぶやいているけど。

父親が何度か倒れて以降、記憶がどうも曖昧になっているよう。コミュニケーションをしていると、時間軸が狂ってきているのに気づく。昨日と2週間くらい前が切り分けられなかったり。それでも、田舎にいた頃のこととか、仕事をしていた頃のこととかは、それなりにハッキリ覚えているようで不思議に思ったりする。昔は顔も含め、あまり似ていないように思っていた親だが、この頃は、そのまんま受けついでしまっているな、と感じることがたびたびある。世話する立場で接すると、今までとは違って客観的に見えるからかも。自分もやがて、脳内がもっとぼんやりしていくのだろう。その時、どんなことを繰り返し語ることになるのか。父親とちがって自分には子どもがおらんから、そんな頃には、話し相手になってくれる人もいないだろうし、存在しない相手に迷惑をかけるかもとか心配する必要はない。ただ、文章を書いたりするから、今よりも恥ずかしい何かを、ネットの虚空に向けて書き散らかしたりすることになるかもしれないな、とは思う。もうなっているとも言えるが。

メモしたり、ノート書いたり、外部化しておけば、記憶力が衰えても「問題」はないのかもしれないが、そんなことしているから、余計に、記憶力が下がっているのかも。まぁ、よく分からないが、これからも、たぶん、同じことを何度も書くことになるだろう。

2018年4月26日木曜日

理解してくれるやつが1人いたんだ

野球は普段見ないので、深い所はよく知らないのだけど、たまに耳にする「いい話」には弱い。衣笠が亡くなったことに関して、江夏が記者に答えたインタビュー記事を読んで涙がちょちょぎれた。例の21球の時、ギリギリの場面で声をかけに来て、何かあったら一緒にやめてやるから勝負しろと言ってくれた、という話。

「あの苦しい場面で自分の気持ちを理解してくれるやつが1人いたんだということがうれしかった。」(日刊スポーツ Web記事 20180425付

ピンチの時、理解してくれる人が「1人」いるということが、どれだけ嬉しかったか。他人と分かりあうということのありがたみについて教えてくれるエピソード。

「ため息を繰り返した江夏氏は自身に納得させるように「いいヤツを友人に持った。俺の宝物だ。ワシもすぐ追いかけるんだから。次の世界でまた一緒に野球談議をするよ。それが楽しみだ」と話していた。」(同記事

「いいヤツを友人に持った。俺の宝物だ。」なんという心のこもった、真実の言葉なのだろう。江夏が、覚醒剤で逮捕された時も、裁判に来てくれたという。いいヤツのありがたさは、何度も失敗を経験しながら、くり返し確認したことなのだろう。

自分は、とても「いいヤツ」にはなれそうもない。でも、できれば、隣人に対して、大事な時に、分かった、共感している、ということを伝えられる人間になりたいと思う。「俺の宝物だ」なんて言ってくれる友人を持ったなんて、素晴らしい人生を生きたのだろうな、衣笠さんは、とあらためて思う。あんな大選手なんだから、素晴らしいに決まっているんだけど、そういうスターとしてだけではなく、まぁなんというか、人間としてという意味で。野球ファンでもなんでもないくせに、明日も、頑張ろうというような気持ちに、ちょっとなります。

2018年4月21日土曜日

貧乏くさいことを言うな

テレビを見ていて海外のどこかが映ったら、「ああ、こんな所、一生行かずに死ぬんだろうな」と思う。きれいだな、とか、楽しそうだな、とか、何かしらんが、まずはその場所についての感想が浮かぶべきなのに、すぐ自分のみじめな話に結び付けてしまうのは、よくない癖だ。思わず口にしてしまい、「辛気臭いからやめろ」と同居人に言われることも多い。確かに。自己愛にもとづく自己憐憫のようなものか。わからないが。何ですな、貧乏なのは仕方ないとしても、貧乏くさいのは避けた方が良いですな。と、まぁ、頭では理解していながらも、根が貧乏臭いのが好きなのだろう、すぐに憐れっぽい感情がわき、それを表明したくなるところがある。貧乏臭さの露出狂だ。改善すべき。もっと、スン、としていたい。第一、一生、ヨーロッパやアメリカに行けなくてもそれがなんなの。金持ちだって月には行けまい。とか、なんとか、すぐ言いたくなるのも、やめた方が良い。やめた方が良いことばかりだ。