2018年6月30日土曜日

見たくなければ見なければいい、の話

 控室で英語担当の女性講師が「先生、今日は眠くありませんか?」と声をかけてくれた。非常勤講師としていろんな所で働いているが、「コンニチワ」「オツカレサマデシタ」以上の会話はあまりしない。そんな中、いつも何か話題を振ってくれるこの方は、貴重な存在だ。「あんな試合なら起きてなくてもよかったかなって後悔しましたよ」と笑ってらっしゃる。本当に、少し眠たそう。ワールドカップの話だな。自分は見てない。見ていないけど、やっている時間は起きていた。だから、眠くはある。ツイッターも眺めていたから、何がどうなったかは、だいたい知ってはいる。どう答えようか、と一瞬ためらったが、考えるより先に、「僕はサッカー見ないので、眠くありません」という拒絶的な言葉を発してしまった。「…あ、そうなんですか…」「ええ、国家代表とか、そういうナショナリズムが嫌いなんです」と余計なことまで口にした。言った瞬間、激しく後悔したが、遅かった。「ああ、そういえば、まぁ、そういうのは、あれですよね」と、気まずさを調整するような言葉を相手に言わせてしまった。
 「こんにちは」「お疲れさま」と仰っただけなのだ。「暑いですね」「鬱陶しい天気ですね」の延長線なのだ、「サッカー何々でしたね」も。見てなくてもいいのだ。「僕、見てなかったですが、どうでした?」とか、「これこれこうなんですってね、見てないですが」とか答えたらいいだけなのだ。サッカーとは何か。スポーツはどうあるべきか。はたまた国家とは…、なんて、何の関係もないのだ。どうして、自分は、こんな当たり前の大人としての対応が出来ないのか。
 まずい、と思い、「知人も好きな人が多いですからね、サッカーは」「ヨーロッパリーグとか応援していたり、ナショナリズムを越えた魅力がありますよね」とか、いろいろ取り繕うことを口にした。自分の言葉はいつも軽いが、これらの言葉の空虚さは後に引きずるほどのものだった。
 
 別の男性講師の方が入ってきて、お二人で、サッカーの話は継続された。ああいう作戦をどう評価するのか。フェアプレーポイントみたいなのがあるのは初めて知った。次にあたるのは、どこどこだ。ドイツが韓国に負けたのは意外だった。前回優勝チームは、予選敗北というジンクスがあるのだ。などなど。全く試合を見ていない自分でも、全て知っている話ばかりで、楽しい会話は続いていた。
 日本中で、あるいは、焦点は違うだろうが、世界中で、同じ話を、同じようにみなでやっているのだ。あれは良かったのか、ダメならどうなのか、それにしてもあれでは、とはいえあの場合は。そういうものなのだ。自分は、たまたまサッカーからは距離があるだけで、他のテーマについては、同じようにやっているのだ。あれはどうだ、これは、こうだ、あれはゆるせない、でもこれはしかたない、あんな意見があるが、それはこうだ、これが分かっていないのだ、でも、たしかに、まぁ、そうですね、と。
 
 三島由紀夫が『不道徳教育講座』で、流行には乗っておけ、「乗らないぞ」なんて意識している奴の方が、よっぽど流行に左右されているのだ、というようなことを言っていた。まさにそうだと思う。ここ連日、ワールドカップの事ばかり気にして過ごしている。一試合も観ずに。流行に左右されまくっている。
 講義の雑談で、「早く終わらないかな、とかネットでつぶやいてますが…」と言ったら、ちょっと受けた。安物の「ぶっちゃけ芸」みたいなことをしてしまっている。恥かしい。視聴率がある程度正確なら、まぁ、半分弱くらいの学生は見ている、という感じだろうか。
 いつからこんなに「気にする」ようになったのか。もう覚えてない。中田とか、カズとか、武田とか、川口とかは、名前と顔が一致するから、その人たちの頃は、普通に試合も見ていたのだと思う。熱心ではなかったが。その次の世代は、コマーシャルに出ている人の一部とか、モノマネされる人くらいしか知らない。いつからか、意識して見ないようにし始めたのだろう。
 私の知っている社会学者には、野球ファンは少ないが、サッカーファンは多い。自分にとっては、それが余計に苦手意識へとつながっているような気もする。準拠集団の皆さんへの恐怖感か、何かしらないが、とにかく。ここ何年かの間に、試合の映像がたまたまテレビに映っていて目にしたことはある。何となく、面白そうな感じはする。しかし、その面白そうな感じが、またちょっと気持ち悪かったりする。
 
 ふと考える。自分の内なるコレは、数年前「韓国嫌い」の連中が、フジテレビにデモをした時の原動力と同じものなのではないか、と。「嫌いなら見なければいい」「誰も見てくれなんて頼んでいない」「好きな人の邪魔しないでくれ」。KARAや少女時代が好きな自分は、韓国の芸能人を日本のテレビに出すな、と訴えた、あのデモの連中を憎んでいる。馬鹿な奴らだと心から軽蔑している。あのデモは、戦後に実施された大衆デモの中で、「目的を達成した」数少ないもののひとつだ。自分が、ワールドカップに感じるコレは、あいつらの感じていたものと同じなのではないか。「嫌いなら見なければいい」のだ。確かに。「好きな人の邪魔」なんてしてはいけないのだ。しかし…。黙っている、ことの何とも言えぬ圧力。だから、つい「嫌だ」を訴えたくなる。あいつらと自分は、同じ穴のムジナなのかもしれない。
 肥大化した自意識と、メディアが作る疑似環境と、そのあたりの問題だろうとは思うが、どうか。もう少し、きっちり考えないといけない、かもしれない、かも…。

 と、まぁ、このようなことを考えながら、鬱陶しい雨の中、二つ目の勤務先に移動した。
 ここの学校は、女子スポーツ部が盛んで、グラウンドでは彼女たちのトレーニング姿がいつも目に入る。どのクラブも、雨のために練習は休みのようだった。そんな中、女子サッカー部の学生数人が、びしょ濡れになりながら、ボールの蹴りっこをしていた。前日の試合を見ていて、じっとしていられなくなったのかもしれない。本当に楽しそうで、サッカーが面白くて仕方がない、という様子だった。こんな美しいサッカーを見てしまい、グチグチとこねくり回している自分の気色悪さが恥ずかしく思えてきた。

 なんですね。運動不足ですね。自分。たぶん。あと、カルシウムとかも足りてないのかも。4年後は、ケロッとした顔で、あそこの監督はどうたら、とか言っているかもしれません。その時は、すみません。ああ、でも、もう次の試合は惜敗してほしいなぁ…。

2018年6月21日木曜日

時の人・木暮選手との遭遇

 ツイッターでチラッと書いたが、岸和田競輪場で開催された高松宮杯最終日の帰り道、偶然、木暮安由選手に遭遇した。南海の新今宮で環状線に乗り換えるのだが、木暮選手もそうだったらしくホームでスマホをのぞいて乗り換えの確認をしていた。
 スラッと背が高く、高そうなオシャレスーツを着ていたので、なかなかのオーラだった。私は、「あ、木暮だ!」と引き寄せられるように近づいて行ってしまった。レース直後とはいえ、競輪場から出たオフの状況で、ファンに話しかけられるのは迷惑だろうと思いつつ、このタイミングで、あの木暮選手に偶然会えるなんて、これは競輪の神さまのおぼしめしなんじゃないか、と思わずにいられなかった。

 私は、もともと木暮選手が好だった。コメントや記事を通して、レースに独自の哲学を持っているように感じていたし、たたずまいというか、無表情じゃないのに感情があまり表れない、勝負師らしい顔なんかも気に入っていた。去年、18きっぷを使って、大阪から福島のいわき平まで、ちんたらオールスター競輪を見に行ったけど、その時、木暮選手は目の前で危険な落車をした。ユニフォームも擦り剥けズタボロで担架に乗せられた彼に、例によって興奮した客の一人が罵声を浴びせた。片膝立てで運ばれながら、木暮選手は、その客の方にスッと目を向けたのだ。そして、ほんのちょっと笑った、ように見えた。その表情には、何とも言えぬ色気があった。とても印象深いシーンだった。
 今開催で、彼は競輪界の時の人になった。決勝戦に当って、競輪界の常識を覆すような選択をしたからだった。ファンには説明不要だろうが、簡単に解説すると、競輪は地域毎にラインを組んで半団体戦で戦う。その際、強い先行選手の後ろの位置が好位置になるのだが、一番有利なそこに誰が行くのか、その後ろでどう並ぶかは、だいたいの慣例で決まっている。今回、吉澤という選手が関東地区の先頭を走ったのだが、そのすぐ後ろの位置をめぐって、木暮と武田豊樹が競ることになったのだ。武田はタイトルを幾つも取ったスター選手で、木暮にとっては隣接地区の大先輩。しかも、武田と吉澤は師弟関係にある。慣例なら、その絆を尊重し、武田に前を譲り、三番手をまわる、という選択をするところだった。しかし、木暮は、タイトルを取るために、二番手を武田と争う、と宣言したのだ。木暮と武田の競り、というニュースは、ファンの間に大きな衝撃を与えた。「お約束」を破る、下克上宣言だった。
 評価は様々だ。めちゃくちゃだ、バカじゃないか、という意見も多かった。競りになるとエネルギーを消耗して、たとえ武田に勝ったとしても、一着になれる可能性は低いだろう。今回は、オリンピックを狙う脇本という近畿の選手が絶好調だ。関東で力を合わせて何とかするべき時に、そんなことをしたらそのチャンスもなくなるだろう。もし、三番手が嫌なら、近畿地区の二番手とか他のラインに競りかけるべきだ。武田に挑むにしても、この機会が、よかったのか。云々。どれもごもっともな意見だった。
 今回の木暮選手の選択が正しかったのか、どうか、自分は分からない。そもそも、何を以て正しいというのか、そんなものがあるのかも分からないが、とにかく、私は、彼の選択に、とても興奮した。いったい、どんなレースになるのだろう。どんな思いで決断したのだろう。挑まれた武田はどんな気持ちになっただろう。これから、他のレースで同乗しても、ギクシャクすることになるだろう。他の選手にも、不文律を破る奴だと見られるようになるかもしれない。それを分かって、木暮は選択したのだな。ここに至るまで、どんな経緯があったのだろうか。どれほどの決意だったのだろう。とにかく、これは、ぜひぜひ生で見なければ…。
 昔、プロレスのタイトルマッチをワクワクした思いで待ったような、そんな気分になれた。ビッグレースの決勝は、いつも楽しみではあるが、今回の期待感は、予想とはまた別の、何か競輪の歴史に関わる場面が見られるんじゃないかというような、そういう種類のものであった。競輪がただのスポーツではなく、かといってただのギャンブルでもない、人間関係のしがらみを意識しながら個人が仕事として戦い続ける、独特の性質を持つものだということを、改めて感じさせるものだった。
 結果は、結束した近畿ラインの思い通りのレースになった。武田と木暮の二人は競りに消耗し、下位に終わった。ただ、しこりだけが残ったと言えるのかもしれない。しかし、「競りになる」という情報が流れてから、レースが終わるまで、十分に楽しませてもらった。木暮選手のこれからには、目が離せないな、と思って競輪場を後にした、そんな自分の目の前に、その木暮選手が現れたのだから、テンションがあがってしまったのだ。
 
 「握手してください!」とミーハー丸出しで声をかけた。よく考えたら、良いオッサンが、一回り以上も年下の男性に言うセリフではないが、ほんとに握手して欲しかったのだ。
 木暮選手は、あ、ハイハイという感じで、応じてくれた。その雰囲気に、優しいものを感じたので、「競りのレース、面白かったです!ああいうレース見たかったんです!」と「気持ち」を伝えたら、「あ、ほんとですか!それなら良かった!ああいうレースもたまには良いですよね?」と嬉しそうに相手をしてくれたのだ。オッサンのハートは一瞬で鷲掴みされた。イメージと違って、なんとさわやかなんだ。今回の自分の選択にファンの一人が喜んでいる、ということを、彼が喜んでいるということが、何とも嬉しかった。いやぁ、良い選手だなぁ、と改めて感じた。「がんばってください!応援してます!」と木暮選手を見送った。
 
 彼も、ここで環状線に乗り換えるようだった。訳の分からないファンに付きまとわれたら迷惑だろうと、しばらく待って距離をとってから、自分も環状線の方に向かった。すると、背の高い彼の姿がまだ改札の前に見えた。どうやら、乗り換えに戸惑っているらしい。それならば、と「新大阪行くんですか、ならこっちですよ」と案内することにした。聞くと、ユニバーサルスタジオ方面に行きたいのだという。家族が来ていて合流する約束らしい。なるほど、G1の次の日は、家族サービスなのか、とほほえましく思い、迷惑でなければ自分も同じ方面だから乗り換えの駅まで連れて行きますよ、と伝えた。「いやぁ、大阪の人は親切ですねぇ、すみません」と笑いながら一緒に環状線ホームに向かった。ホームにいた、ちょっと年かさのおじさんが「あ、ヤスヨシ!」と木暮選手に気づいて声をかけた。東京から来て旅うちしているというボートと競輪ファンの人だった。「東京からですか!すごいですね」と普通に会話しながら、まるで前から知り合い同士みたいな感じで、三人一緒に電車に乗った。
 折角だから、今回の「選択」について、おそるおそる気になることを聞いてみたら、拍子抜けするくらい率直に、自分の考えを話してくれた。「武田選手と気まずくなりませんか?」と聞いたら、「どうですかね。自分は、挨拶はするつもりですけどね」と答えてくれたり。もちろん、一ファンに語ってもいいのはどんな話か、考えてのことだろうけど。
 「親切にしてくれたお礼に」と私と、もうひとりのおじさんに、特製Quoカードまで手渡してくれた。「木暮、クソって思った時には、500円使ってください」と笑いながら。おじさんがサインペンを持っていたので、私も便乗でサインしてもらった。
 
 ということで、これから私は、木暮選手の出るレースは、彼の頭から応援車券を買うことにします。こんなことがあったら、皆さんでも、たぶんそうなるでしょう。
 業界を騒がせた掟破りの癖の強い競輪選手、木暮安由は、とにかく、めちゃくちゃナイスガイでした。

 ⇒木暮選手の情報はこちら

2018年6月19日火曜日

滝沢正光校長にご挨拶

 土日、岸和田競輪場にG1高松宮杯を見に行ってきた。レースも面白かったが、それとは別に、個人的に嬉しい事があったので書いておきたい。決勝の日曜は、お世話になっている大ベテラン記者の井上和巳さんがいらしていた。お久しぶりにお会いしたので『月刊競輪WEB』のお礼など、立ち話をしていたら、近くを滝沢正光さん(元「怪物」、現日本競輪学校校長、競輪ファンには説明不要ですが詳しくはこちら⇒Wikipedia)が通りがかった。井上さんに促され、挨拶するため名前をつげると、滝沢さんはすぐ「立派な本、ありがとうございました!」と満面の笑みで応じてくださった。
 滝沢さんとは初対面ではない。7年前、女子競輪が復活する時に競輪学校の見学をさせてもらったのだが、その時にちょっとだけお話はさせてもらった。「僕は今、滝沢選手と喋っているんだなぁ、不思議だなぁ」と感じながら。
 それもあって、競輪学校宛てで拙著を一冊送らせていただいてはいたのだが、まさか、読んでもらえるとは期待していなかった。競輪ファンならご存じの通り、滝沢さんは大変腰が低く、どんなファンにも「神対応」の人だから、誠意のこもった社交辞令であるとは思いながらも、“ーー勉強のためにいつも机の近くに置いている”、”ーーお書きになられたような過去から我々は学ばなければいけないと思う”、などと言っていただき、「うれしみ」に溺れそうになった。本を書いて良かったなぁ、とシミジミ感じた。「滝沢が読んでくれるんだから、頑張れよ」と若き日の自分に発破をかけに行きたいくらい。
 「いつでも来てください!案内します!」と校長先生から直々のお墨付きをもらった以上、競輪学校の取材には、ぜひもう一回行かねばならない。

2018年5月31日木曜日

若者あたり

午前中だけで終わりの曜日がある。真っ直ぐ帰ったらいいのだけど、今日はぐずぐずしてしまった。とりあえず、昼飯を食べようと、非常勤先の学食のひとつに行く。次回の用意などしていたため、ピーク時からちょっとずれたが、それでも賑やかだ。他の勤務先である「小さい大学」の学生がこの様子を見たら驚くだろうな、とか余計なことを考える。勉強の環境はしらないが、キャンパス経験という意味では、マンモス私大は恵まれているような気はする。総じて楽しそうだし。あくまでも、全体としてはだから、時に暗い顔をして歩いている学生の姿もよく見かけはするが。そういう目で見ると。ここは自分の出身大学だが、非常勤で来るようになって10年以上経過している。学生ではないが、ちゃんとした職員でもない、という中途半端な立場で週にちょっとだけの時間を過ごしながら、懐かしい思い出の上に、少しずつつつまらない色の絵の具で上塗りしていっているようなものだ。それでも、時には、ふと何か思い出したりするが、一瞬で過ぎ去ってしまう。フェイスブックなどをやるようになって、当時の知り合いや友達たちとも、実際にはほとんど会ってないのに、薄いつながりがあったりもして、そこで小出しに伝達したりすることで、追憶の情も薄くなっているような気もする。男女グループも多い。夏休みの計画や、海外旅行のことなんかを、元気に話している。自分が学生の頃は、男女一緒に楽しそうに喋ったり、あまりしなかったような気がする。まぁ、でも、当時からイケているサークルの学生は同じようなものだったのかもしれない。講義なんかをし始めた頃は、今の学生はなんと勉強しないものか、と驚いたり、文句を言ったりしていたが、最近はあまりそう感じなくなった。学生が勉強をするようになった訳ではないが、自分の学生時代はもっとひどかったということを客観視できるようになったからだ。彼らに何か言ったり、ああしろこうしろという資格は、少なくとも自分にはない。仕事だから、役割として最低限のパフォーマンスはする。オッサンの常として偉そうに指導したいという潜在的欲求は常にあるから気を抜くと、最近の若者は…と言いはじめそうにもなるが。ちゃんと大人になれなかったということなのだろう。ただ老けただけで。こんなに成熟できないまま、全体として枯れていくのか、と思うと憂鬱になるが、幸いな点は、マイナスに向かう力も弱まっているということだ。お金持っている人たちに混ざると、自分が惨めになる。いたたまれず、早く帰りたくなる。若い人たちに混ざっても、同じ。惨めになり、早く帰りたくなる。でも、ここは我慢しなければ。前々回の記事で書いて以来、飲酒は控えているが、酒の誘惑を断ち切ると、甘い物が誘うよう。誘惑に負け、食後、アイスクリームを買ってしまう。舐めながら、キャンパス内をちょっとうろうろ。普段見ない、文化系クラブの告知ポスターを眺めたり。国文学研は、文学を読まないメンバーも歓迎します、と書いてあった。何するんだろう。中国語研は、昼休みに発音練習をするらしい。こういう所に入っていたら、どんな感じだったのだろうな、とかちょっとだけ妄想する。今のまま学生に戻ったら、韓国語のサークルに入りたいが、ただの妄想だ。自分が学生だった頃は、朝鮮語勉強するなんて、ほんとに少数派で、暗いイメージだったことを思うと隔世の感だ。このテーマ、いつかは真面目に考えたいなと思いながら、自分にはもう「いつか」なんてないのだから、やるなら今やるしかないと思うと、ならやめておこうか、となるのだった。アイスも食べたし、もう帰ってもいいが、折角だからと図書館に寄る。新しく入った本を何となくながめる。ネトウヨみたいなのが書いた本が並んでいて、こんなインチキな本を図書館に置くなよ、とひとりぶつぶつ言ったりする。何か借りようかと思ったが、借りていてまだ読んでない本があるから、それを返してからにしようと思い、何も借りずに帰路についた。外にいて、ちょっと暑くなってきたりすると、こんな気分の時は飲みに行ったら気分転換できるかな、という誘惑が頭をよぎるが、実際には別にそんなことはないのだ。もっと本質的な喜びを味わうことを、今からでも目指さないとな、と考える。やった方がいいことは沢山あるが、どれも、楽しみな部分が少ない作業のため、なかなか着手できないでいる。とにかく、若い人らは、眩しい。食あたり的な意味で、ちょっとあたるところもある。

2018年5月28日月曜日

ミニシアターで革命を夢見る

映画『マルクス・エンゲルス』を見てきた。映画館で映画見るなんて、いつ以来か、覚えていないくらい。だから、映画を見にいくという経験自体に、いろいろ感想を抱く。それが面倒くさくて、映画館にはなかなか足が向かない。1800円なんて、無産者階級には高すぎる、というのが一番の理由だが、「金があったらやりたい・行きたい」リストでも、あまり映画は上位にこない。本当にすきなら、DVD借りたりして、いろいろ見るだろう。

それなのになぜ見に行く気になったのか。講義でマルクスの話をちょっとする関係で、予告編を見て、面白そうだったからだ。自分は、マルクス主義者ではない。だいたいこんな思想だろう、という知識はあるが、社会学をやっている人の常識としてまぁ少し勉強したというくらい。ただ、マルクスとエンゲルスの二人の関係については、かなり気になっている。岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年―自嘲生涯記』1983を以前に読んで、ここに載っていた二人の書簡と、そこから見える関係性に興味があったから。天才で人間的には問題だらけそうなマルクスと、ええとこの子で、人間味のあるエンゲルスとの関係が、どんな風に描かれているか。

実際の「革命」は、どう評価していいか分からないが、今ではない別の社会へ向けて、人々が動き出そうとする瞬間には、やはりロマンを感じる。感傷的な左翼風味趣味にすぎないかもしれない。映画はどうだったか。画面がきれいだった。「映画」が久しぶりだったから、そう見えたのかもしれない。彼らが活躍した当時のヨーロッパの風景がうまく再現されているように感じた。もっとも大した知識もないから、本当の再現度はわからない。

違和感があったのは、女性の活躍がちょっと現代風すぎたところ。二人のパートナーが、強烈な個性の革命闘志として描かれているが、この頃は、当然、もっと男性中心の運動だったろう。その辺はつっこまなくていいのかもしれないが。

弾圧されたり、追放されたり、激しい日々だが、実際には、彼ら二人とも、ほとんどの時間、原稿を描きつづけていたんだな、なんてことも思った。つけペンを使って、ノートをとりながら、プルードンの『貧困の哲学』を読み、批判本を書くシーンが印象に残った。ペンで書いて、インク押さえ(ブロッターっていうんですね)で乾かしながら、どんどん紙を張り付けて修正していくように原稿を書いていた。なるほど、あんな感じで書いていたのだろうな、と興味深く感じた。

あとは、二人が出会うシーンは、やっぱりよかった。突っ張り合いながらも、お互いを認めあった瞬間は、キュンキュンしてちょっと恥ずかしくなった。

まぁ、映画っていうものは、多くの人が関わって作っているもんだな、と今さら思いました。高層ビルのようだ。その大層さが、どうも苦手なのかもしれない、と思った。本なんて、編集の人入れても数人で作っているから、触れるのも気楽な気がする。

平日の昼に行った。スカイビルのミニシアターだった。100何人か入るくらいのところ。客席は、ポツポツ。ガラガラってほどではないくらい。ひとり若者っぽいのがいたが、大半が自分より年上のようだった。年齢層だけでいうと、競輪場と同じだ。年齢層は同じでも、競輪場と違い、プロレタリアートっぽくない感じの上品な人たちが中心。かつて革命の夢を見たような世代だろうか。元学校の先生っぽい感じの人も多いように見えた。今から革命が起こっても、もう、関係ないだろう、というような人たちが、若きマルクス、エンゲルスの青春に何を見るのだろうか。「もう関係ないだろう」自分は、上に書いたようなことを、見た。1800円はきつかったが、後悔はしなかった。年に一本くらい映画を見にいくのも悪くないかも。

予告編はこちら

2018年5月10日木曜日

酒よ

アルコール依存症らしい人の話を聞くと、胸が痛い。そして怖い。自分だって、たぶん依存症だからだ。たぶん、とか付けるのは、直視していないごまかしの態度のあらわれだ。ただ、依存症についての本などに出てくる「底つき」までは行ったことはない。歯止めが効かなくなるまで飲み続けて、もうだめだ、と痛感するような体験のことだ。そこまでいくと、もう断酒しかないという。ひと口飲んだら、また底まで行ってしまうことになる。TOKIOの人の話とか聞くと、退院後にひとり酒を始めて、とめどなく、という報道されている流れが本当なら、間違いなく依存症なのだろう。自分は、そこまでは行っていないが、飲み始めたら、ずっと飲みたくなってしまうのは間違いない。条件が整えば、幾らでも飲み続けると思う。そういう自分の症状を自覚して、3年くらい前に、意識的に禁酒した。(前に書いたと思うが気にせず続ける。)その頃、将来の希望がない、という状況に耐えきれず、酒に逃避するようになった。もともとだらしない酒飲みだったが、ひどさが明らかに増していた。非常勤講師の仕事に行く。仕事の前はさすがに飲まなかったが、終わったら、すぐに飲みたくなった。帰りの駅のホームで缶ビールをあける、なんてことも結構あった。一度やると、飲まないと物足りなくなる。ミナミの立ち飲みに一人で出かけた。夜中に酒がなくなると、コンビニまで行って、安い日本酒のパックを買ったりもした。同居人は基本的に酒を飲まず、酔っ払いを嫌悪している。だから歯どめになってくれている。用事で彼女がいないとき、監視の目を盗むような気持ちでコソコソ飲み始めたりすることも多かった。飲めば手軽に気分を変えられる。ちょっとの間だけだが、それは確かだ。YouTubeで何か聞きながら、酒を飲んで、ツイッターでも見ていたら、楽しい気分にひと時はなれる。しかし、まやかしの快楽であることは明白だし、醒めたら後悔しか残らない。充実した仕事なりをやっていて、仕事終わりや休みの日に飲んだりするくらい、全然問題ないと思う。自分は違った。そんなスカッとした飲み方など、ほとんどしたことがなかった。逃避の為だけに飲んできたのだ。その頃は特にひどかったが。

これじゃだめだとさすがに思うようになった。かつて見た、アルコール依存症の互助グループのドキュメンタリーの映像や、中島らもの『今夜すべてのバーで』などの描写が、反面教師として助けてくれたようにも思う。そこまで行ったらもう大変だぞ、というような。ずっとほったらかしにしていた「本」の刊行にあらためて再挑戦することを決意し、書くためにも、酒はやめようと誓った。人と会う時は除外して、という甘いルールだったが、とにかく一人で飲むのだけはやめようと。任期付きの常勤仕事が終わり人と会う機会がグッと減っていたので、飲み会などもほとんどなかった。ただ、一年間で、一回か二回くらいはそういう機会があったかもしれないが、それまで週1回の休刊日さえ守れなかったことを思うと、なかなかのものだった。その後、ちょっと崩れはじめた。原稿を書き進んで、気持ちも緩んだのかもしれない。去年の春、熊本に調査をかねて旅行に行った時、ひとりでは飲まないという禁をやぶって夜行バスを待つ時間に飲み屋で大びんのビールをあけた。覚えている、ということは、まずいことをした、という気もあったのだろう。それでも大崩れはしなかったが、ぐっと飲酒習慣に近づいたことは間違いない。飲まなかった間は、スーパーの酒のコーナーとかを見て、「ああ昔はここで酒を買っていたんだなぁ」とか過去形の眼差しを向けていた。無駄遣いをしていたなぁ、なんて思っていたのだが、ちょっとずつ、飲みたい気持ちが復活してきた。酒を控えたおかげで、何とか、本も書けた。しかし、仕事が終わりに向かうと、生活の目標を見失うような気持ちにもなっていった。もともと自分は弱い人間なのだ。相当気合いを入れないと、自堕落に向かう。人と飲む機会もちょっと増えたり、家でも、同居人と安いワインを軽く一杯飲むということが増えた。昔の酔っ払い状態に比べたら、飲んでないようなもの、だが、でもやっぱり、酒は酒だ。たまにでいいや、という感覚から、毎日飲みたいという欲が湧くようになり、すきがあればズッと飲んでいたいという意識になってきた。やめた方がいいかな、と考えると、何だかとても寂しいような気がしてしまう。これは、依存症の症状だ。6年くらい前にタバコはやめた。タバコもやめる前は、一生やめられないような気がしていた。多くの人がそうだと思う。やめると考えるだけで、とても寂しい気持ちがする。何か大事なものとお別れするような気持ちになるのだ。だけどやめられた。

酒も同じだろう。安いワインが一本、飲みかけで冷蔵庫に残っているが、もう飲むのはやめよう。そう考えると、酒を飲まずして、何の楽しみがあるのか、なんて気持ちになる。酒にとらわれてしまっているのだ。だからこそ、やめた方が良い。ただ、断酒までは考えていない。人と会う機会には、飲む楽しみを残しておきたい。人と一緒の時だって飲まなくてもいいじゃないか、とも思う。本当はそう思っていないのだが、そう思うようにしたい、ということだ。とにかく、ひとりで、飲むために飲む、ということはもうやめよう。といいつつ、明日には、また飲もうとするかもしれない。そんなものだ。それならそれで、明後日また、やめることを決意すればいい。とにかく、毎日飲みたくなる、という心理状態から、自由になりたい。そのためには、依存症であることを自覚することがスタート地点だという気がする。これから先、楽しいことなど、ろくにないのは事実かもしれない。でも、飲んだって、そんなものはないのだ。まやかしだ。喜びは、自分で作っていかなければならないのだ。小さな喜びを作り出す努力がいるのだ。そのためにも、酒からは自由でいたいと思う。ずっと我慢するとか考えるからしんどいのだ。今日一日は飲まないように、を毎日続けることだ。そのためにも、あらたに目標を立て、建設的に生きることに努める必要がある。それと同時に、今日一日に意識をもってきて、先の不安を過剰に取り込んで、自分で自分を縛るようなことをやめるように心がけることだ。

ゴチャゴチャしたままでも、今の思いを文字にして書いておけば、生活の改善へ向けての、ちょっとした指針くらいにはなるだろう、と思い、書き殴ってさらしておくことにした。あまり重く考えずに、小さく決意しておこう。

(去年の春、と書いている熊本行きは、一昨年だった。どっちでもいいけど、自分のためにメモだけ。)

2018年5月6日日曜日

頭の中のケシゴム的な

記憶障害がひどい。同世代の友だちの多くも、「あるある」と言っているようだから、何てことないのかもしれないが、絶対知っているはずの言葉が出てこなくなるとさすがに焦る。講義をしていて、アドリブ的に脱線して事例を出そうとしている時に、固有名詞がでなくて、あの、あれ、あれがですね、になることもたびたび。年寄りに向かっているということなのだろう。

ただ、自分自身の頭脳の特性というか、欠陥もやっぱりあるのかなと思うことも。若い頃は、自己反省、自己省察を、今思うと全然していなかったので、全く気付かなかったのだけど、昔から「ストーリー」を記憶するのが苦手だった。今はあまり小説を読まないけど、若い時は、近代文学の名作とかは一応読んだ。読んで、面白いな、と思ったが、あとで筋を全然覚えていなかったりするのだ。同じのを読んだ妹に、あんな話やったな、と言われても、あ、そうだったかなという感じ。一回二回の話ではなく、よく考えたら、ストーリーのほとんどがそんな気がする。子ども頃に熱中したマンガなんかは、買って手元においたらだいたい数回は読み返したので、さすがにそんなことはないが、一回しか読まなかったものに関しては、まぁ、記憶に残っていないのだ。

パッと見て、ズッと覚えている、という能力者がいる一方で、反対もいる、ということで、自分は反対側なのだろう。細々と読書会をやったりしているが、一か月くらい期間が空くと、もう前回読んだところがどんな内容だったのか、付箋貼ってあっても思い出せなかったりする。読んでいる時は、それなりに、面白いな、と思ったりしているのだけど。何のために本など読むのだろう、と思う。同じ事をツイッターで何度もつぶやいているけど。

父親が何度か倒れて以降、記憶がどうも曖昧になっているよう。コミュニケーションをしていると、時間軸が狂ってきているのに気づく。昨日と2週間くらい前が切り分けられなかったり。それでも、田舎にいた頃のこととか、仕事をしていた頃のこととかは、それなりにハッキリ覚えているようで不思議に思ったりする。昔は顔も含め、あまり似ていないように思っていた親だが、この頃は、そのまんま受けついでしまっているな、と感じることがたびたびある。世話する立場で接すると、今までとは違って客観的に見えるからかも。自分もやがて、脳内がもっとぼんやりしていくのだろう。その時、どんなことを繰り返し語ることになるのか。父親とちがって自分には子どもがおらんから、そんな頃には、話し相手になってくれる人もいないだろうし、存在しない相手に迷惑をかけるかもとか心配する必要はない。ただ、文章を書いたりするから、今よりも恥ずかしい何かを、ネットの虚空に向けて書き散らかしたりすることになるかもしれないな、とは思う。もうなっているとも言えるが。

メモしたり、ノート書いたり、外部化しておけば、記憶力が衰えても「問題」はないのかもしれないが、そんなことしているから、余計に、記憶力が下がっているのかも。まぁ、よく分からないが、これからも、たぶん、同じことを何度も書くことになるだろう。