2018年4月26日木曜日

理解してくれるやつが1人いたんだ

野球は普段見ないので、深い所はよく知らないのだけど、たまに耳にする「いい話」には弱い。衣笠が亡くなったことに関して、江夏が記者に答えたインタビュー記事を読んで涙がちょちょぎれた。例の21球の時、ギリギリの場面で声をかけに来て、何かあったら一緒にやめてやるから勝負しろと言ってくれた、という話。

「あの苦しい場面で自分の気持ちを理解してくれるやつが1人いたんだということがうれしかった。」(日刊スポーツ Web記事 20180425付

ピンチの時、理解してくれる人が「1人」いるということが、どれだけ嬉しかったか。他人と分かりあうということのありがたみについて教えてくれるエピソード。

「ため息を繰り返した江夏氏は自身に納得させるように「いいヤツを友人に持った。俺の宝物だ。ワシもすぐ追いかけるんだから。次の世界でまた一緒に野球談議をするよ。それが楽しみだ」と話していた。」(同記事

「いいヤツを友人に持った。俺の宝物だ。」なんという心のこもった、真実の言葉なのだろう。江夏が、覚醒剤で逮捕された時も、裁判に来てくれたという。いいヤツのありがたさは、何度も失敗を経験しながら、くり返し確認したことなのだろう。

自分は、とても「いいヤツ」にはなれそうもない。でも、できれば、隣人に対して、大事な時に、分かった、共感している、ということを伝えられる人間になりたいと思う。「俺の宝物だ」なんて言ってくれる友人を持ったなんて、素晴らしい人生を生きたのだろうな、衣笠さんは、とあらためて思う。あんな大選手なんだから、素晴らしいに決まっているんだけど、そういうスターとしてだけではなく、まぁなんというか、人間としてという意味で。野球ファンでもなんでもないくせに、明日も、頑張ろうというような気持ちに、ちょっとなります。

2018年4月21日土曜日

貧乏くさいことを言うな

テレビを見ていて海外のどこかが映ったら、「ああ、こんな所、一生行かずに死ぬんだろうな」と思う。きれいだな、とか、楽しそうだな、とか、何かしらんが、まずはその場所についての感想が浮かぶべきなのに、すぐ自分のみじめな話に結び付けてしまうのは、よくない癖だ。思わず口にしてしまい、「辛気臭いからやめろ」と同居人に言われることも多い。確かに。自己愛にもとづく自己憐憫のようなものか。わからないが。何ですな、貧乏なのは仕方ないとしても、貧乏くさいのは避けた方が良いですな。と、まぁ、頭では理解していながらも、根が貧乏臭いのが好きなのだろう、すぐに憐れっぽい感情がわき、それを表明したくなるところがある。貧乏臭さの露出狂だ。改善すべき。もっと、スン、としていたい。第一、一生、ヨーロッパやアメリカに行けなくてもそれがなんなの。金持ちだって月には行けまい。とか、なんとか、すぐ言いたくなるのも、やめた方が良い。やめた方が良いことばかりだ。

2018年4月3日火曜日

ホームランバー

見舞いの帰り、扇町公園でぼうっとする。桜、ちょっと散りかけ。なかなかキレイなもの。春休みということで、子ども連れでにぎわっている。若い夫婦と元気なちびっ子たち、という、絵にかいたような幸せの図に、路上で生活している高齢者がただただ時間をつぶしている姿がまじる。春の暖かさを、しみじみ味わってはるのかもしれない。時間つぶしをしているのは、自分だ。今年度初のアイスを食った。ホームランバー。

2018年4月2日月曜日

予定変更、新年度あけまして

この週末、韓国競輪の取材に行く予定だったが、流れた。一緒に行く予定の人があてにしていた通訳兼コーディネーターの方の動きが悪く、取材の段取りがつかなかったためだった。普段はひとりで行動しているのだが、出版を機会に面白い出会いがあり、韓国取材に一緒に行こうと盛り上がったのだ。残念だが、結果として今回は行かないで正解だった。今、老父母が入院、施設預かりとなっている。半ば計画的なもので、韓国には、それを承知で行くつもりだったが、いざそうなってみると、いろいろ予想外の問題が発生し、取材していても気が気ではない状態だったろうと思う。

新学期に入ると忙しくもなり、家のバタバタもしばらくは続きそうだから、韓国行きは無期延期にせざるを得ない。韓国くらい、私の住んでいる大阪からは東京行くよりも安くつくくらいで、もっと気楽にパッと行けばいいのだが、できれば韓国の選手のインタビューをしたいと思っているのだ。アポをどうやってとるかというのもあるし、機会をもらっても自分の韓国語力では深い所は全然聞けないので、通訳の人が使えるらしい、という今回の取材計画は貴重なものだったのだ。

少ない生活費からさらに削って取材しているので、プロを雇うような余裕は全くない。研究費とか取材費を獲得するように何とか工夫するか、あるいは、もっと韓国語をのばして…これは現実味は薄いな。とにかく、何とか無い知恵をしぼって再チャレンジしよう。とはいえ、「いつか」「時間ができたら」などと言っていると、そんな機会はやってこないのも確か。できる時に、できる事をする、ということがいかに大事か。自分自身を振り返っても、周りの人を見ても、やはり強くそう思う。しかし、ちょっと時間的余裕ができると、やる気も減退し、ただただぼうっとして、今やるべきことを先延ばしにしてしまうクセは、なかなか直せない。ああだこうだ言ってないで、ちょっとでも動くことが大事だと、頭では分かっているのだが。今の不安、先の不安、自分自身への諦めなど、あるがままにして、とりあえず動いていこうと、自分に言い聞かせる。

新年度の始まりだが、組織外の存在のため、入学・卒業式のような公式イベントはもちろん、新歓や花見のようなものも全くないので、意識的に切り替えをしないと、泥沼のような気分でフレッシュな人たちに対峙することになってしまう。まぁ、何とかなるとは思うけど。毎年、同じような身体の重さを感じる季節ではあるし。とにかく、毎日を少しでもマシなものにしたい。老眼が進んでいるんだから、中二病をもうちょっと直したいと思う、今日この頃であります。