2017年2月24日金曜日

ダラダラ採点に向かって過ごしてしまった2月

今学期は全部で600人くらい分の成績をつけなければいけなかった。講義の仕事を始めた頃に比べれば、だいぶ効率的にできるようになったが、それでもしんどかった。毎年、マークシートにしたらどれほど楽だろうと思う。それでもテストにするときは論述的な問題を組み込むことになってしまう。学生にとってもマークシートの方が楽かもしれないのに、ちょっとでもこちらに余裕があるなら、論述にすべきなのでは、という、実はあまり根拠のない思い込みがある。大体の採点基準を決める。こういうことが抜けていたら減点、こうならプラス、あとはこういう所をチェックして、などと。しかし、答案を読んでいくうちに、それがブレていく。読んでいて、不快感を覚えたり、好感をもってしまったり、感情も左右される。テストなんだから公平に採点しなければ、と考えるため、「まぁ80点かな」と一旦つけた後、これは自分が内容に心理的な影響を受けた上での採点なのではないのか、とか気になってしまうのだ。やっているうちに、これにこの点つけるなら、さっきのあれは厳し過ぎたんじゃないか、とか、相対的なズレもきになってくる。答案に向かい合うということは、自分が一方的に投げてきた言葉に対する応答に触れるということでもあり、虚しさを感じたり、自分が独りよがりだったことを反省させられたりさせられる、という負担感もある。とにかく疲れる。繰り返すが、だいぶマシになった。ある時は、一つの授業で400人というようなコマがあり、問題も自由度の高すぎるもの(テストを作る時に手抜きしたということでもある)にしてしまい、本当に辛かった。もちろん、集中してやれば、それほどでもないのだが、自分にはその力がないため、長時間、やらなければいけないという負担感を抱きながら過ごすことになってしまっている。余計な思い込みがいけないのだろう。こういう仕事については、もっと淡々と、かつ集中してこなせる人間になりたい。

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