2017年2月18日土曜日

家の近所に話題の幼稚園

すぐ近くに、塚本幼稚園がある。自分がこのあたりに引越してきたのは6年くらい前だが、実家も自転車圏内のためだいたい町の雰囲気はなじみがある。ここにこんな幼稚園があって、特殊な教育をしているなんてことは最近まで知らなかった。詳しく調べていないが、教育勅語を幼稚園児に覚えさせたりという、度を超すような右翼教育を始めてからは、そんなに経っていないのかもしれない。送迎用のバスが猫をかたどったカワイイものを使っていて、ずいぶん子供に媚びている幼稚園だなというのが第一印象だった。(最近見かけなかったからもう使ってないと思っており、そう書いたんですが、2017/2/21に見たら2台走ってました。修正します。)門からのぞくと、さざれ石のオブジェがある。神道的だ。そうかと思うと、外から見える所には、御茶ノ水博士とウランちゃんの人形が飾ってあったりもする。手塚治虫は共産党シンパなのにいいのかなと思ったが、それほど一貫したものでもなかったのだろう。話題になり始めてからは、周囲の期待に応えるようにか、よりそれらしくなっているように見える。小学校を準備していて、それが安倍首相夫人が名誉校長で、というのは去年あたりから知ったが、土地の取得に疑惑があるというのは、一か月ほど前くらいにポスティングされていたビラで初めてしった。最初に読んだ時は、ビラの作り手が分からず、どう判断したらいいのか分からなかった。どうやら、豊中市議で追及してきた人がいたようですね。昨日、今日と予算委員会で問題化し、ちょろちょろとニュースにも漏れ始めた。結構な汚職事件のはずなのに、メディアは及び腰のよう。安倍政権のメディアコントロールはひどい、自主規制するマスコミはもっと悪い、とイライラしてしまうが、ネットなどでマスコミ以外の情報を知るようになったからそう思うだけで、これまでも、流せる情報しかテレビや新聞からは流れてきていなかったのだろう。とにかく、どんどん大きなニュースになって、爪をのばし過ぎた(『ミナミの帝王』でよく出てきた表現)右翼幼稚園経営者のせいで、安倍政権が揺さぶられる、という共食い的場面を見たいものです。

マスコミはいろんな利害があって、すっとニュースにするのは難しいのだろう。それは、当然良くないことに決まっている。決まっているが、だからと言って、という問題もある。ツイッターを見ていると、現地取材を売りにしたライターの人が、あそこはこうで、その背後にはああで、近所ではこう言われていて、とか言っていたりして、なんでそんなに確信を持って言えるのか、それはそれで疑問を感じたりもする。安倍政権へ批判的な立場の人は、同じ批判的な立場の人のことを、あまり批判しない方が良い、というような自主規制圧力があるとしたら、それは問題だ。いわるゆマスメディアも、ネット経由のオルタナティブな情報(って表現でいいかどうか)も、ある程度批判的に解読することを心がけるべきだろう。まぁ、教科書に書いてあるような話だが。

幼稚園の前には公園があって、よく園児たちがラグビーの練習とかをさせられている。先生は女性が多く、それらしくきびきびしている。が、まぁ、全体の図は、そんなには違和感はない。ママチャリに乗って、保護者が見守る姿もちらほら。園児のお母ちゃんということは、自分より一回りくらい下の世代が多いだろうか。「この幼稚園、どんな教育しているか知ってはったんですか?」とか「生長の家の信者はんでっか?」とか聞いてみたいような気もするが、さすがに。想像でしかないが、まぁ、厳しくしつけてくれる、面倒見のいい幼稚園、くらいの情報でわが子を預けることになったのだろう。

自分は幼稚園時代の記憶など、ほとんどない。花の絵を描いて、独特だ、と褒められたこと。お遊戯など、身体を動かすすべてのことが、他の子よりワンテンポ遅れていて、恥ずかしかったと親に後から言われたこと。芋ほりに行った、ような気がしないでもない、というくらいか。女の子に激しいスカートめくりをして、親が注意された、という恥かしい記憶もある、かもしれない。ないかもしれない。まぁ、そんなものだ。あの頃、教育勅語を覚えていたら、どうだったか。伊勢神宮に行って、日の丸の小旗を振っていたらどうなっていたか。たぶんどうもなっていなかっただろう。教育効果としては、大したことない、ように思う。それでも、経営者の右翼趣味オナニーの道具に子供らが使われているようで、不快なのは間違いない。そして、最近知った、副理事長が送ったという近隣諸国への差別意識丸出しの文書などは当然、言語道断だ。

この文章、最近の自分は、社会問題に関心がない、という話を書こうとして書きだした。書いていたら、とても関心がある感じになってきた。もちろん、あるのはあるのだが、現実感がないというか、すぐにどうでもいい、という気持ちになってしまうので、どうしたものかな、ということを書きたかったのだが、書きはじめるといろいろ湧き出してくる。特に、このニュースは、近所ということもあり、自分のミーハーな気持ちも手伝って、興味があるし、メディアの姿勢に憤ってもいる。ただ、それがどこまで公憤なのかは自信がない。自分がおかれている状況や、数々の現実的な心配事から逃れたい、現実逃避をしたい、という気持ちが怒りに向かっている面もゼロではないからだ。まぁ、また考えよう。

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