2017年10月28日土曜日

鬼も呆れる話

非常勤講師という形でいくつかの大学で仕事をして生活を維持している。全部一年契約なのでいつまで続くか分からない。毎年、この時期、来年もお願いしますというような連絡をもらってホッとする。今年はまだ来ていないところも複数ある。無くなったら無くなったで仕方ないと覚悟はしていながら、ほんとに無い、という連絡が来たら、一瞬、目の前が暗くなる。…ってほどでもないか。背中に気持ち悪い汗がツーっと流れるくらいか。これまでにも、何度かあったので、慣れてきてはいるのだ。収入的に一番依存している所が、となると、やっぱ真っ暗になるかな。大体、二年くらい前から「来年で終わりなんで」ということが多い。去年、「今年で終わり」と聞いていた所、諸事情で空きが出来、今年は週に4コマもやっていた。収入的にも依存していたが、来年は減少、再来年はゼロと言われた。連絡をくれるパイセンに、大学のあり方、その他、文句を言いたいこともいろいろあるが、その方も専任ながら任期制で立場が弱いらしい。とにかく、何を言っても仕方が無い。…と思わされているのだろうな、自分自身が。

ということで、さて、再来年からは取り急ぎ、どうしようと不安になるのだった。最低限の生活を維持するのに月に数万円は足りなくなりそう。アルバイトニュースを眺めてみて、短期バイトとかできる何かないかと、考えてみる。街を歩けば、中高年でバイトをしているような方の姿も目に付くようになった。できないこともないのだろうな。「先生と言われるほどの馬鹿はなし」という言葉もある。中途半端な立場ながら、「先生」業に手を染めてきた自分は、おそらく自覚している以上に、無根拠にえらそうな人間になっているはずだ。バイトしたら、そんな部分が知らずに出てしまい、バイト仲間からいじめられるんじゃないか、などと考え、リアルに震えてきたりもするのだった。まぁ、来年のことでさえ、鬼が笑うというのだから、再来年のことなど考えないことが肝要だろう。

かりそめの職場だから、どの職場にも、できるだけ過度な愛着を持たないようにとは意識しているが、感情統制力が弱い人間なので、通勤路の風景、それぞれ色々抱えていそうな学生たちの顔、講義後の教室で一人味わう気分、講師控室で見かける顔の幾つか、などなど、もうすでに切ない何かになりかけている。「再来年に縁が無くなりそう」と聞いただけで。鬼も呆れる話だ。非常勤講師の仕事は、一生懸命やっても、手を抜いても、クビになる生き残る、というのは全く関係ない。よっぽど大きな問題を起こしたというのでないかぎり、すべてカリキュラム編成とか、文科省がどうしたとか、経営の方針が変ったなどで決まる。ココでの話は、経営悪化で、専任ができるだけ全部すること、という方針に従ったものだという。あんなホテルみたいなキレイな新校舎作る金はあるのにね、とか嫌味を言いたくなるが、もっと安定した立場だった知人も大変な目にあったし、危機は危機なのだろう。顧客であり、主役であるはずの学生たちのリアルな状況は関係なく、勝手にすすむ、あれやこれや。とにかく、与えられた期間は、自分なりに意味のあることをしよう、という思いを持つようにしなければな、そうだな、うん、そうですね、と虚しく自分に言い聞かせるのであった。

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