2017年10月22日日曜日

長雨で蘇るジベタ地帯らしさ

このあたりは海抜0メートル以下。もとは工業地帯なので地下水の汲みすぎによる地盤沈下によるものだ。というようなことは、小学校のときに社会科で習った気がするが、どうなのだろう。「ブラタモリ」の大阪編にも出ていた新之助さんは「十三の今昔を歩く」という面白いブログを主催され、それを元にした本で有名になられたようだが、「十三の」というくらいだから、おそらくご近所の方なのだろう。自分の住んでいる団地の「昔」についても詳しく載っていて、いろんなことを教えられた。今の淀川は改修後のもので毛馬からまっすぐ海に向かっているが、それまでの川の流れはもちろん、ぜんぜん違う。今でも地図を見ると、元は川だった様子がわかるような道があったりもする。わが家は、明治時代くらいまでは、荒地かなんかだったよう。川ではなかったが、まぁ、使い物にならないようなところだったのでは。先日、同居人と上町台地あたりを散歩した。ちょっと「上」になっているところは、それなりにいい雰囲気が残っていたりする。神戸でも東京でも、金持ちは、やはり山の手に住むのだ。考えてみれば、ずっとゼロメートル的なところに住んできた。実家も今の住まいも集合住宅だから「上」の方だが、土地の性質(って非科学的な表現だがまぁ何かそんなもの)は、ジベタって感じのところばっかりなのだ。一瞬だけ、千里ニュータウンの端っこに住んだが、土地の質があわずに逃げ出した。やっぱりジベタが相応しい人間なのだろうか。日のあたる、山の手に住むと人間性も変わるかもしれない。そのためには金がいる。金があれば、人間性も変わるに決まっているのだから、なんというか、山の手に住んで変わったとしても、それは山の手であることがそうさせたとは言えないかもしれないな、とかどうでもいいことを考えるのであった。このあたりの平屋では、納屋にボートを持っているようなところもあったらしい。洪水に備えたもの。この間の長雨に、台風の影響で淀川の水量は相当になっているが、洪水になるほどのことはまずなさそうではある。それでも、ゼロメートル地帯的な、元は湿地だったという由来を感じさせるような、ある種の「暗さ」のようなものが、いつもよりはちょっと強めに漂っているような気がする。何となくだが。早く、秋らしいカラッとした天気に戻ってほしい。

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