2017年9月2日土曜日

ツイッターからいなくなる(Ⅱ)

つぶやきを楽しみにしていた一人、最近みないなと思ったら、アカウント削除をされていた。ということを他の方のつぶやきで知る。ツイッターだけのつながりだと、ここからいなくなるということは、もう完全に終わりだということだな。という寂しさについて、去年の10月6日にも書いている。いなくなったのは同じ人で、去年は12月頃に復活された。頭の中で、手を取って「よく戻ってこられました、うれしいですよ」と声をかけたいと思ったくらいだった。実際には、つぶやきを眺めていただけだけど。多めに「いいね」を押すようになったとか変化はあったかも。この時期に仕事が忙しくなったりするのだろうか、精神の不安定がやってくるのだろうか、と想像するが、今回はアカウント自体削除しているので、もっと違うなにかかもしれない。これでもう、なのかもしれないが、元気でやっていてほしい、と願わずにいられない。もちろん、自分が気づいていないだけで、自分の世界からいなくなった人などいくらでもいるのだろう。最近、以前何度かリアルでお目にかかった方が亡くなられたという知らせを受けた。自分より年下の女性だ。何年もお会いしていないから、実感がわかない。知らせがなければ、お元気だろうが、ご病気だろうが、何も気づかずに、この世のどこかに暮らしてられることをごく当たり前のこととして、あまり思い出すこともなく過ぎたのだろうと思う。その人がもういない、という知らせによって、その人が生きてらしたということがリアルに思い出されることになる。ああいう人だったな、こんな感じだったなと浮かび上がってくる記憶。たとえ薄いものであったとしても、縁があったということは、意味のあることなのだ。

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