2017年9月17日日曜日

内なる声をふさいだ方がいいかもしれない

どこかに行きたい、という気持ちがもう湧き起ってくる。先週、韓国行ってきたのだけど、また行きたい。特にどこに行きたいってことはないけどちょっとした非日常に身を置きたいということだろう。旅の多い仕事の人がうらやましい。もちろん、仕事でやっていると、それが日常になり楽しくはなくなるのだろう。それでもな。もうすぐ後期の仕事が始まる。休みがないと嘆いている方々が多い中、そういう人からしたら夢のような長期休暇がある。もちろん、それだけ仕事や収入があっての休みなら、大変贅沢なのだが。家で少しずつ、自分で考えるやるべきことをやるのだが、自己抑制力の無い自分にはとても十分に生かせない自由だ。情けない話です。でも、もう自分のことはある程度分かってきたから、全体を意味深い物にするのは諦めて、何分の一かでも意味あるものにできればいいなと目標をすごく下におくようにしている。おかげで、少しは何かができるようになったが、極めて薄味の活用だ。それなら、何か賃仕事でもするべきなのかもしれないが、やはり自由は、ちょっとでも先につながることに使いたいという気持ちが捨てきれず、踏ん切りもつかない。後期は週に10コマある。ありがたいことだ。しかし、体力的、精神力的に結構きつく、準備のことを考えること自体、今から憂鬱だ。ただ、最近は、いろんな心配が複合的に来ているので、仕事のしんどさそのものはちょっとまぎれていたりもする。嫌だという気持ちにこだわると、よりしんどくなってしまうから、いろいろ心配の種が分散しているのは精神的にはいいのかもしれない。漠然とだが、何か他の収入手段が作れないかと考えてはいる。一回きりの人生なのに、もう少し主体的に生きれないものか、という青臭い願望が湧く。今さら何言っているんだ、という内なる声。この口をふさぐことが必要かもしれない。

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