2017年4月2日日曜日

あきらめた後の生き方

自分がどんな人間なのか。時間が経たってはじめて分かったことばかりだ。いろいろ経験して、というより、ただ時間が経って。腰が重く、碌に経験などしてこなかったのだから。積極的に、自発的に動いて、経験を積んできた人なら、もっとはやく気づいたのだろうが、そういう部分も含めて、ようやく気付くのだ。もっと若い頃に気づいていれば、と思うが、まだ身体が動く間でよかった気もする。もう、人生のやり直しは効かないが、残りをよりマシにすることは、まだできそうだからだ。4月になると新しい状況を迎える人たちがいる。横目でちらりと見て、うらやましさで心震える。慣れっこになっているから、震え方も大したことはないが、気を抜くと、酒に逃げたくなるくらいには寂しくなる。他人を見ないことだな。比較しないことだな。でも、そんなことが簡単にできれば苦労しないわけで、震えるならあるがままに震えておいて、自分にできることをするしかないな。

こんな人間だと分かっていたら、もっと早く他の道に進めばよかったな、と思う。ここでも、具体的な何かではない。「もっと他の」というものにすぎない。それがだめなのだろうなとは思うが、根っこのところに甘えがあるのだ。でもあんまり、うじうじと考えていても仕方がない。パッと切り替えて、違う何かを始めていたらな、とか、まぁ、何にしても、いつも、もう遅い、もう手遅れだ、もうどうしようもない、とばかり思ってきたのだ。そういう思考法から脱出することが必要だ。「業界」に未練を感じてはいけない。精神的に自立しないと。誰とも会いたくないと言いながら、さみしいと思うとか、そういうのはダメですよ、と自分に言い聞かせるために、ちょっと書いておいた。

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