2018年9月5日水曜日

淀川を渡る暴風

今の住まいは、淀川のすぐそばの古いマンションで、ベランダから河川敷越しに梅田の高層ビルも見渡せるなかなかの絶景なのだが、遮る物がないため、普段から相当に強い風が吹いている。今回、「非常に強い台風」がほぼ直撃ということで、ベランダに物を置かないでおく、というくらいの緩い警戒は一応していたのだが、まぁでも倒れるわけはないし、万一洪水でも3階から上は大丈夫だろうし、と、どっちかというと非日常を期待するような気持ちの方が強かった。多くの人も同じだろうけど、風が強くなる直前まで(うちで言うと午後2時位)ちょっと風が強いかなって程度で、JRが前日から運休予告したり、色んな店舗が休業していたりした割には、それほどでもないかもな、なんて思っていた。

が、暴風圏に入ると、想像の何倍という激しい風が吹きあれた。淀川の水面から水しぶきが吹きあがる。河口から潮が逆流しているのが、はっきりと分かるように、どんどん水位があがっていく。いつも、少年野球やサッカーチームが練習しているグランドも波に飲み込まれ、バックネットやサッカーゴールなんかも激流にながされている。うちの部屋は、ベランダに面したアルミサッシが古びているため立てつけが悪いのだが、突風にガタガタ震えはじめ、これは壊れちゃうんじゃないかというくらいだった。同居人と二人で、変化する様子を、すごいなと半分笑いながら眺めていたのだが、すぐに余裕がなくなってきた。防災的には、こんな時は、窓から離れてじっとしておくべきなのだろうけど、ガタガタの揺れが破壊につながるような気がして、半身になって窓全体を抑えていた。アニメの竜巻シーンみたいに、色んなものが空中を飛びまわりはじめた。時たま、風の塊りが波しぶきをまとめて、ぶつかってくるみたいに吹きつけてきたりした。このサッシ、とても持たないぞ。ぶっ壊れたら、部屋の中めちゃくちゃになるな。いや、ひょっとして、死んでまうんじゃないか…。頭の中が真っ白というほどではないが、どうしたらいいかよく分からない状態になっていた。とにかく、怖かった。激しかったのは、小一時間か。体感としては、もっと長かった。やがて、ピークを過ぎたのがはっきり分かってきて、ようやくツイッターを覗いたりする余裕が生まれた。

ニュースで、状況確認。各地の被害、あの風なら、そりゃそうやろうと思う。そにしてもJRの予告運休はほんとに英断だ。都市全体を無理やり休業に持って行っていたからこそ、これくらいの被害で済んだのだろう。ちょっと前に、たまたま大阪の水についての番組で、大正区のかつての水害の話を見たところだった。室戸台風とか伊勢湾台風の時、海抜ゼロメートルのあの地域がどれだけ水害の被害にあったか、それ以降、3メートルも地上げしたり、防潮堤整備したりして被害はなくなったという話だった。この辺りも、ゼロメートル以下地帯で、それらの台風の時の被害はすごかったはず。子どもの頃、社会科の時間でちょっと勉強したような。それらの過去の教訓が生かされて、土木整備がされたからこそ、この程度なのだろう。気象学とか、土木技術が、過去の経験を引き継いだ知恵の結晶であり、それを行政が生かすことの重要性にあらためて気づかされた。

5時位から、堤防の上にも人の姿がちらほらし始めた。ピークの時は、流石にどんな命知らずの野次馬でも立っていられるような状況じゃなかったが。満潮の時間を念頭においても、大きな危険は去っただろうと判断し、私と同居人も、辺りの様子を見に出かけた。近くの緑地帯では、大きな木が何本も根こそぎ倒れていた。道路では横転しているトラックもあった。瓦がところどころはがれている家もあった。公園の近くでは、交通標識が一本、ぽっきり折れていた。テントみたいなものが、電柱に引っかかっていたりした。

そんなこんなで「非常に強い台風」は、とても恐ろしいものだ、ということを実感しました。気象予報士の方々がツイッターなどで鳴らしていた警鐘は、本当にその通りでした。今回の、そしてこれまでの諸々の自然災害で被害にあった人たちの、怖さ、これまでよりはもうちょっとだけ共感をもって分かるようになった気もします。すぐに喉もと過ぎた感じになってしまうとは思いますが。

河川敷を高潮が飲み込んでいた時

中学生が「インスタ映えや!」とハイテンションで撮っていた。他人の不幸を何やと思てんねん、と言いながら、自分もパチリ。運転手さんは無事だったよう。

近所の緑地帯、大きな木が何本もバッタリ。抜かれてしまうことになるんやろうか。

少年野球のネット。ゴミがたまっていた。

どこまで水が来たのか、一目瞭然の「ライン」ができていた。

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