2013年4月21日日曜日

尼崎、お昼の散歩

阪神尼崎駅前。
先日、尼崎に用事があって出かけた。尼崎市は、小学校の低学年まで住んでいた生まれ故郷ではあるけれど、北東部の園田あたりだったので、阪神尼崎(ハンアマ、なんて言い方をしたけど今でも言うのかな)は、そんなに思い出があるわけではない。何度か来たことがある、という程度だ。尼崎は、いかにも関西らしい下町のイメージがあるが、アマらしいアマは、阪神尼崎のあたりだと思う。大きな規模の、しかも生きた商店街があり、阪神タイガースが優勝しそうになると、活気づく。





神田しんみち、の案内版




トランプの柄が出ている喫茶店。どう見ても、怪しい。ポーカーゲームとかやっていそうな感じ。(ポーカーゲームなんて、まだやってるのかどうか知らないけど。)


尼崎は、在日コリアンの多い地域でもある。出屋敷付近の商店街には、焼肉屋、韓国食材屋も多い。



味わい深い路地も多い。昔は、「結婚したら」主婦の友、だったんだな。




商店街の端っこに、大衆演劇の劇場があった。パチンコ屋を改造したような新しいものだった。そういえば、十三でも劇場オープンしたし、実は、ちょっとしたブームなのかな。大衆演劇。

ここは、かんなみ新地と呼ばれる、いわゆるちょんの間。もう少し遅い時間なら、写真は撮れなかっただろう。3時位だったか、オープン前。営業時間に行くと、これが21世紀の風景か、と目を疑いたくなるような景色が見られる。ものすごくにぎわっている。ここは、飛田みたいな、伝統的なデザインの建物もなく、戦後的な感じというか。





舗装していない路地があり、木造モルタルのアパート、長屋、文化住宅が結構残っている。この辺は、子供の頃住んでいた地域とあんまり変わらない。昭和30~50年台くらいまでにつくられたものが多いと思うが、まだまだ人が住んでいる匂いがした。


旅館、なんて看板が出ていて、玄関にも屋号が掲げられているが、どうみても民家。

薄い建物。何軒か、スタンド(って狭い飲み屋という意味か)が並んで営業中だった。

トマソン的なドアが面白くて撮る。見えにくいが、はしごは垂直。





大きな鳥居が目印の駅前の神社。飲み屋、焼肉屋などが集まっている。可愛い猫だったが、警戒心が強くきれいに撮れなかった。一番下のホルモン屋は、よくメディアで取り上げられている有名店だったと思う。行ったことはない。

神聖なるタイガースの名を冠した風俗店「トラの娘 タイガース」。僕はファンでもなんでもないから面白いだけだけど、トラキチ怒らないのかしら。まぁ、こんなシャレで怒るようでは、阪神ファン失格でしょうね。

駅の南側へ。子供の頃何度か来た大きな釣り具やさん。


阪神は、北口が「表」で南方面は「裏」になる構造。裏には、大阪市内の有名ラーメン店の支店や、通天閣・ビリケンなどのイラストで飾った看板の串カツ屋があった。尼崎という町自体、大阪の「支店」のようなものか。兵庫県だが、どう考えても大阪文化。ここで、十分、大阪気分を味わえる。ただ、ここから特急に乗れば、10分で梅田に着くのだから、この辺りで宿をとっても、観光する人は、やはり大阪市内に行くでしょうね。 


この日は、今まで一度も行ったことがない、阪神尼崎駅の南側を散歩することにしていた。目的地は、天然温泉を使って営業している銭湯。一度行ってみたいと思っていたのだ。
 南側は、ちょっと歩くと急に殺風景になってしまう。国道43号線より南に行くと、もう、倉庫街という感じになってしまう。写真は、尼崎城跡の公園にある市立図書館。






目的の銭湯は、築地という地域にある。由来の掲示を見ると、東京の築地よりも早い名前だとか。江戸時代の埋め立て地。ここまで駅から20分もかからないくらいだが、寂しい雰囲気がただよっていた。
見ると、地域の住宅がどれも新しい。阪神大震災の時、液状化の被害にあって、復興したらしい。上は市営住宅だが、一階部分は武家屋敷みたいなコンセプトのデザインになっていた。城下町のイメージだろうが、観光客が来ることはまずないことを思うと、妙に浮いているような気も…。
戎湯、発見。通常銭湯の料金で380円。大阪市内より30円も安い。ここも、震災の後、温泉を掘りだして再興したらしい。




良いお風呂でした。4時前だったけど、結構、地元の人たちでにぎわっていた。平均年齢60という感じだったが。温泉は、確かに「かけ流し」だった。塩素臭さがなく。ただ、あっさりしたお湯で、以前行ったことがある西宮の温泉銭湯よりは、温泉らしさは弱かったかも。(西宮の銭湯は、有馬温泉になんて行く必要ないなと思わせるくらい、濃度の濃い温泉だった。興味のある人は、「阪神温泉郷」でググってみてください。)







 風呂から出て、帰る。帰りに、味わい深い建物を発見。これはもしかしたら…と急にワクワクしてきた。
たぶん、ここは、福知山線のかつての始発駅だった尼崎港駅の跡だと思う。一日2往復だけ旅客運行するというレアさで鉄道マニアに人気だった、塚口・尼崎港間は大昔に廃止。子供の頃はまだ走っていたが、一度も乗るチャンスがなかった。だから、尼崎港駅がどんなだったのかも知らないが、たしか、この辺りだったはず。日通の建物だけ残っていた。今でも一応、使ってはいるのか。

43号線のすぐ近くにあった小学校の校庭に、尼崎城のレプリカが。

この空地の配置は、廃線跡かな。


大物駅の近く。万葉集にもうたわれているとか。  


大物駅。初めて利用したかも。

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