2020年4月1日水曜日

新学期を迎えるにあたっての身辺雑記

2週ほど前、京都に行った。某先生が新しくウェブ雑誌を作ろうという計画を立てていて、自分も誘ってもらった。そのための打ち合わせだった。集まったのは、自分より一回り以上上の男の先生二人と、わたしと、韓国から研究員として滞在している女性研究者Aさんとの4人。全員旧知の仲なので、話し合い自体は一時間ほどで終わり、いつも通り「じゃぁ一杯飲みに」ということになった。あの時点で、警戒心を持っていたのは韓国人のAさんひとりだった。日本での研究で科研費をもらっている彼女は韓国に帰るわけにはいかない立場だけど、現在の事実上の往来禁止措置により、ちょっとした里帰りさえできない状況になっている。ネットを通して知る韓国の、あるいはイタリアやヨーロッパの(この時はまだアメリカはそれほどでもなかった)コロナの状況に大変な危機感を持っていた。「それにしても、日本のこの警戒心の無さは…」と、とても不安な様子だった。私も含め、日本のオッサン三人は、権力が作り出す「自粛ムード」への警戒感が先走り、どういう危険があるか、まともに心配していないような感じだった。ヨーロッパでこんなことがあったらしい、このウィルスはこういう特徴があるらしい、というAさんの熱心な語りを「あまり考えるとノイローゼになっちゃうよ、大丈夫だよ」というようなノンキな態度で受け流していた。上のお二人よりは、最近、韓国のニュースを毎日見ている私はまだ少しばかり警戒心はあったけど、まぁ、韓国と同程度だとして、韓国の場合は新興宗教が爆発させた部分があるし、それとは無関係らしいのは3割くらい(この時点で)、ということは感染者3000位か、日本は人口倍くらいだから既に6000はいるかな。発表されている数の100倍くらい(この時点で)だけど、まだまだ確率的に「自分」まで来るのは先だな、くらいな気持ちだった。もっとも、この排外主義的な日本という社会の中で、外国人としてこの病気に罹るかもしれない、という怖さは、マジョリティである自分とは比較にならないだろう、とは考えた。考えたが、「でも今日はうつらないだろうな」というくらいのお気楽さであった。良い天気だから、というので鴨川の河原にビールと惣菜の天ぷらを買って持って行き、しばらく喋る。例年なら、この季節のこんな良い天気の京都、観光客であふれていただろう。それと比較すると相当空いてはいたが、家族連れや、観光客の姿も、それなりにあった。その後、近くの居酒屋に行き、何時間かダラダラ飲んだ。少人数だし、お店も空いていたし、と言い訳をしながら。久しぶりに日本酒の熱燗などを飲み、適量が分からず飲みすぎてしまい帰りの記憶を失うほどだった。今は同居人以外と話す機会が少ないため、久しぶりのお喋りの機会にテンションがあがっていた。感染への警戒感など全くないような状態だった。大阪に向かう阪急電車も、自分のような上機嫌の客が普通にいた(と思う)。次の日は、当然のように二日酔いになり、この時点でちょっとばかり反省の意識が出てきた。酒の飲みすぎだけでなく、もし万一、自分がAさんにうつしてたりしたら、これは取り返しがつかないな、と。2月、3月と非常勤講師業の自分は例年通り長い春休み期間である。今年は1月に引越しをして、その片付けや、部屋の再調整などだけで二か月を無為に過ごしてしまった。そのおかげ(?)で、同居人と、たまに実家に寄った時にあった母親以外、ほとんど誰とも接触していない。同居人は基本引きこもりなので、自分よりもリスクは低め(だろう)。もちろん、毎日の買い物やチェーン店での外食などでも感染のリスクはゼロではないが、普通の勤め人に比べたらかなり低いんじゃないか、と思っている。しかし、多くの人がこうやって「自分は大丈夫」と理屈をつけて安心しているのだろうとは思う。自分は人ごみ避けている、外国行っていない、ナニナニはやっていない、とにかくいろいろ気を付けている、と。その後、オリンピックの延期が正式決定し、案の定、すぐに感染者の数字が増加していった。公表される数字が増えて行き、アメリカが危機的状況になっていることなどが知られるようになると、「世間」の反応も変ってきたように思う。それにつられて自分自身も、危機感がちょっとずつ増してきた。「自粛」を「要請する」という「空気」コントロールにより人々を動かそうとする権力の手口への違和感はずっと持ちながらも、他の国を見ていると、これは予想をはるかに超えて怖いことが進行しているんじゃないか、という気持ちになってきた。ミーハーで通俗人間丸出しだが、やはり子どもの頃から見てきた有名人の死に普通にショックを受けたりもして。「ああ、日本人…」と自分が嫌になるが、まぁ、自分なんてその程度のものなのだ。小学生の頃、『全員集合』を見て気が狂ったように笑っていたバカな小学生は、碌に成長せず50になろうとしているのだ。ニュースの日、「志村、死んだよ」と遅めに起きてきた同居人に伝えたら、「あんたも小学生時代卒業やな」と言われた。最初は、流石に「えーっ?そんなに悪かったん?」と驚いてはいたが。そうなのだ、自分は中二病だと思っていたが、中二はこれからようやく迎える所なのだ。新学期が始まる4月になった。例年なら、生産的なことが何もできなかったことを激しく後悔し、しかし、これからの仕事にそれなりに気が引き締まってはくる時期だが、今のところ、どの学校も20日以降に開講を遅らせるということだ。一カ所は、昨日HPを見ると、5月開講とさらに遅らせていた。今日も有名な人の感染のニュースが流れている。公表されている感染者数と比較して、有名人の割合が異様に多くないか、という素人くさい疑問は「有名人であろうが一般人であろうがひとりひとりの感染確率で言えば同じだ」というのが答えなのかもしれないが、どうなのだろうな。とにかく、4月になった、という「形式」を利用して、生活の組み立て直しをしたいとは思う。今の情勢からしたら、4月いっぱい遅らせた所で、大学に学生集めて授業なんて多分無理だろう。非常勤講師業という非正規職の抱える不安は、世の多くの自由業系の人たちと共通する部分もあるだろう。こういう立場だからこそ、分かることもある、かもしれないな、と前向きにとらえて、何とか生き延びよう。とか何とか考えて、身辺雑記を書いておくことにした。

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