2020年4月18日土曜日

競輪開催は一時中止した方がいいと思います(一競輪ファンからの提言)

  現在、コロナ19の感染拡大により競輪は無観客開催(2020年2月27日~)となっています。緊急事態宣言が出されて以降は開催そのものを中止する施行者も相次いでいます。(4月8日~)SNS等を見ると、選手たちにも参加ギリギリになって中止が知らされる、というような事が続いているようです。それでも一部の開催は続いており、5月5日から静岡競輪場で開催予定の日本選手権競輪も施行者は開催に動いているそうだと、マスコミの方のSNSで知りました。日本選手権は最も伝統ある特別競輪であり、相当な準備もされてきたでしょう。施行者がやりたいと考えるのは当たり前だと思います。ですが、一方で、160名を超える選手が参加する、選手密度が最も高い大会でもあります。


 競輪ファンの中でも、選手や関係者の中でも、日本選手権を含め今後の競輪を開催すべきかどうか、意見は分かれているでしょう。

 

 ここで私は、一部外者の立場から「競輪界は全体で一斉に開催中止に踏み切った方がいいのではないか」という意見を述べたいと思います。

 

 理由はいくつかありますが、もっとも重要なのは選手の健康が危険にさらされているということです。他の公営競技はやっているではないか、という声もあるでしょうが、競輪は他の公営競技とは違い、人間の身体能力だけで競う競技であり、プロ・スポーツとしての性格を強く持っています。レースまでの時間、選手間で距離をとって感染を防止し続けて、レースの時だけ「密」になる、なんてことは難しいと思います。レース前にはローラーに乗ってのウォーミングアップも必要でしょう。ストレッチやクールダウンで一定の空間に密集に近い状態で滞在する時間も必要ではないでしょうか。換気に気を付ける、消毒をする、を徹底しても限界があると思います。


 公正さを保つために前検日から缶詰になり、選手集団は一定空間に閉じ込められます。誰かが感染していたら集団感染につながる可能性は、他の競技よりも圧倒的に高いと思います。一開催あたりの参加人数も多いでしょう。

 コロナ感染が怖いと思う選手がいるのは、当然のことだと思います。


 大雨でも、極寒でも、いついかなる時でもレースがあれば走る。それが選手だ、という姿勢はカッコいいものです。ファンとして、プロ選手ならそうあって欲しいと思いつつも、今回の事態は天候不良などとは明らかに性質が違うものです。

 私は競輪の歴史を研究してきましたが、70年を越える競輪史の中でも疫病の流行というのは初めての出来事です。世界中で感染が広がり、そのために商売は制限され、学校まで休校になるなど世界中で市民生活の多くが一時停止を余儀なくされています。歴史的な非常事態であることは間違いありません。

 

 コロナ大流行、というニュースが聞え始めた頃、日本の多くの人はほとんど他人事としか考えられなかったのではないでしょうか。私もそうでした。無観客が始まった頃でも、半月くらいで収まるんじゃないか、と考えている関係者も少なくなかったでしょう。しかし、ここに来て、変ってきたのではないでしょうか。この病気が相当恐ろしいものであること、医療のプロが動かしている病院でも次々に院内感染が起こってしまう程の感染力をもっているため、医療体制の維持すら危ぶまれるようになっている、ということが誰の目にも明らかになってきたのではないでしょうか。

 屋外に目をやれば、良い天気の春の日が続き、桜も咲いて新緑も芽吹き、極めて「いつも通り」のため、意識しなければ危機感を抱けないというのもコロナ事態の特徴だと思います。人と人とのつながりから病気が広がる、いわば都市型の病気でもあるため、都会と地方とで温度差があるのも当然だと思います。

 施行者は先行投資をしており、少しでも開催をして回収をしたいと考えるのも理解できますし、特に感染者の少なく見える地方の場合はそうでしょう。選手の皆さんも、不安はありながらも、賞金で生活する個人事業主としてできるだけ沢山競走に参加したいと考えるのは理解ができます。現在、営業自粛かどうか、ギリギリのところで迷っている多くの商売人の方々と同じでしょう。ですが、そろそろ、中止の決断が必要だと思います。

 

 この病気が知られるようになった当初は、致死率もそんなに高くなく、若くて元気な人なら発症しない方が多い、という話が流布していました。お年寄りや病気を持っている人だけが気を付けたらいいんじゃないか、と正直、私もそれくらいの認識でいました。実際に、たとえば競輪選手のような健康な人たちは、感染しても無事に済むような気がします。(これは全くの素人意見です。念のため。)感染が報道された井上茂徳さんも、現役時代の訓練のたまものでしょう、回復に向かっているという朗報を昨日、木庭賢也さんのyoutubeで聞きました。本当に良かったです。しかし、かなり大変ではあったようです。一定割合で重症になってしまい、そうなると集中治療室に入らなければ助からないと聞きます。落車で大けがをする経験の多い選手の皆さんであれば「集中治療室で生死をさまよう」ということが、どれほど大変なことか、私のような金網の外から見ている人間より何倍もリアルに分かると想像します。ひとたび感染してしまうと、知らないうちに、家族や仲間など身近な人にうつしてしまう可能性がとても高く、「自分が我慢したら耐えられる」ような性質のものでは全くありません。

 

 このような中途半端な形で開催を続けると、公営ギャンブルにとって最も重要なレースの公正さも危ぶまれてきます。選手は、参加する以上、つねにベストを尽くすことが求められていますが、現状では先のレースを見すえた計画的な練習も難しいでしょう。また、記念競輪さえも中止になる中、グランプリを頂点とした長いスパンでの賞金・競走成績の争いは、運不運に左右される不公平なものになっています。このままの不安定な状況が続けば、賭けの前提となる、選手たちの真剣勝負を支える基盤が揺らいでいるとみなされても仕方がありません。

 競走馬の力や機械の力がメインになる、抽選のような偶然の要素をあらかじめ組み込んである他の公営競技に比べて、スポーツに近い競輪だからこそ、この点はより慎重でなければいけません。(私見では、他の公営ギャンブルもそろそろ中止すべき時だと思いますが、ここでは競輪についてだけ言います。)

 

 レースを中止すると、選手の皆さんは収入が断たれます。その間、JKAは、選手の練習生活が最低限維持できるように補償をすべきだと考えます。競輪という事業にとって、選手の競走はいわば「商品」です。一定期間、店を閉めなければならないとして、商店主はみすみす商品を腐らせるようなことはしないはずです。再開の時には、すぐに高品質のレースを提供できるように準備しておくことは、事業主体として最も重要なことのひとつです。選手の質は、簡単に手に入るものではありません。

 個人事業主たちが作る労働組合的意味をもつ選手会と統括振興団体との関係は、いろいろ複雑な歴史もあったでしょうし、それをふまえ「補償など不可能」というのが、従来のルールに基づく判断だと思いますが、今回の緊急事態は、前例のない出来事です。無茶を承知で書きますが、例えば、持ちビルや土地を売って資金を確保してでも、選手たちが最低限、練習生活を続けられるような援助はすべきだと思います。この間、無観客になって露わになった「新規ファン開拓」という喫緊の課題について、選手たちにも知恵を絞ってもらい、広報活動にもさらに積極的に参加してもらい、その対価を払う、というような援助策もあるかもしれません。もちろん、レースがなくなって収入が無くなるのは、選手だけではないと思います。しかし、これは、現在、日本中の各種事業主が直面している危機です。この点については、政府が最低限の補償をすべきだと考えていますが、話が大きくなるのでここでは割愛します。とにかく、続けるのも止めるのも苦渋の選択なのは間違いないと思います。

 

 以上、一応、競輪の歴史について本を書いた社会学者の視点から、そして、競輪がこれからも存続発展して欲しい一ファンの立場から、考えていることを書いて見ました。責任のない立場から、ああした方がいい、こうした方がいい、というのは簡単に口にできます。もちろん、これも気楽な立場から書いたもので、関係者からすれば「そんなこと分かっているよ」という内容にすぎないでしょう。後から考えると、間違っているかもしれません。それでも今、書かずにはいられませんでした。


「どうするか」を実際に考えなければならない人たちの目に触れて、何らかの参考にしていただければ、と願っております。


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