2011年11月8日火曜日

プロレスオタク誕生と終わり:雑考

 関西大学のプロレス研究会(KWA)が実質的に活動中止になった。学生時代このクラブに入り、バカで素敵な友達に出会え、面白い時間を過ごすことができた。思い出の場所がなくなってしまうのはさみしいが、時代の趨勢だろう。

 ただ端っこで参加していただけだし、偉そうに何か言えるような立場ではないのだけど、もう「終わる」っていうなら、覚えていることを記録として書いておいてもいいかなという気にもなってくる。
(ちなみに、プロレス研究会は、プロレスを「研究」する会ではありません。学祭にプロレスごっこ[学生プロレス]をするサークルです。全国どこもだいたいそう。)

 思い出話はまたということにして、プロ研の「歴史」を、この間のサブカル、大衆文化情況の歴史として考えたとき気づいたことを、ちょっとメモしておきたい。

 わがプロ研は、30年目を迎える直前に、その歴史を終わることになりそうだ。私が、大学に入ったのは、平成元年=1989年。当時、プロ研は創立十周年を迎えるくらいで、記念イベントの計画で盛り上がっていた。会長だったKさんの企画で「東京遠征」なんてこともやったりした。原宿のホコ天に行って、興行をするだけだが、皆で車に分乗して出かけていったのは楽しい思い出だ。早稲田や、立命館など大きな私大にはだいたいプロ研があって、どこも学祭の花形みたいになっていた。バブルがはじける直前の時期だった。

 学生のプロレスごっこにお金を出してくれる企業(バカな大人たち)も結構いた。後楽園ホールで、学生プロレスの全国大会なんてイベントもあった。うちだけでなく、たぶん、全国的に学生プロレスの全盛期だったはずだ。

 では、当時のプロレスは、日本社会の中でどんな位置をしめていたか。プロレスの全盛期は、言うまでもなく、力道山時代だ。敗戦後の社会の中でテレビという新しいメディアにぴったりのコンテンツとして爆発的人気を博した後、緩やかに下降線をたどっていく。プロレス人気を、ファン数というデータだけで言えば、そんな感じになるだろう。

 ただ、猪木や馬場のようなスターも排出し、梶原一騎のような才能や、あるいは、いろんなメディア戦略によって、「国民的人気スポーツ」の地位を失いながらも、マニア向けのポピュラーカルチャーとして独自のファン世界を作ってきたのがプロレスだった。

 80年代の終わりには、プロレス中継はゴールデンタイムを離れた。一方で、月刊『プロレス』は、83年に週刊誌となり、以降、『週刊ゴング』『週刊ファイト』と、ジャンルの専門週刊雑誌が3つも出るほどの、活字プロレスの時代がやってきた。

 90年代の初頭は、プロレスオタクが一番多かった時代ではないかと思う。同級生は誰でも、長州力や藤波辰巳、ジャンボ鶴田、スタン・ハンセンなどの名前を知っていた。女子だって、名前くらいはみんな知っていた。それくらい、メジャーだったのだ。だけど、大人になっても見ている人は、それほどいなかった。プロレスは、「昔よう見たわ」というジャンルだった。子供の頃、熱中して、大人になったら卒業する。そういうコースだったのだが、この頃、卒業できない大人=オタク的な人たちがあらわれはじめた。プロレスがゴールデンタイムから外れ、サブカルチャー化していったことが逆に、そういうファンを生んだのだと思う。

 相撲を「取る」。野球を「する」。なのに、プロレスは、プロレスごっこをする、になる。私などは、今考えると相当アホだったのだけど、高校時代くらいまでプロレスを真剣勝負と思ってみていたのだが、それでも、プロレスは「ごっこ」を付けるジャンルだということは分かっていた。子供同士で、相撲を取るように、プロレスはできないと。このあたり、突き詰めて考えていなかったのだが、あえて言えば、プロレスラーは「超人」だと思っていたのだろう。

 人気のあったころのプロレスは、やはり、超人たち、異人たちの戦いという見世物だったと思う。ものすごくデカい、あるいは見るからに恐ろしい、圧倒的な存在同士がぶつかるという。
全共闘世代は、右手に『朝日ジャーナル』左手に『週刊マガジン』と言われた。70年頃の、マンガを読む大学生の登場から、10年くらいで、プロレスごっこをやる大学生がちょっとだけ各地の大学に登場したのだろう。学生の幼児化のあらわれ、ではあるだろうけど、プロレスに対する畏怖の念が薄れた結果、ともいえるかもしれない。

 先日、OB会があって、そこで気づいたのは、今や50歳くらいになる創設者世代の人たちは、オタクというよりも、マニアっぽいイメージなのだ。オタクっぽいのは、45歳くらいから下、私の世代くらいまで。オタクとマニアの違いは、何かうまく説明できる言葉が見つからないのだけど、なんとなく、肌感覚で違うのだ(※)。で、35歳くらいから下の後輩たちは、何と言うか、「リア充」っぽいものも多くなっている。学祭で、面白い馬鹿なことがやれる、明るい人たちというノリで、彼女なんかも普通にいるような。僕らの時は少数派だったけど。

 10年くらい前から、週に一回、関大で非常勤の授業をするようになり、学祭の時期なんかに、「実は学生時代にプロ研に入ってました」というのを、ネタとしてしゃべったりしてきた。へーっという反応が最初の頃はあったのだけど、徐々に、何の反応もなくなっていった。今は、オタクのイメージすらないだろうな。仕方ないとはいえ、やっぱりさみしい。

(※)ただ、好きなものに熱中しているのがマニア。そのため、仕事や家庭や恋愛やなどに割くべきとされるエネルギーが小さくなってしまう。ただ、好きなだけ、というイメージ。オタクは、もっと自意識の病っぽいところがあって、好きなものに熱中している自分を、社会は、異性は、どう見てるのか、ということを過剰に意識して、あらかじめ防衛している、とか、そんなイメージかなぁ。ベタなステレオタイプで、すごく古い感覚かもしれないけど。

 そういえば、私が関大生だったころには、新左翼の解放派がちょっとだけ活動しにきていた。2人くらいかな。何するかというと、入学ガイダンスで、ちょっとアジ演説するくらい。関大生ではなく、明治大学からきていると噂だった。関学には、そんな左翼なんて来ないのに、関大はこんなのが来るからダサいって言われるんだ、なんて文句いっている学生もいた。私なんかは、そういうヘルメット姿をみたら、まるで「大学みたいだなぁ」とテンションがあがったが、数年後、そういう影さえなくなった。今は、タテカンなどまったくない、「クリーン」な大学になっている。
 関係ない話だけど、ちょっと関係あるかな。

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