2018年8月13日月曜日

祭りを担がず生きてきた

小学校の低学年まで尼崎の外れに住んでいた。同じ文化住宅に住んでいた人たちや、近所に住む同級生の親世代の人たちは、うちの親同様、高度成長期に関西圏外の地方から来た人がほとんどだった。近所の神社でお神輿を担ぐお祭りがあり、親が私を参加させようと連れて行ったら「よその子はダメ」と言われたそう。自分はよく分かっていなかったし、そもそもそんなの参加したくなかった(理由は身体を動かすのがしんどいから)から平気だったが、親は長らくその排他性を怒っていた。

その後、大阪市内に引越した。近くに神社は無かったが、夏休みに町の一角に夜店が出る日というのがあって、それを見に行って何となくワクワクする、というようなことはあった。今考えると、近くの公園に住吉神社の址という石碑があったから、元はその神社の祭りだったのかもしれない。あと町内会の盆踊りなんかもあったが、町内会やPTAで活動する大人(市会議員とかか)の子どもと、ヤンキーが大きい顔をする場という感じで、楽しい思い出はない。中学以降は、覗きにも行かなくなった。

実家を出てから、幾つかの場所を経て、今は実家の隣区に住んでいる。かなりの世帯が暮らす古い集合住宅で、夏になるとナントカ神社の賛助云々という名目で町内会がお金を集めに来る。夏祭りの経費だという。いくらでもいいからというので、最初の年には数十円だけわたしたが、何とも釈然しない気持ちが残り、以降、一切断わることにした。ここから100メートルも離れていないくらいのほんの近くにちょっとした神社があるのだが、この住宅が出来た40年くらい前、ここの住民は「よそ者」として氏子に入れてもらえなかったらしいのだ。そのため、ここの町内会の人たちで、無理やり新しい神社を(いろんな由来のお話をひっつけて)作ったそう。詳しくは知らないが、たぶん、そういう流れだと思う。その神社、夏祭りと、初詣の時とだけ、それらしい飾りとかをつけているが、普段は拝む人などだれもいない、変なスペースになっている。

由緒ありそうな方の近所の神社(大正期にはあったらしい)、そして、さらに隣町には、本格的に由緒のある神社(中世からあったらしい)が二つくらいあって、それぞれ別に祭りをしていて、最近の「保守化風潮」を反映しているようにしか自分には見えないのだが、自分が子供の頃よりも、盛り上がっているような感じなのだ。太鼓をたたいたり、岸和田の小型版みたいなダンジリの引き回しをしたり。それらを眺めると、しらっとした気分になってしまう。同じようなくすんだ下町に住んでいる者同士で、よそ者だ、どうだなんて線引きして盛り上がってるんだろうな、と考えると。

もちろん、この辺りは基本は都会だから、盛り上がっている人らの方が少数派なのだと思う。住人がほぼ全員参加の祭りがあるような所に住んでいて、しかもなんかの理由で、そこに参加できない、してもしんどい、なんて状況になった時のキツさなんてこんなもんじゃないだろうな、なんてことを考える。

お祭りというもの、あってもいいとは思うけど、やり方なんか、どんどん変えていけばいいんじゃないのかなぁ。とにかく、自分の人生とお祭りは、何の関係もないことは確かだ。何かに組み込まれ損ねた、ということではあるのだろう。観光のために、地域の祭りを残すのはいいと思う。が、自分は別に見たいと思わない。祇園祭は一回行った。もう一生行かなくていい。天神祭も、一二回は行ったからもういい。自分には関係がないものだ。話題の阿波踊りなども、見たら面白いのかもしれないが、別に見なくてもいいな。よく分からないけど、弾圧されている人がいるなら、頑張ってはねのけて欲しい、ような気はするが。うーん、民俗学を全否定するような発想になっているかな…。いや、そんなこともないですよね。今の時点での、ある種の民俗記録として書き残しておきます。生まれた所から、半径10キロくらいの範囲に半世紀近くも暮らしてきた古老(手前)の語り。

1 件のコメント:

  1. 在来コミュニティの排他性は確かにあると思います
    少子化などの人口減によりイベント(地元文化)の維持がますます困難になっている現状の中で守り続けたい側と参加したい側双方の歩み寄りが必要ですね
    そこまでして参加したいと考えるかには個人差がありますがやはり現状に即した改革をするしかなさそうです

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