2020年7月4日土曜日

俺は8番目

 しばらく前に見た夢。去年亡くなった父親が実家の食卓でビールを飲んでいた。いつも通りという感じで。「あ、ビール飲んでるやん!」とうれしくなって声をかけた。亡くなるまでの数年間、嚥下障害が出てビールどころか水さえ飲めなくなっていたのだ。元気な時は大変な酒飲みで休肝日なんて記憶にないくらいだったのだが。ああ、良かった。ビールが飲めるようになったのか。と思いつつ少し拍子抜けした。嚥下障害は、治らない病気だと思っていたからだ。「治るんなら、あれほど気の毒に思わなくてもよかったか」と。母ちゃんは横で普通にしている。「父ちゃん、ビール飲めるようになったんやね、すごい良かったやんか」と声をかけても、別にという様子だった。そのあたりで、あれ、おかしいな、と気づき始める。確か、父ちゃんは死んだんじゃなかったか。と思って父ちゃんの様子をあらためてうかがうと、なぜかパジャマの前をはだけて、胸板を見せていた。記憶にある、最近の姿より若々しい。右鎖骨の下あたりにあるはずの、ペースメーカーが埋め込まれた出っ張りもない。脳梗塞、心臓疾患と70代に入ってしばらくすると立て続けにガタが来てしまい、いろいろやっていたのだ。ここで、火葬場の様子を思い出し、もう死んでいる、ということを確信した。すると、父ちゃんは「俺は8番目なんや」とつぶやいた。どういう意味や。クローンの父ちゃんが何人かいて、その8番目ということかな、と勝手に解釈して、間の6人はどうなっているんや訳がわからんな、と思ったところで目が覚めた。亡くなってから初めて夢に出てきたが、変な形でのご出演だった。

元気なころは酒癖が悪く、飲んでいる姿を見るのはあまり心地良いものでもなかったが、飲めなくなって以降は、取り戻せない良き場面として思い出すようになっていた。母親に介助されてかろうじて嚥下食を摂れるだけ、という期間があまりにも長くなってしまい、今は倒れて以降の姿しか思い出さなくなってしまっている。最後の方の家族の選択については、正しかったと自信をもって言えないことがいくつかある。父親には悪いが、介助している母親を楽にさせてあげたい、という気持ちの方が先行していた。最後の「延命」は失敗に終わったが、正直ほっとしたのだった。コロナ事態となってからは、余計にそう思うようになった。福祉施設や医療がこんな状況になっている中で、今も介護が続いていたら、母親の精神的負担は相当だったろう。父親が大好きだった、高校野球もオリンピックもこうなってしまったのだし、生き延びても何の楽しみもなかっただろうから、去年で良かったんとちゃうか、と内なる父ちゃんに話している。言い訳にすぎないが。それにしても「8番目」って何だったんだろう。

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