2020年8月30日日曜日

低い所に

 ショッピングセンターに市の広報コーナーがあり、ハザードマップが貼ってあった。洪水になったら、どれくらい浸水するかを表したもの。今住んでいるあたりが、真っ赤っかに塗られていた。2メートル以上浸水する可能性があるらしい。最初、うちが地図上のどのあたりか見つけられなかった同居人に、このあたりだと指さして示した。彼女は「ああ、ここもやっぱりか」とちょっと暗い顔をした。半年前に越してくる前に住んでいたところは、淀川のすぐそばで、海抜0メートル地帯だった。およそ百年前に完成した、淀川の大規模改良工事の後の流れと、そのために途切れた旧川筋の間に挟まれた場所で、戦後しばらくして治水工事が進むまでは、大雨があればすぐに水につかるような場所だったと思う。「津波が来たら大丈夫やろうか」と同居人はたびたび心配を口にした。そのたびに「団地の5階なんやから、どんなすごいのが来ても浸水することはないやろ」と適当に気休めを言った。向こうも本気で気にしていたわけではないだろう。

ただ、何となく、水がつきやすい土地にいるのだ、という意識は私の頭にもあった。そして、それは生まれついたもののようにも思われた。物心ついたときに暮らしていた地名には「島」がついた。10歳で引っ越した先も「島」だった。「島」と言っても今ではそんな面影は全くないが、近代以前には、水に囲まれた地域だったのだろう。「あんたは、苗字も川やしね」。そう言われたら、じめじめした名前ではある。

同居人と一緒に暮らし始めて最初に住んだのは、場末の繁華街・十三駅すぐ近くのマンションだった。11階の部屋だったが、所詮は「淀川区」、水に囲まれた低地の一角だ。その後、同区内で引越しをして、前の部屋にしばらく居ついた。今回、引っ越すにあたり、かなりいろんな場所を見て回った。

「地面が高い所に住むって、どんな感じかな。気分ええやろな」と同居人は言うが、条件に合う場所(一に家賃、二に通勤その他)を探すと、どうしても「低く」なる。ここなら住めるかな、と思った物件のある地名には、「瀬」とか「浜」とか、水の影がついて回った。大阪平野の淀川水系河口近くを主に探すのだから、地理的に仕方がない。海抜のもう少し高い所はないかな、と言われても、現実的な範囲では無理な注文だった。結局、尼崎の北部、10歳まで住んでいた「島」の近くに戻ることになった。地名には「島」はないが、川に挟まれた中州だ。ただ、前の場所よりは海から遠くなり、海抜は2メートルくらいはあるから、津波の被害は大丈夫だろうと思っていたのだが、普通の洪水の時には、やはり浸水しやすい場所のよう。

「もし洪水になっても4階まで上ってくることはないよ」と前と同じことを言う私。同居人は「まぁそうやろけど」と言いながら、地図の赤く塗ってある部分をじっと見つめていた。

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