2018年5月31日木曜日

若者あたり

午前中だけで終わりの曜日がある。真っ直ぐ帰ったらいいのだけど、今日はぐずぐずしてしまった。とりあえず、昼飯を食べようと、非常勤先の学食のひとつに行く。次回の用意などしていたため、ピーク時からちょっとずれたが、それでも賑やかだ。他の勤務先である「小さい大学」の学生がこの様子を見たら驚くだろうな、とか余計なことを考える。勉強の環境はしらないが、キャンパス経験という意味では、マンモス私大は恵まれているような気はする。総じて楽しそうだし。あくまでも、全体としてはだから、時に暗い顔をして歩いている学生の姿もよく見かけはするが。そういう目で見ると。ここは自分の出身大学だが、非常勤で来るようになって10年以上経過している。学生ではないが、ちゃんとした職員でもない、という中途半端な立場で週にちょっとだけの時間を過ごしながら、懐かしい思い出の上に、少しずつつつまらない色の絵の具で上塗りしていっているようなものだ。それでも、時には、ふと何か思い出したりするが、一瞬で過ぎ去ってしまう。フェイスブックなどをやるようになって、当時の知り合いや友達たちとも、実際にはほとんど会ってないのに、薄いつながりがあったりもして、そこで小出しに伝達したりすることで、追憶の情も薄くなっているような気もする。男女グループも多い。夏休みの計画や、海外旅行のことなんかを、元気に話している。自分が学生の頃は、男女一緒に楽しそうに喋ったり、あまりしなかったような気がする。まぁ、でも、当時からイケているサークルの学生は同じようなものだったのかもしれない。講義なんかをし始めた頃は、今の学生はなんと勉強しないものか、と驚いたり、文句を言ったりしていたが、最近はあまりそう感じなくなった。学生が勉強をするようになった訳ではないが、自分の学生時代はもっとひどかったということを客観視できるようになったからだ。彼らに何か言ったり、ああしろこうしろという資格は、少なくとも自分にはない。仕事だから、役割として最低限のパフォーマンスはする。オッサンの常として偉そうに指導したいという潜在的欲求は常にあるから気を抜くと、最近の若者は…と言いはじめそうにもなるが。ちゃんと大人になれなかったということなのだろう。ただ老けただけで。こんなに成熟できないまま、全体として枯れていくのか、と思うと憂鬱になるが、幸いな点は、マイナスに向かう力も弱まっているということだ。お金持っている人たちに混ざると、自分が惨めになる。いたたまれず、早く帰りたくなる。若い人たちに混ざっても、同じ。惨めになり、早く帰りたくなる。でも、ここは我慢しなければ。前々回の記事で書いて以来、飲酒は控えているが、酒の誘惑を断ち切ると、甘い物が誘うよう。誘惑に負け、食後、アイスクリームを買ってしまう。舐めながら、キャンパス内をちょっとうろうろ。普段見ない、文化系クラブの告知ポスターを眺めたり。国文学研は、文学を読まないメンバーも歓迎します、と書いてあった。何するんだろう。中国語研は、昼休みに発音練習をするらしい。こういう所に入っていたら、どんな感じだったのだろうな、とかちょっとだけ妄想する。今のまま学生に戻ったら、韓国語のサークルに入りたいが、ただの妄想だ。自分が学生だった頃は、朝鮮語勉強するなんて、ほんとに少数派で、暗いイメージだったことを思うと隔世の感だ。このテーマ、いつかは真面目に考えたいなと思いながら、自分にはもう「いつか」なんてないのだから、やるなら今やるしかないと思うと、ならやめておこうか、となるのだった。アイスも食べたし、もう帰ってもいいが、折角だからと図書館に寄る。新しく入った本を何となくながめる。ネトウヨみたいなのが書いた本が並んでいて、こんなインチキな本を図書館に置くなよ、とひとりぶつぶつ言ったりする。何か借りようかと思ったが、借りていてまだ読んでない本があるから、それを返してからにしようと思い、何も借りずに帰路についた。外にいて、ちょっと暑くなってきたりすると、こんな気分の時は飲みに行ったら気分転換できるかな、という誘惑が頭をよぎるが、実際には別にそんなことはないのだ。もっと本質的な喜びを味わうことを、今からでも目指さないとな、と考える。やった方がいいことは沢山あるが、どれも、楽しみな部分が少ない作業のため、なかなか着手できないでいる。とにかく、若い人らは、眩しい。食あたり的な意味で、ちょっとあたるところもある。

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