2018年5月28日月曜日

ミニシアターで革命を夢見る

映画『マルクス・エンゲルス』を見てきた。映画館で映画見るなんて、いつ以来か、覚えていないくらい。だから、映画を見にいくという経験自体に、いろいろ感想を抱く。それが面倒くさくて、映画館にはなかなか足が向かない。1800円なんて、無産者階級には高すぎる、というのが一番の理由だが、「金があったらやりたい・行きたい」リストでも、あまり映画は上位にこない。本当にすきなら、DVD借りたりして、いろいろ見るだろう。

それなのになぜ見に行く気になったのか。講義でマルクスの話をちょっとする関係で、予告編を見て、面白そうだったからだ。自分は、マルクス主義者ではない。だいたいこんな思想だろう、という知識はあるが、社会学をやっている人の常識としてまぁ少し勉強したというくらい。ただ、マルクスとエンゲルスの二人の関係については、かなり気になっている。岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年―自嘲生涯記』1983を以前に読んで、ここに載っていた二人の書簡と、そこから見える関係性に興味があったから。天才で人間的には問題だらけそうなマルクスと、ええとこの子で、人間味のあるエンゲルスとの関係が、どんな風に描かれているか。

実際の「革命」は、どう評価していいか分からないが、今ではない別の社会へ向けて、人々が動き出そうとする瞬間には、やはりロマンを感じる。感傷的な左翼風味趣味にすぎないかもしれない。映画はどうだったか。画面がきれいだった。「映画」が久しぶりだったから、そう見えたのかもしれない。彼らが活躍した当時のヨーロッパの風景がうまく再現されているように感じた。もっとも大した知識もないから、本当の再現度はわからない。

違和感があったのは、女性の活躍がちょっと現代風すぎたところ。二人のパートナーが、強烈な個性の革命闘志として描かれているが、この頃は、当然、もっと男性中心の運動だったろう。その辺はつっこまなくていいのかもしれないが。

弾圧されたり、追放されたり、激しい日々だが、実際には、彼ら二人とも、ほとんどの時間、原稿を描きつづけていたんだな、なんてことも思った。つけペンを使って、ノートをとりながら、プルードンの『貧困の哲学』を読み、批判本を書くシーンが印象に残った。ペンで書いて、インク押さえ(ブロッターっていうんですね)で乾かしながら、どんどん紙を張り付けて修正していくように原稿を書いていた。なるほど、あんな感じで書いていたのだろうな、と興味深く感じた。

あとは、二人が出会うシーンは、やっぱりよかった。突っ張り合いながらも、お互いを認めあった瞬間は、キュンキュンしてちょっと恥ずかしくなった。

まぁ、映画っていうものは、多くの人が関わって作っているもんだな、と今さら思いました。高層ビルのようだ。その大層さが、どうも苦手なのかもしれない、と思った。本なんて、編集の人入れても数人で作っているから、触れるのも気楽な気がする。

平日の昼に行った。スカイビルのミニシアターだった。100何人か入るくらいのところ。客席は、ポツポツ。ガラガラってほどではないくらい。ひとり若者っぽいのがいたが、大半が自分より年上のようだった。年齢層だけでいうと、競輪場と同じだ。年齢層は同じでも、競輪場と違い、プロレタリアートっぽくない感じの上品な人たちが中心。かつて革命の夢を見たような世代だろうか。元学校の先生っぽい感じの人も多いように見えた。今から革命が起こっても、もう、関係ないだろう、というような人たちが、若きマルクス、エンゲルスの青春に何を見るのだろうか。「もう関係ないだろう」自分は、上に書いたようなことを、見た。1800円はきつかったが、後悔はしなかった。年に一本くらい映画を見にいくのも悪くないかも。

予告編はこちら

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