2016年9月15日木曜日

韓国語教室に通いはじめて5年くらいたった

もともと語学は苦手だった。どんなに勉強しても、ネイティブには到底かなわないし、母語の習得過程を振りかえっても、あんなに膨大な時間を費やして勉強しなきゃならないなんて、考えるだけで気が滅入る。などというのは、後から考えた理屈だが、外国語を学ぶ喜びとはずっと無縁だった。話せたらな、と妄想している間は、楽しそうでも、コツコツが必要な作業であることはすぐ分かり、挫折する、ということだったのかもしれない。

それなのに、5年前にはじめた韓国語の勉強はダラダラと続いている。KARAと少女時代にはまったからはじめたのだけど、韓国・朝鮮文化に関心があったのも確か。あの国には他の国に対するものとは違う特別な感情を持っている。というか、勉強を始めて、持つようになったというべきか。その辺の自分の関心や、近年の日本に於ける状況について、どこかでまじめに考える必要がある、と思う一方、そういうのは、まじめな他の研究者の方にお願いして、自分なりの何かができないかという、またも手抜きの発想をしたりしつつ。韓国語は、日本語に文法も近いし、英語なんかを勉強するのに比べたら、中級までの道はすごく楽なのだろうと思う。いい加減に始めるのにもいい言語だと思う。

5年やっているとは言っても、今は、公共的な所がやっている講座に週一回通っているだけだ。旅行会話の域を全然出ていない。教室以外に、文献講読みたいな勉強会やりたいなとか思うが、思うだけでなかなか動きだせない。それでも、毎週一回行くというのは、やはりよいものだ。どんなにサボっていても、少しは前に進むし、励みにはなるし。

教室に来ている生徒の大半は、女性だ。自分くらいの年輩でも若い方だ。在日コリアンで、学ぶ機会がほとんどなかったというような人も多いが、女性の多くは、いわゆる韓流ファンだと思う。通う曜日や時間が何度か変わっているため、そこで知り合いになって、友だちになった人は、残念ながらまだ一人もいない。一度だけ飲み会があって参加したが、大人の飲み会は費用も高く、楽しかったが辛かったりした。授業中に、ちょっとだけ、韓国芸能界の話なんかをする機会があると、やけに詳しいですねと言われたりする。物知り風に装う悪癖があるためかもしれないが、男性の学習者は、どちらかというと、大衆文化ではなく、教養的な目的で学んでいる人が多いからかもしれない。そういえば、韓流・K-popファンで、という男性受講者は、今まで一人も見なかった。

コンサートだ、イベントだと、何度も韓国を往復している人もいる。うらやましい限りだ。「僕なんて、youtube見るだけの、金を払わない悪い客なんです」と話したら、「偉いですね、いくら遣ったかわかりませんよ」と自虐的に話される人もいた。韓国芸能会社のやり口への批判を口にしつつ、それら会社の、都合のいい「財布」になってしまっていることを自覚し、かつ楽しんでいる、という複雑さに共感する。自分だって、金があれば、そういうファン活動をやってみたい、と思う。根気がないから、すぐに飽きる気もするが。

ラジオとか聴いても、半分くらいしか分からない。でも、半分わかる、というのはかなりの喜びでもある。ポッドキャストとか寝る前やら、暇なときは流しっぱなしにしている。こういうダラダラ勉強はきっちり集中した方法に比べて、全然効果ないようにも思うが、何もしないよりはということで。

しかし、何のために勉強しているのか、と聞かれると、答えは特にない。少し、仕事に結び付けられないかという妄想はしているが、なかなかだ。韓国語できる人なんてアホほどいるし、たとえばインタビューするとか、道具として使えるレベルにはとてもじゃないけど達していないし。それでも、ただただ続けようとは思っている。何十年かかって、意識の世界がようやく玄界灘をわたった。海外に関心がないわけではないが、サブカルチャー含め、それまでほとんど国内世界への関心で終わっていたのだ。その先に、どう広がるかは分からないが、とりあえず、韓国までは、そこにリアルに人びとが住んでいる世界として認識できるようになったということだ。もちろん、その他の世界にも、リアルに生きる人々がいることくらい、頭では分かっているが、肌感覚では分かっていない気がするのだ。韓国については、ちょっとそれができた。そして、そのことは、韓国が好きになるとか、嫌いになるとかというのと、あまり関係ないことでもあるのだ。というあたりについて、いつか、ちゃんと整理しておきたい。

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