2016年9月11日日曜日

一応元気でやっています、というような

ブログも、ツイッターも半分匿名という中途半端な形でやっている。深い考えがあるわけではなく、ただなんとなくそうしているだけだ。ストレートに名前を出していたら、何かの拍子に非常勤で講義に行っている学生さんの検索に引っかかったら嫌だなぁという気持ちはある。バレてまずいことを書いているつもりはないが、あまりマイナスなことを書くのもどうかなという配慮が生まれてしまいそうで。今でも、知り合いのフォロワーはいる。読んでいるかどうかは知らないが、古い友達から、ちょっとした知り合い、面識のある人など、少しは。フェイスブックは社会関係そのもだが、ツイッターには、面識のない人の方が多く、関係の遠さを気楽さだと思って楽しんでいるので、名前をそのまま出すのは、とりあえずやめておこうというくらいの考えはある。

ツイッターで懐かしい名前を発見した。高校時代の同級生だ。ブログもツイッターも本名でやっていて、名前もちょっと珍しく、社会運動をやっていることなどから目についた。若い時に、大病をしたことなども、ブログで知った。病気を乗り越え、奥さんと子どもたちと幸せな暮らしをしているよう。めちゃくちゃ仲が良かったわけでもないが、いろいろ思い出もある。選挙事務所に泊めてもらって、朝まで酒を飲んだりしたような記憶もある。おそらく、初めての飲酒だったが、詳細は残念ながら忘れている。卒業間際の頃だったと思うが、どういうきっかけだったのだろうか。卒業後、選挙になると電話がかかってきたりしていた。テレビで委員長が言っていることと全く同じことを電話で言うので、ちょっとウンザリしたような記憶もある。若い活動家が、なんであんなおっさん世代と全く同じことしか言えないのか、と文句も言ったような。選挙権を持ってから野党にいれ続け、彼の党にもよく投票するが、心から支持する気にならないのは、異論をはさめない全体主義の匂いがやはりするからだ。

反原発のデモや、安保法制反対のデモが若い世代に盛り上がっていることを、よろこんでいるのがブログやツイッターからも分かる。そりゃそうだろうな。安倍政権のそれらの政策に反対ながらも、若い世代の盛り上がり、という定型化された語りみたいになっていることに天の邪鬼的な反発を覚える自分は、遠目で眺め、思考停止になってしまっているのだが。

こうやって片方から一方的に覗いているのはやはりいやらしい。「おう、元気そうでなにより」とメッセージ送ればいいのだけど、何となく憚れる気持ちもあり、フォローせず、たまにツイートを読むくらいの状態にとどまっている。広島カープファンと言えば、真っ先に思い出すのも彼だった。赤だから、赤い球団が好きなのかと揶揄していたが、確か、市議をしていたお父さんが好きだったはず。親と同じ道、同じ趣味に進むって、どれだけ親孝行なのだ。不孝者のわが身を反省する。家族や仲間が集まって、優勝の瞬間を楽しんだ様子がアップされていた。なんともしみじみした。同窓会的なイベント、今まで一度も参加したことがない。これからも行かないと思うが、ちょっと参加したような気分にはなった。

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