2016年9月11日日曜日

淀川を眺めてから散歩した話

夕方になるとふらっと出掛けたくなる。時間はあるけど金はない。歩くか、自転車に乗るかしかない。ちょっとした電車賃くらいはあるが、ふらっと遣うのはもったいないと考えてしまう状態ではあるので、電車賃を出すなら、ハッキリ目的のある用途につかおうということになり、そうなると、今は、まぁ特に行くべき場所もないからな、ということになって、とりあえず近くをうろうろするか、ということになるのであった。

淀川が見える街に住んでいる。梅田へは、自転車なら橋を渡って20分くらい。歩いても1時間はかからない。反対方面、豊中や尼崎に向かうという手もあるが、形ばかりでも、目的地が欲しく、そっち側にはそれがないので、ついつい、街に向かってしまうのだ。この夏は、父親の長期入院があり、病院が街の方向にあるため、自転車で何度も淀川を渡って見舞いに行った。これからも、ひんぱんに行かざるを得ない状態が続きそうだ。

病院に行くのはやはり楽しいものではない。こちらが気を重くしていると、相手にも伝染するから、できるだけ淡々としてはいたいが、それでもまぁ仕方がない。そんなわけで、病院に行かなくてもいい日で、本当ならやるべきこといっぱいあるのだけど、どうしようもなく気が進まないという状態だったので、とりあえず夕方に家を出てみることにした。歩きたい気分だったから、そっちを選択した。

河川敷に出る。災害時に使うために整備されている船着き場がある。波止場にあるロープをしばるアレ、マドロスが片足をのせる例のものがあって、そこに座って川面をしばらく眺めていた。ぴょんぴょんとボラが飛び跳ねる。数年前まで、年に一回くらいは釣りをしていた。無用な殺生をしても仕方がない、という気持ちに突然なって、大学のサークルの後輩に全部あげてしまった。子どもがちょうど釣りにはまっているからというので。もういいや、と思ったけど、たまにはやってみたくなる。釣りをやめると、こうやってぼんやり川面を眺める時間を持たなくなることなんだな、と改めて思った。あの時間は、悪くないものだった。

釣りをやめようと思ったのも、やるべきことの言い訳に、時間をつかうのがもったいないと思うようになったというのもあるのだけど、今は、ツイッターの画面を何時間も眺めて時間を無駄遣いしているので、それなら、川面の方が良かったかもしれない。

少年野球チームの練習。親子連れ。孫と遊ぶ爺さん。子どもを作らない人生を選んだので、どれも近くの異世界だ。人生間違っていたかどうかは知らないが、うっすらとした寂しさは常に感じるようになった。親が病気になるとか、そういう場面では特に。考えても栓の無いことは、考えないようにすべき。と思いながらも、ちくちく自分をさすものがある。とか、なんとか。

波止場に佇んでいるなんて、心を病んでいる人みたいだ。「大丈夫ですか、元気出してください」とか声掛けられたらどうしよう、「こんなとこ飛び込んだって死ねませんから大丈夫ですよ」とか笑って答えようかとか、そういうことを考える。しかし、元気な子どもの姿はまぶしいね、と思う自分と、そうでもないなと思う自分と、頭の中でかってにあれこれやっている。

歩いて橋を渡り、中津方面へ。空中庭園のあるスカイビルまで行く。長距離バスのターミナルにもなっていて、四国行きのバスが出発するところだった。四国、行きたいな、と思った。山陰でも、九州でも、北陸、東北、北海道。どこでもいいのだけど。ビルの下では、メキシコフェスのようなものが行われていて、賑やかだった。友達、家族で遊びに来ている人も多かった。皆楽しそうに見えた。アジア系以外の外国人観光客の姿も多かった。ここが、こんなに観光スポットになるなんて不思議な気持ちだ。外国人観光客が大阪に溢れる前は、梅田駅から離れたここは、ちょっと寂しさを感じさせるスポットだったのだから。

この人たちは皆、海外旅行をしているんだなぁ。知らない街として大阪来たら、面白いだろうなと、いつも通りの想像をする。梅田方面に抜けるトンネルを通る。旧、梅田貨物駅の下を通る道だ。貨物駅の痕跡、もうしばらくしたらなくなるのだろう。新しい景色が生まれると、前まであった景色は、簡単に忘れ去られてしまう。もっとも、これだけデジカメが普及したら、このあたりの写真は、後になってもググってすぐに見ることができるだろうし、なんてことも考える。

梅田駅北のグランフロントは、本当に馴染のない空間になっている。40年以上大阪に住んでいて、梅田なんてずっと自転車圏内だったのだが、若い時と違って、新しいものへ関心が薄くなるにつれ、ただただ自分とは関係ない何かとしか感じられないようになっている。観光客が多くなったからだろう、座れる場所が増えているのはよいと思った。ところどころで、ストリートミュージシャンがミニライブをしている。中島みゆきをカバーしている兄ちゃんがいた。どうかな、と思った。

さて、梅田まで来た。6時前になった。もう少し早かったら御堂筋通って難波まで歩いてもいいかと思ったが、そういえば一週間前も、何の用もないのに、難波まで行っていた。晩飯を作らないといけないし、もう帰ろう、ということで一駅だけ電車に乗って帰ってきたのだった。

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