2016年9月20日火曜日

授業を受ける立場になって

韓国語教室に通うようになって、良かったことのひとつに、授業を受ける側からの視点を思い出したということがある。初めての授業の時の、この人はどんな先生なんだろうというワクワク感。受ける側のペースと、教える側のペースが合うかどうか。先生の見られ方、などなど。ペラペラと喋って、結局、自己陶酔してただけじゃないか、と自分の講義を反省したりもした。自主的にお金払って習いに来ている大人の学校と、形式的には同じだとしても、学生の意識としては義務的に出席している講義とでは当然かなり違うけれども。良い先生とはどんな先生か。正直、全然分からない。受ける方の好みや視点によっても当然違うだろうし。以前は結構上手に授業できるんじゃないかと勘違いしていたが、客観的に見たら、欠点だらけだと思う。自分が受ける時には、落ち着いていて、しかもテキパキと進むような先生が良いような気がするが、自分自身は本当に落ち着きに欠ける。生きて行くこと自体への自信も年々なくなっているし。よくなったことと言えば、普通がしんどい人たちへの共感力は少し獲得できたかもしれない、という点くらいか。これも自信はないが、改善点だとは思う。自分がダメな立場にならないと、そういう状態に苦しんでいる人のことはわからない。つまり、今だって、自分が全然気づけないようなレベルのしんどさに苦しんでいる人たちがいっぱいいて、その前でガサツな態度でヘラヘラ喋っていることが多いはずだということだ。あんまり後ろ向きの事ばかり考えると、講義に向かうのが、どんどんしんどくなる。まぁあまり気にしないことだ。気づいたことをちょっとなおしていきながら。この仕事だっていつまでやらせてもらえるか分からないのだから、できるだけフラットな態度で人に向き合えるように心がけよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿