2016年9月16日金曜日

時間を大事にしなければいけない

時間を大事にしなければいけない、と考えるのに何時間もついやしてしまうようなこともある。自分は恵まれている。時間だけは。お金の話は考えるのもしんどいが、多くのまともな大人が、まとまった休みなんてほとんど取れないのに比べたら、義務的な出勤日は少なく、今だってまだ夏休みが残っている。賃仕事を見つけて生活費の足しを稼ぎに行くという方法もあるが、ギリギリなんとかなっていると判断して、ちょこっとずつ本分的仕事を家ですることにはしている。ただ根気がなく、少しの時間しか集中できないとか、何とか、言い訳している。いろいろ勉強したり、準備したり、やるべきことなどいくらでもあるのだが、なかなか手につかない。「手につかない」などという言葉は、単なる言い訳だ。少しだけ心のよりどころにしている森田療法によれば、やる気などの気分にさゆうされず、乗ろうが乗るまいが、面倒くさいと思いながらも、とりあえずやり始めることが重要だという。その通りだと考え、何とか少しずつは進めようとしているのだが、優先順位の低い仕事になると、ダラダラサボりたいという気持ちに負けてしまう。負けがちになってしまう、というくらいか。後から振り返ると、今日は無駄な一日になってしまったな、とどんよりとした気持ちになることが多いので、精神の健全化のためにも、できるだけ活動的に過ごすべきなのだが。小人閑居して不善をなす、というのは本当に真理だと思う。ゲームとかは自分はやらないが、ネットをダラダラ見ている時間の長さを思うと、時間の無駄にし具合は、ゲーム中毒の人以上だろう。とりあえず、意味のある作業を何かしなければ、という考えの前に、パタッと止まってしまうことも多いのだ。日記や、このブログの駄文なんかのようなものも、とりあえず、何か書こう、書いて身体と頭を動かそうということ自体を目的にしていたりもする。もうすぐすれば、仕事が始まる。かなり忙しくなる。そうなると逆に身体が動き、少し頭も活動的になったりもする。ただ、一年契約で兼業しているこの仕事も、来年、再来年には激減することが決まっていて、もしかしたら、毎日が日曜日状態になるのかもしれない。その不安に、文字通りプルプル震えているのだが、今は、他にもいっぱい心配事があるため、それについては来年考えようという気持ちにはなっている。何もかもなくなったら、一からハローワークに行って、自分でもできる仕事を新しく探すのだが、ちょっとでも今の仕事があるうちには、芸で食える道を探して、もう少しあたふたしようと考えているところなのだ。何の話をしようとしていたのか、忘れた。時間を大事に使おうと、自分に言い聞かせようと書き出したものだった。社会的なつながりが弱い生活をしていると、いろんなことに対して関心を持つ力が大幅に減退する。政治や、何やに対して、怒るようなつぶやきをツイッターに流すこともあるが、前に比べて、小手先で怒っている気がする。疎外感というものについても、そのうち書こう。やる気など、出るのを待っていたら、ずっと何もしないことになるように、社会やその他の物事に対する好奇心も、出るまで待っていたら、結局、ただ無気力になっていくだけだろう。関心が全く無くても、持った感じにしておくことなのだろう。『シンゴジラ』とか『君の名は』とか、無理に見にいくべきなのだろうと思う。ただ、正直今は行く気がしないけど。見たいとちっとも思わないから。この手の流行りものは、もっと元気だったころから、あんまり興味持ってはいなかったんだな、そういえば。チケットとバイト代無理やり誰かがくれたりしたら、もちろん行くけど。

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