2016年9月26日月曜日

筆記用具ぐらいは持ってきてほしいが

筆記用具、鉛筆でもシャーペンでもなんでもと、ルーズリーフか、レポート用紙か、何でも。そんなものすら持ってこない「学生」もいる。そんな「大学」でも教えに行ったりしている。学生がどうこう、というより、大学という商売に無理があるんだろうな、ということをいつも思う。自分は、その端っこの端っこで、落穂ひろいのような仕事をしている立場なので、無理だろうがなんだろうが、何とかなってほしいのだが、改革云々に関する発言権はゼロなので、ただただ眺めているような状況だ。大学どうこうの話をしようというのではなかった。講義を受けにくるのに、筆記用具さえ持たない子らも、ここ何年かで、誰もがスマホを持つようになった。ほっておくと、「全員」見ている。ニュースや何かを見ている子もいるのかもしれないが、ゲームをしているのが多い。休み時間になると、すぐにゲームに目を向けるようになる。「昔はもっと…」とか言う気はない。パチンコにはまっている学生より、マシなのだろう、きっと。でも、この機械は、やっぱりアヘンのようなもんじゃないか、という気もする。もう少し、まじめな子がいるところでは、講義で出てきた言葉を、すぐ検索しないと気が済まないようなタイプもいるようだ。良いのかどうかわからないが、気にしない様にしつつ、目に余るときは、ちょっと注意する。しかし、自分には確信がない。どうしたらいいのかについて。それは、自分がまだスマホを使ってないからというのもある。紙の辞書にこだわるタイプの人は、たとえば、電子辞書では、勉強に身が入らないとか、精神がどうとか、言うかどうかは別にして、思う人もいるだろう。気持ちは分かるが、電子辞書の方が便利に決まっている、と自分は思う。語学に思い入れがないからだ。自分も高校生の頃に電子辞書あれば、軽くて便利だったのになと思うくらいだ。スマホへの気になり方も、同じようなものかもしれない。とにかく、無理に勉強なんてしなくていいのだ。ある程度の大人になったら。それなのに、やった気にさせて、その親から学費を集めて、ご飯を食べる仕事の片隅にいるのだな、というのと、でもせっかくだから、金もう払ったんだから、それだったらせめて、自分にとって面白い講義のひとつくらい見つけたらどうだろうか、という気持ちもある。そんな気になった子も少しはいるので、こちらも誠実にやらないといけない。とは思うのだが、ここで行っている行為はなんだろうと思うこともよくある。

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