2016年9月28日水曜日

気分に左右されないように

やる気がでない、という理由づけをやめよう、と心がけてはいる。一応だが。森田療法の本で、なるほどと思ったものだが、気分なんてものは、どうにもつかみどころがないもので、そんなものに支配されていると、結局何もできなくなる。気分がどうであろうが、やるべきことをやる。いやいやでも、面倒くさいなと思いながらでも、行動すれば、気分は後からついてくると。気分は山をなす、という言葉も、何度も反芻している。対人関係で、自分はイライラしがちな方だと思う。これも気分次第で、なんでもないときは、のんびりしているが、相手の言葉ひとつひとつにイラッとして反応してしまうことが多い。そういう時は、相手がどう悪いかの理由づけの言葉が、頭の中に駆け廻り、自分の怒りを正当化しようとしてしまう。後から考えると、なんてことなかったり、こちらが見えていないことが幾らでもあることがわかるのだが。感情というのは、怒りでも、悲しみでも、ずっとは続かない。必ず山をなして、そのあと萎むのだ。あたりまえといえば、こんなに当たり前の話はないのだが、この言葉に出会った時、しみじみ、なるほどなぁ、と思ったものだった。今、山になっているけど、どうせ、どうでもいいと思うのだ。そう考えると、ちょっとは平常心を保てる。まぁ、ちょっとマシになる、というだけかもしれないが。それでも。どの本で読んだか忘れたが、森田療法の創始者の森田正馬に、ある作家が、書けないのですがどうしたらいいのでしょうと相談した、という話が書いてあった。その答えは、書けないとか考えないで、ただ、書け、というものだった。これも、なるほどなと思った。書けない、仕事に着手できない、という状態はずっと続いているが、できないことについてあれこれ考えるのはやめて、ただやってみる、ということを心がけるようにはしている。何か作業を開始すれば、あとからそれなりに気分もついてくるということはあるのだ。このブログや、アップはしていないけれども、自分用に書いているノートなんかも、とにかくやってみる、何でもいいから書いてみることを目的にしている。書いているうちに、もう失われてしまったのではないか、と心配になってしまっていた、考える力なんかが、ちょっとは復活してくる、気がするのだ。明日の準備がしたくない。これは気分だ。そう思う理由もたくさんある。だけど、やることなのだ。生活全体を、自分がやるべきことに向けて編制するなんてことを実践している人はいくらでもいる。いわゆる優秀な方々はみな多かれ少なかれそうだ。立派だなと思う。自分にはそれはできない。なぜだろう。どうすればいいだろう。大事なことは、そんなことを考えないことだ、と思うようになった。自分のできる範囲で、なるべく気分に左右されないように、やるべきことをやっていくように、慌てないように、焦らないように、と。そうは言っても、小さなことに一喜一憂し、精神はぐらぐらなままだが、それも気にしないように、あるがままに、面倒なことは小分けにして、ちょっとずつやっていくことだろう。

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