2016年9月17日土曜日

溢れるアイデア

毎日何か更新しようと何日か前に決めた。それ以降、他の作業をしている時、これを書けばいいんじゃないか、という考えが頭に浮かぶようになった。仕事につながるアイデアなら、そういうひらめきは大事だろうが、これはそうではない。更新するための更新、伝えたいことがあるというより、書くということ自体を目的にした、駄文である。ただでさえ、集中力の無い人間なのに、余計に意識が拡散することになってしまっている。毎日書くというのも、別に誰かに命令されたわけでもないし、絶対守ろうと決意したというほどでもないのだけど、やりはじめると、緩やかな縛りにはなる。書こうという時、適当に、頭に浮かんだものを文字にして、最低限のチェックだけしてアップすることにしているのだが、実際に書く段になると何も浮かばない、という状態にはやくもなってしまったのだ。自分だけが読む日記帳なら、適当な文章がいくらでも出てくる。多くが、何度も書く繰り返しのフレーズだけれども、手を動かして何か文字を書きだす、という作業の練習にはなり、じっとしているよりは、断然、「効果」があるのだ。健康面の話で例えれば、座ってパソコンを眺めているよりは、ダラダラとでも散歩した方が良い、というようなレベルでの効果である。だから、とりあえず、似たようなことを何度も何度も繰り返し書いたりすることも多いし、そうやって書いているうちに、やはりその日しか書けないような文字列が出てきて、まぁ、今日も何かは書いたなという気分にはなれる。ところが、一応、他人が読むかもしれないということを、ちょっと頭に浮かべるとなると、途端に、手が進まなくなるのだ。当然と言えば当然だろう。だから、いくら適当なことを書くとしても、何について書くか、何から始めるかくらいは、考えておかないと、一文字も書きだせないのだ。一文字書ければ、数行は書ける。そこまで書ければ、もう良し、という緩い縛りにはしているが、その一歩すらないのだ。他のことをしていて、パッと浮かぶというのは、そういう、書き出しの文字だったり、テーマ的なものだったりのことだ。断片が浮かんで、どこかにメモしておこうかと思うのだけど、メモという形に外部化してしまうと、結構なアイデアの種として成長してしまっていて、変な言い方だが、少し偉そうな雰囲気まで出てしまっていて、その材料をもとに書こうと意欲するためのハードルがあがってしまったりする。そんなしっかりした記事を書くつもりではなく、あくまでもいい加減な所の言葉で埋めたいと思っているのに。そんなわけで、適当に文字を連ねてスッキリしたいという気持ちで再開したブログだが、こんなレベルでも、続けようと思うと、自分への変なプレッシャーになってしまうのであった。

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